【AFTER「ナオトひとりっきり」】1 富岡町の避難指示解除

2011/3/11 「ナオトひとりっきり」自主上映会 in TOTTORI


 「ナオトひとりっきり」は2013年春から約1年間の撮影でした。
 松村さんの活動自体こそ大きな変化はないようですが、松村さんをとりまく状況は大きく変化しています。
 上映会まで、最近の富岡町の変化について記事をアップしていきます。



 ・<原発避難>富岡4月1日解除を受け入れ

 政府の原子力災害現地対策本部は17日、東京電力福島第1原発事故に伴う福島県富岡町の避難指示について、帰還困難区域を除き4月1日に解除する方針を決めた。郡山市であった同日の町議会全員協議会で、宮本皓一町長が解除案の受け入れを表明した。政府は近く最終決定する。
 解除対象は居住制限、避難指示解除準備の両区域。対象人口は9578で町全体の7割を占める。



 松村さんが代表の「NPO」法人がんばる福島」事務局長、金子さんのブログは次のように伝えています。
 ・2017-01-27 町から村へ
 『 21日の土曜日に富岡町は住民説明会を開催した。
 帰還に関することで開催したのだが、はっきりとしない回答のまま終えたと聞いた。
 参加した友人は僕に「帰還出来る状態じゃないよな」と言った。』
 『 松ちゃんは「今からダイユーエイト(地元のホームセンター)に一緒に行くべ!たまげっから」と言ったのでついて行った。
 到着してびっくり。まさかこれが店頭に置いてあるとは・・・
 イノシシを捕獲する箱わなです。
 税込177,876円也

 松ちゃん「これ買う人がいるから置いてんだべな?需要がなければ置かねぇ~べ」と。
 さすがにショックを受けた。
 もう町ではなく、山間部の田舎というか富岡町が村になってしまったようなショック。

 店の入り口にその他の捕獲器(カタログには駆除器)もたくさんあった。 
 この頃、町の広報スピーカーからイノシシの被害が出ていますのでイノシシに注意して下さい!熊の目撃情報があるので注意して下さいを何度も聞くようになった。 』

 ・2017-02-17 移転しました。
 『 町の様変わりを4人で話しながらお茶を飲んでいた時、4月に帰還宣言する?との話になった。
 じっちゃんも松ちゃんも「これで帰還宣言するのおかしい」と。
 町の広報スピーカーから流れている「熊の目撃がありました」とか「熊の足跡が確認されましたので、充分気を付けてください」の文言に顔をしかめて言った。
  「イノシシより熊の方が怖いだろう?それなのにこんなところに帰って来て下さいって、何を言っているんだよな」と松ちゃん。続けて「熊に気を付けて下さいって素人に何が出来んの?熊対策を何にも取らねぇ~で」と。
 じっちゃんも「役場は何やってんだべ!そんな放送聞いたらみんな帰って来ねぇ~べ」と怒りの矛先を役場にぶつけた。』

 定期的に松村さんの取材を継続する那須佳子さんのFBから
 ・【去りゆく夏2016】その2

 『 相棒のあっちゃんと私は、いつも富岡に入ると真っ先に旧富岡駅跡へ向かう。
 初めて訪れた2014年春には、震災でくずれかけた駅舎が霧雨の中に煙っていた。
 やがてその駅舎が取り壊され、巨大な廃棄物の焼却施設がそびえ立ち、その周りには除染で出た汚染土の詰め込まれた黒いフレコンバッグが増殖を続けた。3段、5段と訪れるたびにその山は高くなり…もうすっかり海は見えなくなっていた。

 ところが、「あれ?無い!」私たちは顔を見合わせた。
 その黒い山が消えているのだ。海が見える!
 もちろんまだ残っている山もあるが、ひと山丸々消えているものもあれば、明らかに低くなっているものもある。
 不思議なもので、あれほど不快だったフレコンバッグの黒い山だが、無くなったとなると、なんとなく落ち着かない。不安になるのだ。
 すぐそばにある焼却施設に運び込まれ、減容化されたと考えるのが普通だろうが、今春飯舘村で見た汚染土の「再利用化施設」のことが頭にちらつく…。着々と全国の公共事業などで使われる準備が進んでいるのかもしれない。』

 『 フレコンバッグが消えた代わりに、松村さん宅からほど近い場所に大きな新しい建物が出現していた。
 入り口には、「アトックス」と「アレバ」の文字。
 アトックスとは、東電の下請けの中でも一番手の会社で、アレバとはあのフランスの原子炉メーカーのアレバだ。放射性廃棄物の処理に向けて、協力体制が整いつつあるのか…。

 そして富岡の隣の隣の広野町では、帰還した町民もまだまばらだというのに、今秋ホテルがオープンするという。Jビレッジのすぐ近くだ。どうやらこちらは、2020年の東京オリンピックに向けて準備が始まったらしい。』

 那須さんは続けて富岡町に帰還した一組の老夫婦の”見解”を紹介する。
 『 原発事故後富岡町に住み続けていたのは、これまで松村さんだけだったが、もうひと組帰って来て住んでいる住人がいるというので、松村さんが彼らを訪ねるときに私たちもついて行った。
 80代の元大工さんであり、牛飼いでもあったご主人と、その奥さん。
 原発事故後は牛たちを手放し、仮設住宅暮らしを余儀なくされていたが、仮設の狭苦しさに耐えかね、とうとう富岡の自宅に戻って来たのだと言う。』
 人生の終盤に事故に遭遇した80代の夫婦は「原発はあったほうが良い」と言い、那須さんはショックを覚える。
 ご夫婦の人生のライフサイクルは、(原発の、事故の)経済的恩恵の側面が大きかったのである。
 きわめて小市民的に、自分の生活に限定してメリット、デメリットを秤にかければ、「原発はあったほうがいい」という考えも生まれる。企業も原発推進の政権もそういう小市民の目先の打算をフルに利用する。
 しかし、この夫婦の子供世代はどうなのか・・・?
 一口に”あった方が良い”とは言えないだろう。
スポンサーサイト

【やまゆりファーム訴訟】経緯9 次回期日は2017/2/24

 次回期日は2月24日(金)。
 被告の準備書面提出期日は17日(金)でしたが、届いたという連絡は未だ吉澤さんに入っていません。

 被告岡田久子さんの代理人は説得に手古摺っているでしょう。
 最悪の場合、代理人が辞任してしまうこともあり得ます。

戸田みどり氏個展「見捨てられた牛-フクシマより-」(銀座・井上画廊)

C3PM5u9VcAE7Tm-.jpg

「見捨てられた牛」 新磯野の画家・戸田さんが個展

 新磯野在住の日本画家・戸田みどりさんが2月27日(月)から3月4日(土)まで、銀座の井上画廊で個展「見捨てられた牛-フクシマより-」を開催する。

 原発事故により被ばくし、殺処分されるはずの牛を守り続ける福島県浪江町の「希望の牧場」。その活動に感銘を受けた作者が同地に泊まり込み、スケッチしてきた牛の絵など約15点が展示される予定だ。

 時間は午前11時から午後7時まで。初日は午後1時から、最終日は午後6時まで。入場無料。問合せは同画廊【電話】03・3562・1911へ。
a000638875_01-thumb-329xauto-434551.jpg
829405362da1407493be336b8eb08dac.jpg


やまゆり訴訟に関するコメント

 「2017年01月17日 【やまゆり訴訟】やまゆり_第1準備書面」に複数のコメントが入りましたね。

 それを受け、希望の牧場さんが改めてツイッターで呼び掛けています。 
 『やまゆり裁判につき、質問や意見を寄せてください 「これを機会にみんなに考えてほしいんだ、命とは、」、』

 中核派云々のデマに振り回されたようなコメントは捨て置き、2件のコメントと希望の返信を以下転記します。


■2017-01-24 16:32:43  N・K
 ずっと見ていて私なりに思うのは、この件は岡田さんの人生なんじゃないかと思うのです。
 えっ?って思うかもしれませんが、岡田さんの生い立ちは、心に感情を溜め込んだままになっていて、似たような出来事に感情が反応してるんだと思います。
 岡田さんにも、このことを伝えましたが、岡田さん自身が気付かない限り、これからも、耐えがたい悲しみや怒りの感情に振り回される人生が展開すると思います。

 キャパを超える状況のなか、吉澤さんは、やまゆりの牛を引き受けてくれたこともそうですが、岡田さんのことを信頼してたんだと思いました。人を信頼するとき、同時に自分のことも信頼しているものです。岡田さんを、信頼できる人だと信じる自分の直観を、信じていたんですよね。

 自分の牛を殺処分しようと決めた楢葉の畜主Nさんは、自分自身に苦しみを課した決断だったと思います。
 その頃のことを振り返ると、殺処分される牛を想像し、あまりに残酷で悲しすぎて、嘆願のメッセージを送ったわたしですが、自分が辛く可哀想な思いをしたくなかったからなんです。
 岡田さんもきっと、同じ悲しみを味わいたくない!もう二度と死なせない!と、強く感情が動いたのではないでしょうか。その後の、希望の牧場で、子供時代に抑圧した感情にふれる、些細にも思えるような出来事が、積りに積もったのかもしれません。

 何度も言いますが、岡田さんの生い立ちを思うと、溜まりに溜まった感情がそうさせていると思います。
 岡田さん自らが、そのことに気づかない限り、一生変わらないでしょう。

 そんな岡田さんの人生に混ざるのか、希望の牧場のこれからを生きるのかだと思います。

 やまゆりの牛を引き受けたときに、飼育費用について書面で残したものは無かったのだろうかとか、岡田さんを信頼して、牛を引き受けた時の直観は、間違いだったなぁ、と後悔されてるのかな、と考えたりもしますが、それは、信頼した直観であっても、結果はどうなるか分からないのが真実なんだと思っています。

 どんな言動も、その時はその人にとって最善であり、それしか出来ないんです。
 岡田さんにはこれしか出来なかったんだと思います。良い悪いで相手をジャッジし、コントロールしても、無理なんです。

 岡田さんに対する感情や執着を手放し、希望の牧場としての在り方に、意識を向けていってほしいと思います。

 腑に落ちない内容もあろうかと思います。
 それに対し、お怒りや批判を受けるだろうなと思いながら、精一杯の思いを投稿しました。

 また、この投稿を読んだ岡田さんにも、批判されると思っています。

 現実を受け入れる、執着を手放す、自分を赦し認めることが、人の器を作っていくと思っています。

 よろしくお願い致します。

■2017-02-09 11:34:23 事務局
 こんにちは、事務局はりがやです

 現実的な話、犬猫と違う牛330頭を生かすことがどれだけ大変かをご理解いただいているという前提で、以下、本件の本質について、
 本質は、60の牛の命とその今後をどうするのか、またその責任についてです

 希望は、だれも岡田さんに執着などしていません
 本件をまるでなかったことにはできないし、みなさんにも訴え続ける必要があります

 命の問題やその責任をなおざりにすれば、希望そのもの存在と吉澤をはじめメンバー全員の生き様は否定され、支援してくださってるみなさんも、やがて牛を生かす意味を失うでしょう

 結果、在るためにある命は、存続しないでしょう
 命とは、牛たちの生きる意味とは
 希望とは、

 人の生い立ちも大事でしょう
 そのお気持ちはわかりますが、本件、本質とはまったく違います

■2017-02-09 19:04:45 M・M
 初代ふくちゃん以来ずっと活動を拝見しております。
 岡田さんが根本さんのところから牛を連れてきて、それを希望が受け入れたとき、これで又60頭ほどの命が維持できると、その決断をうれしく思いました。
 その負担はともかく・・・

 でも、岡田さんが希望に通い出し、しばらくはとても良い関係のように見えましたが、少しづつ何かわだかまりが出ているように感じていました。
 ツイッターやブログを通してでしかわからないながら。希望の方達の岡田さんに対するいらだちや、岡田さんの何か感情に触る気持ちなど。
 たぶんそれのピークが解剖があったあたりかなと思います。
 主張は希望の方が正しいのかと思います。
 牛は趣味や素人の力の及ぶ範囲ではないとブログなどでも納得します。

 それらをベースとして、今回の一連のことですが、やはり隔靴掻痒の感じがします。
 希望の主張も、感情もわかります。
 でも、岡田さんの思いや意図するところがわかりません。
 もちろん岡田さんも法律的正しさについては色々主張されていますが。でも、誰も法律的正しさで動くわけではありません。
 本当のところ何を思い、何が不満で、何が望みなのか。
 自分の出来ることと出来ないことを考えた上での気持ちをどう整理しているのかがまったくわかりません。
 ウイズキャトルが出来たあたりから、なんとなくわかりません。
 別に私がわからなくても問題なぞありません。大事なのは牛の命だと思っていますが。
 でも、考えはと言われれば、一つの事象の半分だけしか見られない、その何とも言えない収まりの悪さを感じます。
 希望の方達だって、「理解できない」とおっしゃるかもしれませんが見ている私はもっとわかりません。

 このまま行けばたぶん法的に希望の方達の正しさが認められるのかなと思っています。
 命の方が大切だと思うのでそれでよいと言えば良いのですが。
 これは岡田さんの問題だとは思いますが、何を望み、何を問題と感じ、何が納得できなかったのか、知りたいと思います。



 さて、皆さんはどう思われますか(*´v`)

【やまゆりファーム訴訟】経緯9 被告代理人から和解の申し入れ

 1/20の弁論準備手続き(非公開)で、被告岡田さんの代理人から和解の申し入れがあったそうです。
 代理人は「(請求された)お金は(被告が)払わなきゃなりません。」との見解を示し、岡田さんを説得するそうです。

 弁論準備手続きは1回では決まらなかったので、もう一度やるそうです。
 以上、私が希望の牧場・吉澤さんから伺った話です。

【やまゆりファーム訴訟】経緯8 被告第一準備書面ー同じ繰言ー

 20日の弁論準備手続き(非公開)に先立ち、被告の第一準備書面を「希望の牧場」が公開しました。
 「【やまゆり訴訟】やまゆり_第1準備書面


16107310_855382924604343_7981012802626768267_o.jpg


 被告の準備書面は答弁書のトトロジーです。
 原告の第一準備書面の12に対する回答はスルー、答弁書と同じ主張を繰り返している。
 被曝牛の移動は、吉澤さんと岡田さんの間で勝手に決められない事柄なんですね。
 その大前提を無視する岡田さんは異常です。

原告第一準備書面から
1c36f243d62568533e5b1733113df8a3.jpg

b91be84e6871d5fa7c6e444a9b79f9ba.jpg
 
 被告の敗訴は必至。

【やまゆりファーム訴訟】経緯7:原告第1準備書面ー被告の主張自体失当ー

 原告第1準備書面(    )が公開されました。

 ・希望の牧場公式サイト「【やまゆり訴訟】第2回期日を終えて
  (注:ハリー・ベン画伯は針谷さんのペンネーム?だそうです (^∇^))

 原告の主張は首尾一貫しており、それらの経緯はその時、その時、リアルタイムで発信されてきた事実関係と一致します。
 準備書面は最後に「被告の主張は失当」で締めくくられています。

 次回は、来年1/20(金)。
 非公開の弁論準備手続きだそうです。

「災害時におけるペットの救護対策ガイドライン」改訂へ

被災ペット対策で指針改定へ=熊本地震の教訓生かし―環境省

 環境省は17日、熊本地震の教訓を生かし、2017年度に災害時のペット救護対策のガイドライン(指針)を改定する方針を決めた。

 災害時は飼い主とペットが一緒に避難する「同行避難」が原則だが、熊本地震では、避難所の受け入れ態勢の不備など課題が浮かび上がった。このため、熊本市など被災自治体や獣医師会にアンケートを行い、今年度中に課題を洗い出し、改定に反映させる。

 11年の東日本大震災では、地震後にペットを迎えに自宅に戻った飼い主が津波に巻き込まれるケースがあった。これを受け同省は13年、同行避難のための最低5日分のペットフード常備など飼い主の日ごろの備えや心構えの他、避難所や仮設住宅を設ける自治体に求められる受け入れ態勢などを示したガイドラインを作った。

 今年の熊本地震では、多くの被災者がペット連れで避難。ただ、避難所でペットが建物の中に入れず、離れ離れになることへの抵抗感から、車中泊を選んだ被災者もいた。一方で、敷地内にペット専用のケージスペースを設けたり、ペット連れの被災者を1カ所に集めたりすることで、鳴き声などによるトラブルを防いだ避難所もあった。



 

希望の牧場姉妹団体「With Cattle」:牧草ロール運搬費ご支援のお願い

 被曝牛の越冬準備に最期の追い込みです。
 With Cattleさんが詳細な会計報告に添え、活動費を枯渇させないよう再度のお願いです。
 ・牧草ロール運搬費ご支援のお願い(2016-12-10)

 それによれば、現在まだ運んでいないロールが、
 宮城 約150個 110センチホールクロップトラック4台が必要
     (1艘63072円×4=252288円)
 那須 約150個 110センチ~140センチトラック5台が必要
     (1艘50232円×5=251160円) 
 なので、合計503,448円が必要です。

 ウィズキャトルの口座(運搬費口座+活動費口座)残額は60,3975円。
 宮城と那須のロールを運ぶと、口座には10,0527円しか残らず、これでは不測の事態に対応出来ません。
 ほとんど身動き出来なくなりますよね。
 
 ちょっと早いけれど、被曝牛達に(間接的な)Xマスプレゼントをお願い致します(^-^)/


 【諸経費管理用】 With Cattleの活動費として大切に使わせて頂きます。
 記号; 10210 番号;46966071 ウィズキャトル
 他銀行よりの振込み
 店名 〇二八(読みゼロニハチ) 店番028 普通預金 口座番号4696607

 【飼育管理費用】 主に牛の餌代、運送費として使用します。
 記号;10280 番号;16893171 ウィズキャトル
 他銀行よりの振込み
 店名〇二八(読みゼロ二八) 店名028 普通預金 口座番号1689

【やまゆりファーム訴訟】経緯6::第2回期日 ”牛はやまゆり・岡田の所有”

FB「希望の牧場・ふくしま」から

yamayurisosyou125.jpg


 裁判官「牛は今も希望の牧場にいるんですね?
     牛の問題をなんとかしないと本件は解決しないですね、、牛の所有は?」
 林弁護士「被告です」
 被告代理人「はい、うちの牛です、、うちの問題なんですよね(苦笑)」

 被告代理人もやりづらかろう 爆笑!

 準備書面upは週明けになる模様。ご多忙ですから。

2016/12/8 東電副社長、「希望の牧場」を訪問

 東京電力ホールディングス副社長(福島復興本社代表)の石崎芳行氏が8日、希望の牧場を訪問。

 畠山理仁さんが取材に駆けつけました。「希望の牧場」事務局も本業は”記者さん”達ですけどね(*^_^*)。記者には事欠かぬ「希望の牧場」、不足しているのは飼料です。

 姉妹団体のWith Cattleさん、確保した飼料の運送費が集まらなくて苦慮しています。皆様のご支援をお願い致します。資金が足りなければ、請求書をこっち(希望の牧場)に回せという話にはなっているようですが・・・ 

toudennfuku1.jpg

toudennfuku2.jpg

toudennfuku3.jpg

toudennfuku4.jpg

toudennfuku5.jpg

 牧場に定期的に通うサポーターの皆さんも、石崎さんの訪問をおおむね好意的に受け止めています。
 (* ´ ▽ ` *)
 石の上にも3年と言いますが、3・11から5年近くが経過。
 5年間、希望の牧場は吉澤さんを中心に、一握りの実働部隊で支えながら希望を見失わないで、困難を生き延びてきた。
 ハリさんが一度だけつぶやいた事がある・・「つらくてつらくてつらくて仕方ない」
 農水省が被曝牛の検査にやってきた時だ。
 この5年間、国も東電も頑として動かなかった。
 見通しの立たない中、それでも彼等は日々、被曝牛を生かし続ける。
 
 ・・・・吉澤父さん、体に無理を重ねてとうとう健康診断で「要治療」と出たそうです(´・_・`)
 健康管理せーよ~!
 吉澤姉さん、出番です!

【被曝牛 2016年越冬用飼料確保へ向けて】With Cattle、奮闘するも資金難

WithCattleさんの嘆きと支援のお願いです。
 2016年11月28日@WithCattle:牛に食べさせる牧草があって農家さんや運送屋さんとか何人もの協力があるのに運べないなんてイヤだ。
 ・希望の牧場へ運ぶ那須からの牧草ロール運搬費のご支援のお願い

 WithCattleさんは今、300頭余の牛達を越冬させる飼料を手配するため動いていますが、資金が底をつきかけている模様。どうか皆様のご支援を届けてあげて下さい。

【やまゆりファーム訴訟】経緯5:次回期日は12月5日

 次回期日が迫ってきました。
 注目して下さい。
 牛の世話は「希望の牧場」に押し付けて、活動の寄付金は持ち逃げ。
 これを放置するようでは、動物愛護活動はいつまでたっても社会的認知を得られません。
 愛護はB級活動と見做される。

 岡田さんは1千万円の大口寄付が振り込まれた時、永澤さんや和田さんのやまゆりスタッフに向かい、宍戸さんのフィルムを見て寄せられた寄付金だから、映画に出演した私に寄せられたお金だと言ってのけたそうです。
 まるで宇宙人。
 裁判で同じセリフ吐いてみ。

 次回期日は、
 東京地方裁判所民事部民事第28部は係  635法廷
 12/5(月)10:30から。

 担当は阿保賢祐裁判官。
 お名前が縁起が悪いような・・・
 昔、「執行猶予」というお名前の裁判官がいらして、話題になった記憶があります。

 原告側の準備書面が近く公開されるでしょう。

【希望の牧場】2016年冬、被曝牛の飼料確保

 本格的な冬到来を目前にひかえ、恒例の飼料の備蓄に「希望の牧場」は、スタッフ総出でフル稼働。
 姉妹団体「With Cattle」さんから支援のお願いですo(^▽^)o
 ・「希望の牧場へ運ぶ那須からの牧草ロール運搬費のご支援のお願い

 那須の農家さんのご厚意で頂いた300個のロール(今年の牧草)を運ぶ運搬費が不足しているそうです(´・_・`)皆様のご協力をお願い致します(^-^)/



 300個運ぶためには大きさも様々なために10台程のトラックが必要になります。
 集められるうちに1個でも多く福島県浪江町の350頭の希望の牧場被災牛たちに届けたいと思っています。

 しばらくご支援を中止しておりましたが再会させて頂きたいと思います。
 今後も不要ロールを出来るだけ集め牛の餌不足からの餓死は絶対間逃れたいと思っています。

 現在
 牧草運搬費残高 494396円
 活動費通帳残高 156409円

 1艘 45000円+消費税×10台が必要となっていますが、急に頂けるロール数が増えることも考え支援募集の再開をさせていただきたく思います。

 保護牛の餌代となります。
 どうか、ご支援宜しくお願い致します。

【諸経費管理用】
 With Cattleの活動費として大切に使わせて頂きます。
 記号; 10210 番号;46966071 ウィズキャトル
 他銀行よりの振込み
 店名 〇二八(読みゼロニハチ) 店番028 普通預金 口座番号4696607

【飼育管理費用】
 主に牛の餌代、運送費として使用します。
 記号;10280 番号;16893171 ウィズキャトル
 他銀行よりの振込み
 店名〇二八(読みゼロ二八) 店名028 普通預金 口座番号1689



 

希望の牧場の針谷氏『吉沢の牛飼いとしての生き様に、希望を感じた』

 牛飼いの生き様に希望を見出し、原発なき社会を目指す|針谷勉さん

 『「被ばくした牛たちを原発事故の生き証人として生かし続けながら、原発のない世の中をみんなで考えよう、実現しよう」。これを、団体の目標としています。』

 『東北大学の研究者らと牛たちを生かしたまま血液採取などして、被ばくの影響調査をすでに3年継続してきましたが、このデータが活かされる日はまだ先になりそうです。この5年、牛を生かす、活かす意味を考えながら、解決策を模索してきましたが、今のところこれといった解決策はないのが正直なところです。10年頑張ればなにか成果を上げられるんじゃないかと、あと5年がんばろうと最近決めたばかりなんですが…その元となるお金も餌もないし、意地だけで続けています。』

 『 経済価値のない牛を生かし続ける「希望の牧場」代表の吉沢の牛飼いとしての生き様に、希望を感じだからだと思います。吉沢の牧場の脇に県道が走っていて、そこは取材で第一原発まで行くルートでもあったんですが、牛が元気に牧草を食べていたんですね。「なんでここの牛は元気なんだろう?」と、時間に余裕ができた時に寄ってみたら、マスクもせずに普通に牛と接する吉沢がいて、いろいろ取材をしているうちに、信念で牛飼いを続ける吉沢の生き方に惚れこんでしまいました(笑)。

 当時も今も、例えば、仮設住宅で話を聞いても、希望を語る人はほとんどいません。国や東電への不満、賠償金など、お金のことばかり考えざるを得ない中、お金はもちろん大事なんですけど、お金以外にもものさしがあることを私は吉沢に教わったんです。』

【やまゆりファーム訴訟】経緯4:「やまゆりファーム支援金口座」の持ち逃げ

 「希望の牧場」公式サイト更新。
 ・2016年11月01日付け 『【やまゆり訴訟】第1回期日を終えて

 公開された答弁書(    )。
 訴状を参照のこと。
 
 参照過去記事:
 ・やまゆり岡田が15年4月4日、やまゆり牛約60頭を希望から移転先へ、予告なしになかば強引に移動させようとした問題について
 ・2016年09月19日 動物愛護団体「やまゆりファーム」に対する訴訟の提起のお知らせ



 2015年4月5日、岡田さんは正体を明かさない不審なカップルと連れ立ち、唐突に希望の牧場に現れた。
 数頭積めるか積めないかの小さなトレーラーを同行し、自分達には出来ないから、やまゆりの牛をこれに乗せろと当たり前のように要求。この事だけでも、岡田さんに独立して牧場運営など出来ない事が分かります。

 岡田さんは移転先の牧場は用意出来た、場所は内緒だと言い、自治体の許可はとったと虚偽を述べた。留守番役のスタッフはそれを信じなかった。許可が下りるなどあり得ないのです。「希望の牧場」サイドは直後、念のため照会をかけ、岡田さんの言葉が真っ赤な嘘であることを確認しています。移動許可が下りないのに、被曝牛を渡す事は出来ません。「希望の牧場」も責任を問われる。

 岡田さんのパフォーマンスの真の目的は何だったのでしょう?
 アリバイ作りが狙いだったんじゃないですか?
 数頭のやまゆり牛さえ手に入れれば、詐欺や横領の嫌疑を免れ得ると計算したんじゃないですかね?
 
 やまゆりファームのツイッターは2015年4月3日以降更新されていません。
 最後の投稿(リツイート)がこちらです。

okada201543.png


 移送の妨害?妨害には当たらない。当たらないが、”(準備もしないで)牛を引き渡せと要求し、断られた”と書くことが出来るだけの「演出」はあった。
 金のためか!

 吉澤さんたちは、やまゆり牛に寄せられた寄付金問題に敢えて触れようとしない。
 岡田さんのさもしさに哀しく気が滅入ってくるのだろう。
 寄付金問題は寄付した人達が追求すればいいことだとも言っていた。

 しかし、牧場関係者の中には「あの人は詐欺師だ!」と怒っている人達もいる。「(岡田さんがインターネット上で報告していない)一千万円の大口寄付でおかしくなっちゃったんでしょう・・・」と呆れている。
 ここに至ってもなお、やまゆりの元支援者たちがだんまりを決め込んでいる理由が、私には分からない。

 岡田さんは答弁書の中でも、持ち逃げした寄付金口座に一言も触れていない。
 やまゆり牛の飼養責任は「希望の牧場」にあると主張するのであれば、口座の引継ぎをするのが常識!

【やまゆりファーム訴訟】経緯3:答弁書ー主張自体失当ー

 相手方は欠席しましたが、答弁書を提出。
 答弁書がまだアップされていないのでコメントは控えますが・・・、
 希望の牧場が引渡しを拒否したので、飼養責任は希望の牧場にあるとして、岡田は請求棄却を主張してきたそうです。
 主張自体失当。原告勝訴判決が得られそうですね。

 馬鹿みたくね?
 岡田さん、やまゆり口座はどうした?横領問題に発展しそうだなぁ・・・

 

【やまゆりファーム訴訟】経緯2:第一回期日 2016/10/31

20161031kibousosyou1.png

結果は、希望の牧場ツイッターで発信されるでしょう。
私はいったん離脱。深夜にまた追記します。






20161031kibou1.png

20161031kibou2.png

【希望の牧場】徹底討論会生中継 2016/10/29(土)13時〜15時

 ・『【やまゆりファーム訴訟】第一回期日2016年10月31日
 ・『【やまゆりファーム訴訟】経緯1:そもそも「やまゆりファーム」に実体はあったのか?』 
 の続報です。

 第一回期日(2016/10/31)の直前、10月29日13時~15時に徹底討論会が開催されます。
 テーマの一つは「やまゆりファーム裁判訴状)」で、事件を受任した林太郎弁護士も参加予定。
 討論会は生中継されるので是非ご視聴下さい。

 ■10月29日に開催決定!「原発事故から5年目、警戒区域の命を考え、行動する徹底討論会」
 ■やまゆり牛裁判につき、傍観者でいいのか
 
 ハリさんが、岡田さんを絵本や映画の中で取り上げた、木村友祐さんや飯田基晴さんを”揺すぶって”いますが、これは一つ”仕掛け”の意味があるんでしょうね。効果ありで、両製作者も討論会に参加されますヽ(´∀`)ノ

 一つ私見を述べると、製作者は生活のため、絶えず何かしら製作しなくちゃならない宿命がある。
 それを考えれば全ての責任を製作者側に押し付けるのも無理がある。読む側の、観る側のリテラシーの問題でもあるんですね。
 それと、彼等の取材中、やまゆり関係者が内部トラブル等をぶっちゃけたとも思われない。少なくとも、岡田さんの起こしたトラブルは、ネット上では公開されていませんでした。私が事情を知ったのも2年前、岡田さんが突然姿を消してからです。

 ツイッターで岡田さんとはやりとりがあったので、当時、私は岡田さんと何度か電話でお話しました。おかしな事を言うんだ、岡田さんは。説得しようとする私の電話に岡田さんは出なくなりました。他の方たちに対しても同様で、岡田さんは岡田さんの言い分を無条件で支持する人以外は、次々と切っていった。
 それで私は、やまゆり関係者や希望の牧場関係者、周辺者に事情を伺い、初めて事実関係を知った。

 木村さんや飯田さんの取材期間が特定出来ないので(そこまでやっている時間がない)、時系列に沿って事実関係を斟酌する事が出来ませんが、岡田さんが希望の牧場で、最初からプチ・トラブルを繰り返していたのは事実です。しかし関係者は取材者達にそんなこと話したんですかねぇ?誰も話さなかったんじゃないですか?

 マスメディアや製作者達に取り上げられ、岡田さんが舞い上がっていたのは事実だろうと思います。
 汚染牧草を探して農家を回るとき、彼女は自分が掲載されている記事のコピーを持って歩き配布したという証言がある。
 おまけに、飯田さんの映画を見て勘違いした企業経営者がやまゆりに1千万円の寄付をした。
 その大口寄付はやまゆりファームのブログで報告されていません。
 岡田さんは映画に出演した自分を見て、寄付されたものだと勘違いしている。
 活動に大して寄付をなさったのよ。・・・

 岡田さんは牛が楢葉に居たときは一度も行っていません。
 希望の牧場に移動した後、永澤さん達に合流し、有償ボランティアとして牧場に通うことになった。
 岡田さんは経済的に余り余裕があるほうでなく、ボランティアをしたくともお金がない状態だった。
 永澤さんと和田さんは無償ボランティアでいいと辞退し、岡田さんに時給を支払う事には同意した。
 牧場の朝は早い。岡田さんは朝の作業が終わる10時頃に出勤してきて、作業中も写真を撮ることが多く、注意される事もあった。
 毎日は浪江に通えない永澤さん達は、週5日現場に通う岡田さんを代表にし、会の口座のキャッシュカードを持たせていたが、岡田さんは不必要な買い物のために数万単位の金額を引き出していた。彼女は毎朝、大きな買い物袋を2つも3つもぶら下げて出勤してきた。小額の品々とはいえ、その寄付金の使い方に不安と疑問を感じた牧場関係者が直接注意したが止まない。
 やまゆりの他のメンバーに連絡がゆき、驚いた永澤さん達が無駄な買い物をしないよう注意すると、岡田さんは素直に反省してみせる一方で、永澤さん達に対する陰口をたたくようになった。
 真に受けた吉澤さんが一方的に永澤さんを叱責し、それが原因でやまゆりは分裂する展開に。
 
 他にもいろいろありますが、今日は止めておこう。
 時間がないです 笑い。
 

「希望の牧場」さんから小包が届いたよ♪蛇の脱皮


「希望の牧場」さんから小包到着。
CvlHbpjUIAAW7rc.jpg


牧場で発見された蛇の抜け殻。
ほぼ完璧なのだ。
CvlHt9tUEAAx2Ry.jpg

「希望の牧場」の写真展を企画中。
この抜け殻も展示しようかな (゚∀゚)

この一年は私にとって人生の転換期。
それがためか、”脱皮”に過敏に反応したところ、「希望の牧場」さんが送ってくださいました♪

小峰様、キノピー様、有難うございました ゚(゚^∀^゚)σ。゚

6年後の統括ー福島第一原発事故後の非合法(?)活動ー

 来年3月11日は福島第一原発事故から7年目にあたる。
 もう、そんなに経ったのかと思う一方で、確実に年月は流れた。
 
 警戒区域設定後、あの手この手で被災猫の救護活動を行ってきた(現在も継続している)太田氏が、福島第一原発事故直後の当時の活動を語り始めた。

 ・公益一時立ち入り許可
 ・公益一時立ち入り許可その2

 『福島での活動はいままでずっとご紹介したかったのですが、許可証を使っての活動は内緒に(バレバレだけど)していたこともあって、なかなか表立って書くことはできませんでした 』

 当時の非合法活動(?)の記録がここで少し出てきた。リアルタイムの発信は活動の存続を危うくする。経過した年月で記録は明るみの中に出てくるのである。
 他の方々にも太田氏に続いて発信して頂きたいと思うし、雑誌等が「7年目の証言」を企画するのもどうですかね?
 警戒区域内の被災動物救護活動経験談は継承していきたい。

 なぜなら、次の重篤な原発事故時に備えて役立つからだ。
 島根原発事故を想定して太田氏の体験談を拝読すると、地域外から中に乗り込んでいくのは難しいので、平常時から防災対策重点区域(原発から半径30キロ圏内に拡大されている)の居住者や事業主と連携をとっておくのが望ましいと思う。防災対策重点区域での防災訓練に参加したり、ペット同行避難訓練のイベントを定期的に実施する事で自然に繋がりが出来ていくだろう。避難先、ペット預かり先として圏外の受け入れ態勢を少しずつ整備しながら、受け皿としてのアピールも平時からしておく事が大切だ。

 圏内の地域住民との繋がりなく乗り込んで行くと、完全な非合法活動になってしまう。半分合法半分非合法でなければ救援活動の継続は難しい。半分非合法というのは、パトロールの目を誤魔化しながら通行許可書が規定する制約外の活動の自由をいかにして担保するかの苦心を指すらしい(#^.^#)

 7年目を迎える来年3月11日、鳥取市で「ナオトひとりっきり」の自主上映会を実施する。私自身、改めて被曝動物救護活動について考えてみたい。

閑話休題ーやる気を維持する「ふるさとと心を守る友の会」の谷氏ー

 被曝牛と言えば、谷氏の活動も忘れてはいけません。
 最初、馬鹿みたいに見えましたけどね、谷氏に嘘も衒いもなかった。

*画像をクリックすると拡大版が見れます。
Ctbp_3AUMAAcCSQ.jpg
ベルポンさんのツイッターから画像を拝借(無断です(#^.^#))

【やまゆりファーム訴訟】経緯1:そもそも「やまゆりファーム」に実体はあったのか?

 「やまゆりファーム」の牛60頭余は元々楢葉の牧場の牛達で、福島第一原発事故後も蓄主さんが世話を続けていた。
 政府方針は被曝牛の全頭致死処分。
 安楽死措置は農水省が実施しましたが、生かし続ける蓄農家に公的援助は一切無かった。
 それでも世話を続けていた蓄主さんの元に個人ボランティアがちらほらと寄ってきて、お手伝いに通っていた。大した事は出来なかった。荷台の藁屑のお掃除位と聞きました。
 サラネットワークの谷野がそのボランティアさんに熱心にアクセスしてきて「ファーム・アルカディア」と自称するようになった。
 大体この辺りから、実態からかけ離れていく。ボラさん達は気分だけで被曝牛の”サンクチュアリ”を夢見たりするわけですが、本気で取組む覚悟はなかったと思います。そりゃ、食わせるだけでも大変な事業ですからね。寝言抜かすなよと言いたい。

 楢葉の蓄主さんが健康上の理由で維持を断念せざるを得なくなると、ボラさん達は致死処分に反対するが、出来ることと言えば「希望の牧場」に縋ることだけ。吉澤さんはキャパオーヴァーと一度は断っています。それでいつもの愛護の常套手段。無理やり引き受けさせようと、「希望の牧場公式サイト」に千を越す投稿が殺到した。で、結局吉澤さんは引き受けた。
 牛の移動に伴う煩瑣な行政手続きも搬送も、「希望の牧場」が全て仕切った。
 つまり、楢葉の牛は「希望の牧場」に丸投げされた!

 第三者的に見れば、改めて「やまゆりファーム」を設立する必要などどこにもなかったと思います。
 楢葉の牛は希望の牧場に合流するのが一番自然でした。
 吉澤さんは優しいので、その不自然さに踏み込まず、「貴女達も自分達が助けたという事にしたいんでしょう」と好きなようにさせる一方で、希望の牧場の牛と区別せず世話をした。

 当時者にお話を伺うと、希望の牧場に合流しなかった理由を幾つも挙げるのですが、いずれも納得のゆくものではありません。浮ついて無責任な印象しか受けませんでした。

 やまゆりファームは半年も経たない内に不協和音を奏で、分裂。その後も新しい人が入っては離反を繰り返し、岡田さんの「一人やまゆり」と揶揄される状況に転落していく。

(続く)

【やまゆりファーム訴訟】第一回期日2016年10月31日

 愛護活動現場における不祥事に対し法的措置が取られる事は余りありません。
 まともな団体や活動家に限っていえば動物保護に手一杯で、裁判に時間や手間をさく余裕がない実情があります。
 反社会的勢力や精神異常者はやたら告訴提訴に熱中しますけどね(ノ∇≦*)

 しかし今回のやまゆり訴訟は、岡田さんが「希望の牧場」に置き去りにした60頭余の牛の所有権を放棄していない事もあり、このままうやむやには出来ない案件です。岡田さんは経済力がないので、判決が出ても請求金額は支払えないでしょう。希望の牧場側も最初から金がかかって金はとれない訴訟との認識で提訴しています。

 事件発生直後には「一緒にやってきた団体同士で諍いをして欲しくない」と言っていたサポーターさん達も、二年近くが経過した今、逃げの一手でだんまりを続けている岡田さんに対し、「岡田さんは一体、。どういうつもりだ?」と批判に転じ、提訴は当然の措置と受け止めています。

 岡田さんの”(希望の牧場からの)独立話”に当初は協力していたK氏も離反。唯一K氏の電話には出ていた岡田さんは、いつも酔っている状態だそうです。
  
kibou927.png


 なお、第一回期日に先立ち、徹底討論会が開催されます。
 →『10月29日に開催決定!「原発事故から5年目、警戒区域の命を考え、行動する徹底討論会」
 岡田さんにも招待状はいっているそうですが、返事はありません。

20161011.png

20161012.png


続く)

希望の牧場 VS やまゆりファーム・岡田久子氏(被告):第一回期日

 連絡がありました。
 第一回期日は10月31日(月)。

 追記:ツイートも出てますね。
     明日、こちらでも記事を掲載します。

【希望の牧場】やまゆりファーム・岡田久子氏を提訴

 「希望の牧場」公式サイトに訴状が公開されています。ご覧下さい。

 ・2016年09月19日付け『動物愛護団体「やまゆりファーム」に対する訴訟の提起のお知らせ

 牛を置いて、牛で集めた寄付金を持ち逃げした岡田さん。
 2年が経過した。「希望の牧場」はとうとう提訴せざるを得なかった。
 うやむやに終わらせることの出来る問題ではない。

 岡田さんは速やかに実体のない「やまゆりファーム」を解散し、牛の所有権を放棄すると同時にやまゆりファームの会計報告(領収書添付のこと)を希望の牧場に提出し、口座を引き継ぐこと。
 その上で、この二年間で発生した債務金額について「希望の牧場」に寛大な処置を望むのなら、希望の牧場は話し合いに応じるだろう。と、私は思っています。
 岡田さん、これが最後のチャンスです。
 過ちは改めるにしくはなし。

明日2016/9/20(火)の希望の牧場公式サイトは必見!

 (日を間違えていたので訂正しました。)
 20日、希望の牧場公式サイトを見て下さい。
 お知らせが公表されます。

【希望の牧場】やまゆりファーム・岡田代表を提訴

【訂正 2016/7/17】未だ訴状を準備中とのことです。7月中に裁判は無理ですね。

 先ほど、希望の牧場の吉澤代表からお電話頂きました。
 希望の牧場が岡田さんを提訴しました。代理人は猫一筋の林弁護士です。
 7月中には裁判が始まる由。

 おって希望の牧場公式サイトに声明が公開されるのでご覧下さい。

【どうぶつ救援本部(現一般財団法人ペット災害対策推進協会)不当訴訟】控訴審判決文

 アニマルレスキューシステム基金が2016.02.03付けで控訴審判決文(2015年12月9日付け)を公開しています。
 原告側の完全敗訴確定です。過ぎた話ですが、無駄な裁判でしたね。
 
 控訴審判決文

なにを今更・・・ 「やまゆりファーム」?


(°_°)未だに「やまゆりファーム」を名乗る神経が分からない・・・

CgfXznyUIAEcAD3.jpg

『出張仕事でへろへろになって事務所に戻ったら岡田からの手紙
2013年9月、牛を置き去りにして姿を消し、
2014年4月に新牧場ができたと世迷言を宣い、
そんなひとにいまさらこちらから何を言ってやれる?』

CgfYFc9VAAArYxK.jpg

あえて言うとしたら「もう遅いよ」と

【大分県】災害時の被災動物救護活動に関する県と獣医師会の協定

【協定】県と獣医師会、被災動物の救護で 応急手当てや健康管理 /大分
毎日新聞2016年3月11日 地方版

 県は11日、災害時に被災した動物の救護活動に関する協定を、県獣医師会と締結する。県内・近県で大規模災害が起きた場合、県獣医師会に所属する獣医師が、市町村が設置する動物の避難所などで、負傷した動物の応急手当てや健康管理を行うほか、餌やケージなども提供する。費用は一般財団法人「全国緊急災害時動物救護本部」の支援金などを充てる。

 東日本大震災では、多くの住民が避難。飼い主とペットが一緒に避難できた場合でも、避難所には動物が苦手な住民もおり、取り扱いに苦慮するケースがあった。ただ青森、岩手、宮城の被災3県は震災前から獣医師会と協定を結んでおり、動物避難所を設けるなどして対応したという。

 県は2月、被災地域でのペットの保護や危険な動物が逃げた場合の対策、避難所での動物の保護について「被災動物救護対策指針」を策定した。これを受けて今回、協定を結ぶことにした。

 獣医師でもある県生活環境部の佐伯久参事監は「大規模災害時の動物への対応は行政だけでは難しい。ペットの長期の保護も獣医師会の助けがないとうまくいかず、事前に協定を結ぶ意義は大きい」と話す。【西嶋正法】



 自治体と獣医師会の協定は未だ全国揃い踏みには至っていませんが、締結済みの自治体数は多いです。

参照:
公益社団法人日本獣医師会
・平成19年8月「災害時動物救護の地域活動マニュアル策定のガイドライン」
・平成25 年6月「緊急時動物救護取り組み体制のあり方

環境省
・平成25年6月「災害時におけるペットの救護対策ガイドライン

 

【緊急災害時動物救援本部に対する不当訴訟】原告完全敗訴

 平成28年2月3日付け控訴判決文が公開されています。高裁は第1審判決を全面支持、原告側の完全敗訴です。
 事実関係の認定はほとんどが第1審で行われるので、地裁判決文を公開しない原告側には疑念を持ちます。公正さを欠くやり方です。仲間内では配布しているようですが、一般公開はしていません。

 予想通り、原告完敗。元々無理筋訴訟ですからこれ以外の結果はあり得なかった。
 控訴審判決文は個人情報丸出しの形で公開しています。原告被告の個人住所がそのまま公開されていて、故意だとしたら、山崎ヒロ氏の品性を疑わせるやり方です。

2015/12/12 「災害時動物医療―伴侶動物を守るために」

 ブログ「幸せなペットを増やすために」さんのレポートです。
 
 All hazard approachの策定と平常時からの人材育成(獣医療関係者&ボランティアと飼主の両方)。
 この体制作りだけでも大仕事、年数がかかります。
 地域やボランティア団体等に格差が著しく、地域に根差した体制作り、人材育成が大事ですね。
 『(ボランティア)スタッフが個別に自己判断に基づいたバラバラの行動をとらないよう徹底しておくことが重要』。
 
 新潟県は進んでいますよ。
 鳥取県はこれからですが、「人と動物の会」の存在がありますから、着実に進んでいくと思います。
 私も「鳥取共生動物市民連絡協議会」の活動を再開し、体制作りに努力していきます。
 
 

平成27年12月をもって福島県動物救護本部三春シェルターが閉鎖。

 平成27年12月付け「福島県動物救護本部三春シェルターの閉鎖について

 4年8か月にわたる長期の活動、本当にご苦労様でした。
 未曾有の大災害が福島第一原発事故を引き起こし、福島県は他の被災地とは別途、苦渋に満ちた復興への道程を模索せざるを得ませんでした。動物救護本部の活動が異例の長期化をみたのも、原発事故の特異な状況を反映しています。福島県では、県ではなく県獣医師会が動物救護本部を立ち上げましたが、これも異例な事でした。
 
 福島県動物救護本部義援金口座は、平成26年(2014年)4月30日をもってを閉鎖され、三春シェルターは義援金残額で昨年末まで運営され終了しましたが、資金には困らなかったと思います。
 *義援金総額は453,155,113円(緊急災害時動物救援本部からの義援金配分・福島県等からの業務委託料・缶バッチの売り上げを含む)。  「福島県被災ペット救護に係る義援金の御礼 」を参照のこと。

 ところで、福島県動物救護本部の活動終了に伴い、またぞろ、緊急災害時動物救援本部に対する筋違いの中傷がインターネット上で拡散されています。彼等の主張は、他人様の懐を狙った”たかり”めいたものとしか思えません。

 中傷の発信者はいつも同じです。「犬猫救済の輪」と称す、エンジェルズ・林俊彦、どうぶつ基金・佐上邦久と関係のある団体です。神奈川県ボランティアの方達の話では、「私の知る限り、25年間に渡り犬猫保護で生計を立てている人」「結昭子は本名ではない」「関わらないようにしているボラさんも多い反面、”餌”につられた人が集まっている。餌に釣られた後、酷い目にあって逃げて来る人もいる」「もう70近い人。悪徳ブリーダーと同じで、後継者にバトンタッチもせず、最後までレスキュー家業にしがみついているが、健康ではない。それだけの働きが出来ない以上、客観的には引退が妥当」等々。

 wikiによれば、通称名の使用に法的規制はないが、通名での法律行為は不可、しかし『在日外国人の通名は、居住する区や市町村への登録を条件として、住民票に記載され、法的な効力を持つ。2016年現在の実務上、通名は登記などの公的手続に有効に使用することができ、契約書など民間の法的文書にも使用できる(単なる自称では、詐欺罪や文書偽造罪などに問われる場合がある)。』そうです。
 いずれにしても、犬猫保護でメシを食う以前、40代半ばまで何をしていた人かは、神奈川のボラさん達の間では不明だそうです。

 救援本部に対する中傷に関しては別記事で少し触れておきます。

「被曝牛の飼料」を「汚染牧草」と言い換える福島県は不愉快!

 「被曝牛の飼料」を「汚染牧草」と言い換えて、あくまで搬入を妨害しようと国に法整備まで求める福島県。
 汚染された福島は除染で元には戻らない。汚染されたのは福島だけではない。
 今も汚染は進行中だ。
 そこに住み続けるのか、離れたいのか、住民一人一人が決める事だし、選択の自由を担保する経済的賠償をする事からスタートすれば、物事は合理的に収まるべきところに収まっていっただろうに・・・。

 原発を誘致したのは誰なのだ?福島県は承認した事実を棚上げして物を言っている。
 国に積極的に依存し追随する姿勢は、3・11以後も少しも変わっていないとしか思えない。
 福島県の対応は不愉快である。
  


<原発事故>森林除染見直しを 福島県など要望
河北新聞 2016年01月05日

 東京電力福島第1原発事故の被災地の森林除染をめぐり、福島県と同県の被災市町村は4日、除染範囲を森林全体ではなく住宅周辺などにとどめる国の方針を見直すよう環境省に要望した。調査研究を進めながら、森林全体の放射線量の低減につながる方策を示すよう求めた。
 畠利行副知事らが丸川珠代環境相に要望書を手渡した。畠副知事は国が昨年12月に示した森林除染の方針に対し、「『(全体を)除染しない』と結論付けず、実効性ある方策を構築してほしい。避難区域には周辺を森林に囲まれた集落が多く、住民は不安を抱えている」と訴えた。
 丸川氏は「福島県の皆さんにとって、森や林が暮らしの一部であることをしっかり受け止める」と述べたが、方針を再考するかどうかは明言を避けた。

 県側は要望で、白石市が昨年10~11月、原発事故に伴う放射性物質を含む市内の牧草を被ばく牛の餌として「希望の牧場・ふくしま」(福島県浪江町、南相馬市)に運び入れた問題にも言及。汚染牧草を福島県内に搬入させないための法整備などを環境省に求めた。



【緊急災害時動物救援本部に対する不当訴訟】敗訴の原告が控訴理由書公開

 控訴理由書が公開されました。「第6回口頭弁論 2015.06.10」【原告の主張】/【被告の主張】も公開されていますね。
 しかし判決文は掲載されていません。控訴理由書で概要を知ることは出来ますが、こういう情報操作を私は好みません。原告の一人、日向さんは「忙しいからじゃないか」と、山崎さんに他意はないと思ってらっしゃるようですが・・・ どうですかね、案外、こういう所に性格が表れたりするものです。やみくもな一方的な自己主張を正義と履き違え、判決文アップを怠る行為は、まるで相手方の主張を認めない姿勢を示しているように思います。 

 この提訴、意味があるんでしょうか?
 クリーンな団体に言い掛かりをつけるより、詐欺的愛護団体を提訴してくれればいいのにと思います。
 詐欺師まで養う余裕は動物愛護活動の世界には無いですからね。 

白石市「移送は合法。農家と牧場を助ける人道的措置」♡

 浪江町の馬場町長の『国や県の方針に反すことであり大変遺憾だ。』という発言こそ、甚だ遺憾でありますよ。
 首長が小官吏のような思考停止の服従姿勢でどうする?
 事前に連絡して欲しかったというのは一応、一理ある。でも、事前に知らせたら、騒ぐでしょ?事前にトラブルが起こるのを回避するのも、また道理だ。

 一方、白石市の佐々木副市長は『今回の件は違法行為ではなく、動物愛護の観点から決断したことで、我々の行動は正しかった」と述べた』。自治体が違法性のない所で、住民の需要のマッチングを素早い実行力で決断したのを、私は支持する。自主的な決断力と実行力が復興の力となる。
 お礼の気持ちを白石市のふるさと納税で\(^o^)/
 *『白石市では、1回1万円以上ふるさと納税寄付金をいただいた白石市以外にお住まいの方へ、白石市への応援に対する感謝の気持ちを込めて、寄付金額に応じて市内事業者が提供する地元特産品等をお贈りしております。
御礼の商品等の数は、1回当たりの寄付金額が1万円以上から6万円以上までの6段階となっており、金額が増えるほどお得度が増しますので、ふるさと納税を活用し、ふるさと白石をご支援くださいますようお願いいたします。また、1年当たりの寄付回数に制限はありませんので、何度寄付をいただいても寄付金額に応じた地元特産品等をお贈りします。』(カタログ

 「希望の牧場」公式サイト 11/20 メディア報道まとめ


NHK東北 11月20日
 白石市が、原発事故で出た放射性物質で汚染された牧草を福島県の牧場に運び出したことについて、地元の浪江町の馬場有町長が白石市役所を訪れ、「ほかの汚染廃棄物の搬入につながるおそれがある」などとして、抗議しました。
 白石市は、福島県の南相馬市と浪江町にまたがる牧場「希望の牧場・ふくしま」からの要請を受けて、先月から今月にかけて、原発事故で発生した放射性物質を含む汚染された牧草およそ500トンを被ばくした牛のエサ用として運び出しました。

 これについて、浪江町の馬場町長が20日午後、白石市役所を訪れて佐々木徹副市長と面会しました。
 この中で馬場町長は、「市が汚染された牧草を運びこむことはきわめて遺憾で浪江町民の帰還意欲の低下を招くうえ、ほかの汚染廃棄物の搬入につながるおそれがある」とする抗議文を手渡しました。
 その後の会談は非公開で行われましたが、白石市によりますと、白石市側は「運び込んだのは8000ベクレル以下の牧草で牛も出荷を目的としていないもので問題はない」と主張したということです。

 面会のあと馬場町長は、「町に事前の相談通告もなく、国や県の方針に反すことであり大変遺憾だ。
 浪江町としては牧草は受け入れない」と述べる一方、佐々木副市長は「今回の件は違法行為ではなく、動物愛護の観点から決断したことで、我々の行動は正しかった」と述べました。

 これに先立って、「希望の牧場・ふくしま」の吉沢正巳代表が20日午前、宮城県庁を訪れて農林水産部の横山亮一次長と面会しました。
 吉沢代表は「汚染牧草は被ばくした牛のエサとして必要なものだ。農家も自治体も処理方法に行き詰っているが私たちの牧場に運び込めば解決できる」などと述べました。
 その上で、県内に保管されている放射性物質の濃度が1キログラムあたり8000ベクレル以下の汚染された牧草や稲わらについて被ばくした牛のエサ用として白石市以外の分も運び入れを認めるよう要請しました。
 これに対し、横山次長は「白石市は農家を思っての苦渋の判断だったとは思うが、浪江町にも帰還したい人もいるだろう。県としては汚染された牧草を利用しないよう自粛を求める方針に変わりはない。まずは福島県や浪江町と牧場側とで話しあってほしい」と述べました。

 要請を終えたあと吉沢代表は記者会見し、「原発事故で国は被ばくした牛を殺処分するよう指示したが、私たちは見捨てられないと思い方針に従わずに牛を飼いつづけると決めた。エサがなければ牛たちは餓死してしまうので、白石市の判断は勇気をもった英断であり本当に感謝している。今後浪江町などが私たちの業務を妨害するようなら法的な措置も検討したい」と述べました。




 国は黙って引っ込んでらっしゃいよ!
 協力するなら別だけど。被災地の自治体同士を衝突させるような真似、しないでよ!

【宮城県白石市】汚染牧草を「希望の牧場」へ飼料提供ー自治体の適正な判断力ー

  『山が動いた、、』@希望の牧場ツイッター

 希望の牧場スタッフの地道で堅実な努力が実った\(^o^)/
 希望を捨てず、決して諦めなかった関係者の皆さんが道を開いた(*^_^*)
 どんだけ大変だったか!
 傍から見ていても長く険しい道のりでした。
 おめでとうございます♡

 農家の皆様、白石市役所の皆様、有難うございました(^-^)/



<汚染牧草>処理めど立たず「希望の牧場」に
河北新聞 2015年10月30日

 宮城県白石市は29日、東京電力福島第1原発事故の放射性物質を含む牧草を福島県で被ばくした牛を飼う「希望の牧場・ふくしま」(浪江町、南相馬市)に運ぶ事業を始めた。市側は大量の汚染牧草を保管する畜産農家の負担を取り除き、牧場側も常に不足する飼料を確保できる利点がある。

 白石市内の畜産農家には、国の基準値(1キログラム当たり100ベクレル)を超え、飼料として使えない牧草ロールが約1100個(1個300~500キロ)ある。保管の長期化でラッピングの損傷が激しいため、廃棄物保管専用袋に詰め替え、大型トラックで約70キロ離れた希望の牧場に運搬する。11月中に終える予定で、事業費は約1400万円

 市は当初、牧草ロールを3カ所の仮置き場に集約する事業を計画し、9月定例議会で関連予算が成立した。一方、希望の牧場から牧草の提供を求められた農家の情報を得て、牧場と協議して方針を変更した。
 仙南で広域処理するめどが立たない上、仮置き場に保管していずれ焼却するとしても費用がさらに膨らむ背景もある。市幹部は「われわれは困っている畜産農家の代弁者。互いの課題も一気に解決できる」と説明する。

 希望の牧場で飼育されている牛は300頭以上。食用出荷はできないため、募金や書籍販売の収益で餌代などを賄っている。一般市民に原発事故のありさまを伝えるとともに、大学の研究者も調査に訪れる。
 代表の吉沢正巳さん(61)は「国の方針とは合わないかもしれないが、合理的な処理方法だ」と指摘。「被ばくしたからと言って命を粗末に扱い、見捨ててはいけない。原発事故の生きた証しとして、寿命まで世話したい」と話し、他にも協力を呼び掛ける。



希望の牧場公式サイト
【2015年10月30日】代表声明 10.30
 
希望の牧場は、大震災・原発爆発事故以降、5年近くに及び、警戒区域において、330頭の被ばく牛の命を、国・農水省・福島県の餓死、殺処分という悲惨な扱いのなかで抵抗を続け、生かしてきました

 希望の牧場の毎日の仕事は、とにかく、いかに330頭の牛たちの餌を必死になって集め運び、そして与えること、これに尽きます。経済動物であった黒毛和牛はいまや、原発事故の被ばく影響研究調査の貴重な生きた証拠に変わっています

 昨日から、宮城県白石市より、被ばくした汚染牧草ロールの餌としての希望の牧場への搬入が、市の費用負担によって、始まりました。希望の牧場がずっと主張してきた通りに、汚染牧草ロールは、出来もしない国・環境省による、宮城県加美町における焼却処分ではなく、被ばく牛の餌として、有効に活用する道がようやく開けたのです

 白石市の方針を大歓迎します
 岩手県、宮城県、栃木県、福島県の汚染牧草ロールの保管処理に大変苦労している現場自治体のみなさん、今回の白石市の決断に続いて、希望の牧場への汚染牧草ロールの搬入をお願いします


 福島原発事故を忘れ、風化させないために、被ばく牛の存在と生かす意味を知ってもらために、
 希望の牧場は、牛の寿命が尽きるまで、汚染牧草の被ばく牛の餌としての活用を呼びかけます

         2015年10月30日
         一般社団法人希望の牧場・ふくしま代表 吉沢正己




参照:
2015年07月20日 河北新報】<汚染牧草>被ばく牛の命綱に

 栗原市などで発生した汚染牧草の一部は福島県内に運ばれ、被ばくした牛の飼料として活用されている。
 南相馬市、浪江町にまたがる「希望の牧場」。東京電力福島第1原発事故の影響で食用出荷はできないものの、募金や書籍販売の収益で和牛約330頭を飼育している。
 牧場は2012年ごろ、宮城、栃木両県から広域的に飼料集めを始めた。牧場の吉沢正巳代表(61)は「栗原からは5000個程度のロールを運んだ。牛の窮状を知った農家が提供してくれている」と話す。
 1キロ当たり100ベクレル超の放射性セシウムを含む汚染牧草は本来、飼料に活用できない。国は焼却を目指すが、灰処理のめどが立たず農家による保管が続く。
 牧場周辺には、被ばく牛を飼うことによる環境への影響を懸念する声もある。吉沢さんは「牛は被ばくの実情を探る研究材料になる。岩手などにも飼料の供給先を開拓し、あと5年は牧場を運営したい」と理解を求める。


【緊急災害時動物救援本部に対する不当訴訟】原告の請求棄却、原告控訴

 緊急災害時動物救援本部を被告とする不当訴訟の判決が出たようですね。
 2015年9月2日付けで、東京地方裁判所は原告の請求を棄却しました。
 原告は9月14日付けで控訴

 アニマルレスキューシステム基金(山崎ひろ氏代表)が仕組み、原告募集で僅か4名を原告として始まった裁判ですが、言い掛かりめいた不当訴訟です。山崎さんは判決文を掲載すべきですね。訴状と答弁書を掲載して、敗訴判決を掲載しないのはおかしいでしょう。

「やまゆりファーム」問題:基金の持ち逃げと約60頭の牛の置き去り

 「 「やまゆりファーム」基金の持ち逃げ問題に最後通牒」の続報です。

 吉澤さんは未だ書面を岡田さんに出していません ┐(´-`)┌
 けじめをつけないわけにはいかないだろうという理性と、告訴しなくて済むならしたくないという心情と。吉澤さんもシンドイ想いをしています。
 他のスタッフと話し合った結果、書面を岡田さんに送ることは止め、弁護士に事件を一任し告訴手続きに入る事にしたそうです。岡田さんは話が通じないし、書面を受け取れば恫喝的な強要としか受取らないでしょう。告訴しても、大きな事件ではないので、警察も逮捕するような事はないだろうという事でした。吉澤さん達は最後まで、岡田さんを傷付けないで問題解決出来ればと願っていたようです。

2014年6月7日「松村直登・藍原寛子対談」

 私の主宰する「鳥取共生動物市民連絡協議会」では、他団体と連携して 中村真夕監督「ナオトひとりっきり」の鳥取県内リレー上映会を予定しています。
 映画は現在全国を一巡中で、自主上映会申し込み受付は数ヶ月先のことになりますが、時期がくれば実行委員会を発足しますので、関心のある方は仲市までご連絡下さい。

 原発20キロ圏内の自宅にとどまり、置き去りにされた家畜の世話を続ける松村さんの報道は、海外メディア先行で国内メディアはほとんど取り上げてきませんでした。ご紹介する2014年6月7日の対談の中で、2011年当時の国内報道規制の実態と、社の方針と対峙する個々のジャーナリストの奮闘の裏話が出てきます。その一つ、「毎日新聞2011年12月14日付けの記事」は下記サイトに全文が転載され、今も読む事が出来ます。どなたか知りませんが、記者の発奮の賜物ですね♪
 ・「毎日新聞:「警戒区域に独り 井戸水とろうそくで生活」富岡町の松村直登さんインタビュー(APに遅れること3ヶ月半、BBCに遅れること3ヶ月)」


 
 異常な状況に正面から向き合い、ユーモアを交えた松村さんの率直なお話は、東電本社相手の激しい場面を語りながら平常心を失わず、生き抜く力と日常のぬくもりや穏やかさを感じさせます。

 リレー上映会へ向けて、今後も松村さん関連の記事を随時、ご紹介していきます。

「やまゆりファーム」基金の持ち逃げ問題に最後通牒

 「Y問題」=やまゆりファーム問題です。
 吉澤さんは、内容証明付きで岡田さんに最後通牒を出すとおっしゃっていました。
 要求は、
 1 速やかに「やまゆりファーム」を解散する。
 2 希望の牧場が飼育している「やまゆりファーム」の牛の所有権を、速やかに放棄する。
 3 やまゆりファームの基金を速やかに希望の牧場に引き継ぐ。

 期限は9月末です。
 岡田さんの速やかな対応がない場合、事件は刑事司法に委ねられます。

 希望の牧場さんは、寄付金の問題でボランティア間で法的措置を取る事に抵抗感があったのですが、それはやはり「告訴権の濫用的不行使」に該当します。このままにしてはいけません。
* 告訴権の濫用的不行使とは、告訴をする義務があるのに告訴をしない場合、または、告訴をするのが適切なのに告訴をしない場合をいう。後者を狭義の濫用的不行使と呼び、前者を含めたものを広義の濫用的不行使と呼ぶ。

 やまゆりファームの牛の出自は「楢葉の牛」です。元々は根本牧場の牛達だった。
 蓄主の健康上の理由で致死処分以外の選択がなくなった時、永澤さん達が何とか生かしたいと、希望の牧場に無理を言って縋ったものです。吉澤さんは一度断ったものの、千件近い「お願い投稿」にほだされ、受け入れた経緯があります。
 もし当時私が見守っていたのなら、「お願い投稿」は「お願い」だけだから、虫のいい「お願い」に耳を貸すなと忠告したでしょう。お願いする人達は他力本願で何もしない人達だから、60頭を越す無理な頭数を引受けるべきではないと強く主張したでしょう。
 実際、希望の牧場関係者の中には、この「お願い」を胡散臭く見ていた人も少なくなかった。

 引受けるのなら引受けるで、最初から楢葉の牛を希望の牛として合流させれば、問題は無かったと思います。 客観的にみて、そうするのが適切だった。
 ふるここの谷さんもそうですが、「楢葉の牛」ボラさん達も、現実のキャパを無視して、「私(達)が」助けるんだという妄想を持っているんですね。「私(達)が」が味噌なんです。愛護特有の臭みです。自己の承認欲求と動物救護の気持ちが不可分に一体化していて、それが一般の人々に漠然と違和感を感じさせるのですが、多分、吉澤さんも考えるともなく、それを感じ取り、それならそうしてあげようと思ってしまった。牧場は現場の人手を必要としていたし、「千件のお願い投稿」に現場に来る人が増えることを期待する気持ちもあったでしょう。

 それが間違いの元。ー今だから言えることですが・・・

 楢葉の牛は附金集めに利用され、根本牧場にいる時にはサラ・ネットワークの谷野が勝手に「ファーム・アルカディア」を立上げ、移転の時には寄附金の残額を持ち逃げしています。
 今、岡田さんが谷野と同じ事をしている。

 その岡田さんは以前、谷野を訴えるといって永澤さんから弁護士の相談費用10万円を引き出していますが、結局、法的措置は何もとられなかった。10万円に関して永澤さんは何も追求するつもりは無いと言明しており終わったことですが、谷野を批判した岡田さんが同じ行動に走り平然としているのが解せません。
 

2015925yamayuri.png

続きを読む

日常的使用で命の輝きを増す「望郷の牛」(知足美加子氏作)

 進化し続ける「望郷の牛」。

 「プロメテウスの罠」によれば、吉沢さんが「望郷の牛」を赤く塗ってしまった時、事務局スタッフは慌てたらしい。
 ご寄贈頂いた芸術作品に、素人が勝手な手を加えたりして!

 『 心配したスタッフの針谷勉(40)は、知足に謝罪の電話を入れた。予想に反して、おおらかな答えが返ってきた。
  「作品は私の手を離れ、吉沢さんのもとで歩き出しています。私に赤は塗れないけど、それが吉沢さんの怒りの真実の色ならば、これもまた必然です」むしろ、本来は動かない彫刻作品が、吉沢の言葉とともに全国各地を動き回ることに、「新鮮な驚きと喜び」を知足は感じた。』


知足美加子氏作「望郷の牛」 The Cow with Nostalgia
boukyou4.gif

「望郷の牛」は国展(国画会)出品後、
2012年8月6日に「希望の牧場」に寄贈された。
namie21.gif

3ヵ月後、「望郷の牛」は紅に染まり、
凱旋行動で「希望の牧場」のシンボルになっていく。
BrGGWtQCEAEzhnr.jpg

吉沢さんの更なるリクエストに応え、鳥澤さんが、ライト装置を装着。
『街宣車をフラッシュなし、フラッシュあり、LED点灯の順に撮ってみた結果・・・
何とも神々しい?望郷の牛が浮かび上がる・・・これ・・・公道走れるのか?(=ω=;) 』
CE4RYrIUsAEffHW.jpg

吉沢さんは「望郷の牛」に、ドンドン、やりたいように手を加えていく!
『 紅いリボンは、口から血を流して死んでいった牛たちの無念を表現したんだ by 吉沢父さん 』
CFSVsxFUkAArHu7.jpg

沖縄凱旋で、吉沢さんは彫刻家の金城実氏を訪問する。
「望郷の牛」に喜んだ金城さんが指示を出し、望郷の牛に農業用の黒いネットが詰められた。
生みの母・知足さんから数えて、二人目の芸術家の手が加わり、
「望郷の牛」は威風堂々と辺りを払う「黒毛和牛」に変身!
どうよ、この存在感!さすが芸術家!手の加えようが違う!すごっ!
ベルポンさんのツイッターから
CILksWZVAAAKdHx.jpg
畠山理仁さんのツイッターから
CIKYzRoUkAAvG6V.jpg



そして、今また、吉沢さんがいじくっているようです・・・・・
11703096_617315078410539_1279529187009669700_n.jpg 
11403143_617315118410535_4269543984852979395_n.jpg

 どれだけイジクられようと、「望郷の牛」の訴える力は変わらない、元がいいから。
 製作者の力量を感じます。
 九州大・知足美加子准教授さんの作品「望郷の牛」は、展示作品が福島第一原発事故の歴史の中で歩き出し、独自の存在感をますます発揮しています。私には、あのイダイな故シゲシゲと「望郷の牛」が、なぜか重なって見えるのです。
 

朝日新聞【プロメテウスの罠】希望の牧場シリーズ 4

 ・朝日新聞【プロメテウスの罠】希望の牧場シリーズ 1~10
 ・朝日新聞【プロメテウスの罠】希望の牧場シリーズ 11~20
 ・朝日新聞【プロメテウスの罠】希望の牧場シリーズ 21~28



No.1321
29 ベコ・トラ、沖縄行脚

 福島県浪江町の「希望の牧場」代表・吉沢正巳(61)は6月22日朝、那覇市の那覇新港フェリー埠頭(ふとう)に上陸した。牛をかたどった大きなオブジェをトレーラーに載せ、それをワゴン車で引っ張ってきた。
 自称「ベコ・トラ」(牛のトラック)。トレーラーの車体には「原発一揆!」「決死救命、団結!」、大きな拡声機を付けたワゴン車の屋根には「東電、国は大損害つぐなえ」の文字が躍る。吉沢は東京電力福島第一原発の事故以来、全国各地から講演に呼ばれ、被曝(ひばく)牛の実態を訴えてきた。だが、ベコ・トラで沖縄を行脚するのは初めてだった。

 「歓迎 初来沖 連携しよう! 福島×沖縄」「ようこそ」
 埠頭では、原発事故後に京都市から一家4人で那覇市へ移住した西尾舞(にしおまい)(36)が手作りのプラカードを掲げ、長男の淳之介(じゅんのすけ)(8)や次男の龍之介(りゅうのすけ)(5)とともに出迎えた。
 「過激なプラカードは作れませんでした。活動家ではないから」西尾がはにかむ。那覇市内で2日後に開く吉沢の講演会を、生協活動の仲間と準備してきた。住んでいた京都市は若狭湾の原発群から60キロ圏内に位置する。
 「福島第一原発から同じ距離圏の福島市や郡山市から避難した人も大勢います。事故が起きてからでは遅い。原発のない沖縄への避難は、夫もすぐに賛同してくれました」

 吉沢は上陸すると、空路で駆け付けた東京都のコピーライターで牧場サポーターの里見洋子(さとみようこ)(60)らと合流。名護市辺野古に向かった。俳優の故・菅原文太は晩年、病身をおして東京・渋谷の街頭に立ち、演説する吉沢に声をかけ、福島の反原発運動を支えようとした。生前の最後の取り組みが、辺野古の米軍基地新設反対運動への連帯だった。
 恩を返す。遺志を継ぐ。吉沢には、そんな思いもあった。

 「僕たちは原発事故で自分の町が崩れていくのを体験してきた。いま改めて、米軍基地に故郷を奪われた沖縄の人々の長年の苦しみが、理解できるつもりです」 吉沢の演説を拡声機で流しながら、ベコ・トラが辺野古の新基地建設現場に近づくと、反対運動のテント村の人々が拍手で迎えた。テント村の「村長」を務める安次富浩(あしとみひろし)(69)は、吉沢を海辺の監視テントに招き入れ、語った。
 「あなたの話はよく分かる。牛はものを言えない」


No.1322
希望の牧場:30 牛はものを言えない

 「牛は自分の命を助けてくれとは言えないんだ」 6月22日、沖縄・辺野古。米軍基地新設反対運動のテント村で村長の安次富浩(あしとみひろし)(69)は、「希望の牧場」代表・吉沢正巳(61)の言葉に一つひとつうなずきながら、自らの思いを口にしていった。
 「牛の話を、人に置き換えればいい。国が福島県民の命をどれだけ大事にしているかが見えてくる」
 「畜産農家が反対できないことを、問答無用で強行した。今の沖縄の問題にもつながる。当事者が気づいて声をあげていかないと、権力の思うがままだ。権力に命の選別をさせてはならない」
 東京電力福島第一原発事故の前までは、福島県浪江町の牧場から肉牛の買い付けによく来沖していたことや、今の牧場の牛の4分の1以上が沖縄系といえること……。向き合う吉沢は、そんな沖縄とのゆかりも安次富に伝えた。

 テントの外では、吉沢の宣伝カー「ベコ・トラ」(牛のトラック)に人々が群がっていた。
 反対運動を支援した故・菅原文太主演の映画「トラック野郎」に登場する派手な装飾の「デコ・トラ」(デコレーショントラック)をもじり、宣伝カーの通称にしていることを、吉沢は誇らしく説明した。

 近くの米軍キャンプ・シュワブ前でも演説し、351日目の座り込み抗議行動に参加した後、読谷村(よみたんそん)の彫刻家・金城実(きんじょうみのる)(76)の自宅アトリエに急いだ。昨年9月、神奈川県鎌倉市であった対話集会で同席した金城から、「6月23日は沖縄『慰霊の日』。当日の行動の準備に仲間が集まるから」と招かれていた。

 ベコ・トラに載った大型成牛の等身大オブジェに、金城は目を細め、子どものようにはしゃいだ。
 オブジェは元々、九州大准教授の知足美加子(ともたりみかこ)(49)が3年前の国展に出展した立体芸術作品だった。原発事故で飼い主を失い、エサを求めて放浪し、野生化した牛たちをイメージしたもので、「望郷の牛」と名付けられた。
 同じ時期に東京で開かれていた牧場の写真展を見た知足が、「やり場のない痛み」を感じ、出展後に作品を牧場に寄贈した。牛の体の輪郭に沿って鉄の棒を立体的につなぎ、白く塗った造形。牛の帰る場所が未来にあることを願いつつ、知足は祈るような気持ちで作った。


No.1323
31 怒りの色に染めた

 オブジェの牛は空を見上げて首をかしげているようにも、人間に向かってある問いを投げかけているかのようにも、見える。
 「なぜ、こんなことに?」

 九州大芸術工学研究院の准教授・知足美加子(49)が自らの立体作品「望郷の牛」を福島県浪江町の「希望の牧場」に運び込んだのは、3年前の夏だった。牛の輪郭に合わせ、直径13ミリの鉄の棒を一本いっぽん、溶接してはつなぎ、白く塗装を施したスケルトン(骨格)のような造形。牧場の一角に置かれた。
 東京電力福島第一原発の事故からまだ1年半。一面に広がる牧草の緑や阿武隈山系の山々、空の色が牛の体を透過し、失われた故郷の光景として見る者に迫ってくる。美術館の空間に置かれるのとは全く違う作品のようだった。

 3カ月ほど経った頃。作品を寄贈された牧場代表の吉沢正巳(61)は、白い輪郭を突然、真っ赤な塗料で塗ってしまった。
 「東京の街頭演説に連れていくから、目立つように革命の血の色に染めた」と、吉沢は悪びれるところがない。「芸術作品なのに」。吉沢らを支える牧場サポーターの間からも批判が出た。
 心配したスタッフの針谷勉(40)は、知足に謝罪の電話を入れた。予想に反して、おおらかな答えが返ってきた。
 「作品は私の手を離れ、吉沢さんのもとで歩き出しています。私に赤は塗れないけど、それが吉沢さんの怒りの真実の色ならば、これもまた必然です」むしろ、本来は動かない彫刻作品が、吉沢の言葉とともに全国各地を動き回ることに、「新鮮な驚きと喜び」を知足は感じた。

 今年の6月22日。初めて沖縄入りした吉沢の宣伝カー「ベコ・トラ」は、読谷村の彫刻家・金城実(76)のアトリエ前に横付けされた。近くのサトウキビ畑の農道には、金城が制作した巨大な彫像「闘う漁夫」と「海を守る鬼神」を積んだトラックがとまっていた。荷台には「沖縄戦の慰霊とは辺野古に基地を造らせないこと」と書かれた看板も載っている。翌23日の「慰霊の日」に、首相・安倍晋三(あべしんぞう)(60)に見せようと準備していたのだ。
 金城は自作の彫像を吉沢に披露する一方で、ベコ・トラに載せられた「望郷の牛」の造形の見事さにうなった。


No.1324
32 「慰霊の日」牛がゆく

 今年の「慰霊の日」を翌日に控えた沖縄県の読谷村。
 自宅アトリエ近くで、彫刻家・金城実(76)はしばらく考え込むように腕組みをし、突然こう言った。
 「誰かスーパーで黒いゴミ袋を買って来い。白じゃなくて黒だぞ」
 目の前には、宣伝カー「ベコ・トラ」。その荷台には、鉄の棒をつなげて等身大の牛をかたどったオブジェ「望郷の牛」が立つ。
 一体何を言い出すのか。ベコ・トラで沖縄入りした「希望の牧場」代表・吉沢正巳(61)や、翌日の行動の準備で集まった誰もが驚いた。

 「牛の身体に詰めるんじゃ」
 近所の農家の人が黒い農業ネットを持ってくると「これでいい」。人々がオブジェの空洞に詰め始めた。
 やがて、誰もが目を見張った。 「かなしみの牛が、天にほえる怒りの黒毛和牛に変身しちゃった」。吉沢に同行した牧場サポーターの里見洋子(60)が驚嘆の声をあげた。

 一夜明けた6月23日、沖縄は戦後70年の「慰霊の日」を迎えた。
 「沖縄全戦没者追悼式」に出席する首相・安倍晋三(60)に作品を見せよう。金城が制作した「闘う漁夫」と「海を守る鬼神」の巨大彫像2体を積んだトラックと、福島県浪江町から来た吉沢のベコ・トラは、支援者らと読谷村を出発した。

 糸満市の式典会場の周辺は、厳しい交通規制が敷かれていた。ベコ・トラは途中、パンクした後輪の修理に時間をとられ、金城のトラックとはぐれた。金城は警備の警察官に止められたものの、その混乱の間に吉沢らは会場に近づけた。
 街頭演説こそ禁じられていたが、原発批判の言葉を掲げたベコ・トラは、怒れる「望郷の牛」を引っ張り、会場の周囲を何周も回った。沿道では大勢の人たちが不思議そうな顔をしながらも手をふり、拍手し、「がんばれよ」と声をかけた。

 翌日以降、那覇市内2カ所で講演した後、吉沢はフェリーで鹿児島に渡り、九州縦断の講演旅行を続けた。26日夕、ベコ・トラで福岡市の九州大を訪ね、准教授でオブジェ作者の知足美加子(49)と3年ぶりの再会を果たした。
 「社会の荒波に独り立ちさせた我が子が、久しぶりに実家に帰ってきたみたい」。そんな不思議な感覚を、知足は覚えた。
 「たとえて言えば、頭が茶髪になっていて、びっくりした。けれど、紛れもない我が子。独り歩きをこれからも見守りたい」


No.1325
33 慰謝料請求せずとも

 東京電力福島第一原発の事故後の絶望のまっただ中から、「希望の牧場」は生まれた。
 支え続けたのは、北海道から沖縄まで400人以上のサポーターに加え、寄付を寄せてくれる財政面での支援者たちだった。
 牧場の預金通帳に残るだけで、寄付は延べ1万件近く。非営利一般社団法人としての「希望の牧場・ふくしま」の事業収入はゼロで、活動経費はすべて寄付金が頼りだ。
 牛のエサは汚染牧草をもらってきたり、モヤシや果実の搾りかす、稲わらなどを無料か安く譲り受けたり。その運搬や交渉の費用、交通費などが支出の大部分を占める。
 施設の管理運営経費を加えると、年間1千万円は下らない。

 代表の吉沢正巳(61)は福島県浪江町の牧場内で暮らす。生活費は、各地から声がかかる吉沢の講演料や個人カンパを充ててきた。「食料の差し入れは多いし、独身で無趣味の俺にカネはかからない」と吉沢は笑い飛ばす。
 原発の事故を受け、避難指示区域の住民に東電から支払われる毎月10万円の慰謝料さえ、まだ請求していない。「面倒なんで」と関係書類をためたままにしている。
 事故の前に約330頭いた牛の損害賠償は、牛の所有権が提携先の会社にあったため、牧場には一銭も入ってこなかった。
 「とにかくカネには縁がないし、執着もない人。それも問題なんですけど……」。ボランティアスタッフの針谷勉(40)はあきれている。

 メディアを通じた訴え、街頭宣伝活動、写真展……。それらに伴い集まる寄付はこの4年間で、年平均1千数百万円あったので、ここまでやってこられた。法人の預金口座が底をつきそうになると一人で百万円以上をポンと送金してくれる篤志家や、街頭演説のときに置いた募金箱に1万円札を入れてくれる通りすがりの人もいた。

 横浜市の法政女子高の国語教師・出澤映子(でざわえいこ)(60)は、2011年3月の原発事故直後から、人影の消えた警戒区域内に入り、取り残されたペットの救援活動に関わった。一方で家畜が餓死し、殺処分されていくニュースに心を痛めた。吉沢の活動を知り、被曝(ひばく)牛を生かしていることに救われる思いがしていた。
 11月、カンパ金を持って牧場へ。以来、3カ月に1回程度訪ねては牧場の雑事を手伝い、吉沢を自分の授業にも招待した。


No.1326
34 「札束社会」の克服
続く

 横浜市の法政女子高教師・出澤映子(60)が、福島県浪江町の「希望の牧場」に泊まり込みで通い始めて4年近くがたつ。
 冬場のエサ不足や飼料運搬車の冬タイヤの交換などで経費が膨らみ、牧場の台所事情が苦しいときは、スタッフからの情報発信で状況が分かった。気づくたびに、給料などをためた中から数十万円単位の寄付をした。計200万円近くになる。

 今年2月、選択授業の講師に牧場主の吉沢正巳(61)を招いた。「ベコ・トラ」に幟(のぼり)を立てたワゴン車で現れた吉沢に、生徒らは喝采した。震災や原発事故をめぐり出澤は生徒に問いかけた。「弱者の命を踏みつけての繁栄なら、水俣病と同じ構造では?」。この日のテーマは「ほんとうの豊かさとは?」だった。
 「お金とか『豊かな生活』とか出世とか、俗世間の価値観からは最も遠い所にいる自由な人」。出澤は吉沢を自分なりに分析してみせる。

 一方で、「世話が焼けて困った人だ」と感じることも多い。独身の吉沢は日常生活では料理も掃除もしない。片付けも苦手だ。強烈な個性に引きつけられる支援者らがいる。半面、過激に見える言動で離れる人もいる。そんなとき、吉沢は寂しげにこう言うだけだ。「あの人はこのごろ来ないんだよ。会ってくれないんだよ。向こうに行っちゃったんだよね」

 もちろん、寄付金が底をつけば牧場は行き詰まる――。よく分かっているからこそ、理解を求めて「牛を生かす意義」を街頭や集まりで説明する。ただ、吉沢の言葉は大衆にこびない。むしろ、人々の生活や生き方に疑問を投げかけ、挑発する。
 「福島の避難民は今も、狭くて寒い仮設や借り上げ住宅で暮らしている。東京の皆さんは、きょうもこうして豊かな暮らしを楽しんでいる。東京オリンピック? 勝手にやればいい。だけどね、福島の原発事故をなかったことにはできませんよ」

 老衰で死んだシゲシゲという種牛がいた。威厳があって気が強く、背に乗るのを許したのは吉沢だけ。スタッフの針谷勉(40)は語る。「吉沢の目標は原発を乗り越えること、札束で人の頬をたたいてつくってきた社会の克服です。カネより命を大事にする社会の実現――シゲシゲを乗りこなす吉沢を見て、僕は確信しました」




【希望の牧場】「望郷の牛」、鳥取市を通過♪

APF通信社 木野村匡謙‏@j_masakane
2015627hatumi.png


 島根原発街宣の後、鳥取市経由で大阪に抜けると嬉しい連絡があり、昨夜23時半過ぎ、初めて吉澤さん達とお目にかかりました♪ 通りかかったご婦人が、足を止めて「望郷の牛」をしげしげとご覧になっていました (⌒-⌒)。人目を引きますよね。
 黒毛和牛に変身したのは、沖縄の方のアイデアで、詰め物は漁業用の網ですって。オブジェだったものが、吉澤さんの街宣行動にお供して生命を吹き込まれたかのようです。
  
 木野村さん、ももさんの総勢3名の「希望の牧場」ご一行様は、名古屋街宣までに更に各地のサポーターを拾ってゆき、女性陣は4,5名に増えた模様。名古屋での街宣は無事終了。静岡県浜岡原発にも寄る予定とか。
 明日の午後は東京で、「福島 生きものの記録 シリーズ 3 」上映後トークに出演。皆さん、タフです。

 朝日新聞「プロメテウスの罠」の希望の牧場シリーズが好評で、吉澤さんの講演会や写真展の企画を「さよなら島根原発ネットワーク」に提案しているところです。「ナオトひとりっきり」上映会も実施したいですね♪ 鳥取市在住の方で関心のある方はご連絡下さい。

朝日新聞【プロメテウスの罠】希望の牧場シリーズ 3

 ・朝日新聞【プロメテウスの罠】希望の牧場シリーズ 1~10
 ・朝日新聞【プロメテウスの罠】希望の牧場シリーズ 11~20



No.1313
21 家畜はどうすんだ

 「何しに来たんだ!」
 2011年3月21日、福島県南相馬市の市長室。あいさつに訪れた民主党衆院議員1期目の高邑勉(41)は、市長の桜井勝延(59)から叱責(しっせき)された。東京電力福島第一原発の建屋が次々と爆発していた。が、南相馬市には、国や県からの避難指示情報がほとんど届いていなかった。食糧や燃料などの生活物資も滞り、「兵糧攻め」の孤立状態にあった。桜井はその窮状を内外のメディアに訴えていた。

 民主党幹部が「支援物資を送っているのに届いていないとは? 誰か南相馬市長を黙らせてこい」と言うのを聞き、党の対策本部に詰めていた高邑が自ら手をあげた。しかし、到着した現地では、状況はまさに桜井が訴えていた通りだった。ほとんどの救援物資は、政府が設定した屋内退避指示の30キロ圏の外側で止まっていた。

 「政府に実態が伝わっていません。何かお手伝いできませんか?」
 高邑の言葉を聞くなり、桜井は「じゃあ泊まり込んで」と常駐を求めた。桜井の気迫に押された高邑は、地元の民主党関係者が借りていた事務所に泊まり込んだ。国会と南相馬市、そして各地の被災現場を行き来する生活が始まった。

 当時の市役所には、行方不明の家族や原発事故の情報を求める人々、支援物資の不足を訴える人たちが次々と来て、殺気だっていた。不安や不満をぶちまける人もいた。
 特に4月22日に原発20キロ圏内への立ち入りが禁止されてからは、「馬、豚、牛はどうすんだ」という畜産農家からの苦情が相次いでいた。
 「飼い主が家畜のエサやりなどで入域できるようにしてほしい」。高邑は、桜井から政府との調整役を頼まれた。

 東京のAPF通信社に勤めていた針谷勉(40)は、上司の山路徹(53)と市長インタビューを終えたあとも、同僚の木野村匡謙(43)らと南相馬市を拠点に避難区域内の取材を続けた。市内には、地元紙も含めたマスメディアの記者らがほとんどいなくなっていた。
 市役所で高邑と出会った針谷は5月中旬、原発20キロ圏内の取材規制の厳しさと、一方で記者が現場に行くことの重要性を訴えた。高邑は、すぐに状況を理解し、自分たちの調査活動の「記録係」として同行を認めてくれた。


No.1314
22 真実を、伝え切る

 2011年5月。
 APF通信社の針谷勉(40)は同僚の木野村匡謙(43)らと、東京電力福島第一原発から20キロ圏の警戒区域内の取材を続けた。福島県南相馬市役所で知り合った衆院議員の高邑勉(41)に同行し、ときには高邑の議員事務所のスタッフとして、検問を通った。
 高邑は市長の桜井勝延(59)から、立ち入りが禁じられた警戒区域内の牧畜農家の要望を聞き、国との間で調整するよう要請されていた。しかし、政府からは12日、家畜の殺処分指示が出る。調整のため、初めは馬、次に豚、そして牛……と順番に対応を進めていこうとした矢先のことだった。

 こうした中で針谷と木野村は、自身の人生を大きく変える浪江町の牧場主・吉沢正巳(61)に出会う。
 吉沢牧場を訪ねた高邑が牧場の提携先の社長らから現状説明を受けている傍らで、吉沢は黙々と牛にエサをやっていた。いま、牧場見学者の前や東京の街頭で雄弁に演説をぶつ吉沢と同じ人物とは、とうてい思えない印象の初対面だった。
 牧場へ通ううちに針谷と木野村は、吉沢の強烈な個性の虜(とりこ)になった。330頭の被曝(ひばく)牛をそのまま生かし続けるという「希望の牧場」プロジェクトに巻き込まれていく。

 2人の部下とは別に、APF通信社の代表・山路徹(53)は警戒区域内で取材と並行して、取り残されたペットの救出に取り組んでいた。世界各地の戦争・紛争取材の中で、山路は「危険地帯に自己責任で入ることが許されない組織ジャーナリズム」に疑問を感じ、勤め先のテレビ局を退社。独立後の1992年、紛争地専門のニュースを扱う今の通信社を立ち上げた。
 「震災・原発報道も戦争報道と変わらない」が持論だ。原発の爆発直後、針谷らが「20キロ圏内に入っていいか」と尋ねたときも、「『希望の牧場』を支援するスタッフになりたい」と伝えたときも、「自分で判断するように」とだけ答えた。

 中立性を失うほど取材対象にのめり込む。コンプライアンス(法令や社会規範の順守)に反する。どれもマスメディアの取材活動としては、ご法度だ。組織が禁じる理屈もわかる。けれどそれでは、そこに暮らす人々の思いも真実も伝え切れない。
 それが山路の報道哲学だ。「行きたい、伝えたいという者を止めたなら、この小さな会社をつくった基本原則が崩れ去る」


No.1315
23 命を見捨てられない

 東京電力福島第一原発の事故を機に、被災現地の取材に入った2人のジャーナリストは矩(のり)を超え、福島県浪江町の「希望の牧場」を支援し始めた。
 牧場主の吉沢正巳(61)にほれ込み、牧場のボランティアスタッフになった針谷勉(40)と木野村匡謙(43)。2人の「部下」を、APF通信社の代表・山路徹(53)はこう評する。
 「2人とも頑固だからね。自分の中に確固とした正義をもち、それに従って行動している」

 2011年7月、吉沢の思いを実現するため「希望の牧場・ふくしま」プロジェクトが始動すると、針谷は「山路さんに迷惑がかかるから」とAPFの専属を辞めた。今は東京都内に独立した事務所をもち、そこに「希望の牧場」東京事務局も置く。
 木野村はAPF東海支局長の仕事も続ける傍ら、岐阜県内から浪江町まで700キロを毎週のように車で通い続ける。牧場業務のために大型特殊免許まで取った。
 2人の支えもあり、吉沢牧場が前身の「希望の牧場」は12年4月、非営利一般社団法人として新たな一歩を踏み出していく。提携先のエム牧場からも自立しようとしていた。

 吉沢は目の前にいる牛を、どうしても殺せなかった。取材を踏まえて山路は吉沢を「今の時代に絶滅危惧種みたいな人だ」と言う。そんな山路も、人のいなくなった警戒区域の原発20キロ圏内を報じる中で、目の前の犬や猫の命を見捨てることができなかった。仲間とともに「犬猫救出プロジェクト」に取り組み、約60匹を救い出している。

 「どんな場合でも命というものが最優先にされなくてはならない」
 山路がテレビ局で働く報道マンだった頃から、戦争取材の中で学んできた原則であり、信念でもある。
 伝えることよりも、中立であることよりも、命を選ばねばならないときがある。過酷な条件下であればあるほど……。それは「原発推進は人の命より経済を優先させることだ」という吉沢の持論にもつながる。

 山路のように警戒区域内のペットレスキューを取材する中で、直木賞作家の森絵都(もりえと)(47)もまた、「希望の牧場」と出会い、心を揺さぶられ、突き動かされた一人だ。吉沢が発するたくさんの言葉たち。その「言葉の海」から、命の本質を突く「核心」を切り出し、絵本に結晶させられないか。


No.1316
24 「絵本にできる」確信

 絵本「希望の牧場」を作るため、作家・森絵都(47)は福島県浪江町に牧場代表の吉沢正巳(61)を訪ねた。2013年の晩秋だった。
 東京電力福島第一原発の事故から間もない11年春ごろから、20キロ圏内のペットレスキューに関わるボランティアたちの間で、吉沢は「知られた存在」だった。
 森は犬・猫の救出活動のノンフィクションを執筆しつつ、牛舎につながれたまま餓死していく牛たちのニュースや吉沢の名に接するたびに、「この犠牲を何としても伝えたい」と気にかけていた。

 所属する日本ペンクラブ主催の「脱原発を考える集い」が13年6月、東京の専修大学で開かれた。報告者として招かれた吉沢と初めて顔を合わせ、じかに話を聞き、悲壮感がないことに驚いた。それまでは「牛の話は悲しすぎる」と思い、絵本にして「お涙ちょうだい」の話になるのは嫌だった。
 牛飼いが牛を飼う――あたり前のことを妨害するあらゆる力に対し、ひるまず挑んでいく「強さ」を吉沢に感じ、「ノンフィクションの絵本にできる」と確信した。

 構想を練り、取材日程を調整し、編集者を通して絵を担当する画家を決めるのに5カ月かかった。この絵本の完成のためには、画家とともに現地を取材し、経験を共有することが必須だ。森はそう考えていた。
選んだのは、大阪市在住でイラストレーターとしても名を上げていた吉田尚令(よしだひさのり)(43)。
 岩崎書店(東京)の編集者を介した依頼の電話に、森作品の愛読者でもあった吉田は「意義ある仕事」としながらも、現地取材という条件には、「数日待ってほしい」と返事を留保した。
 福島の原発事故後、関西電力本店前の脱原発デモにも参加していたが、原発20キロ圏内の「希望の牧場」に入ることにはためらいがあった。

 「あなたも子どもの父親でしょ」
 電話を終えた傍らで妻が言った。3歳になったばかりの双子の男の子がいた。一方で妻は「どんなに反対しても行くんでしょ」と吉田の性格を見抜いてもいた。
 「放射線量があまりにも高い所には行かないから」……。
 話し合い、妻を納得させ、吉田は東京都内の集合場所に向かった。
 11月20日。初めて組む作家と画家は編集者と新幹線で福島へ。駅前からはレンタカーで阿武隈高地を越え、浜通りに入った。


No.1317
25 絵に吐き出してやる

 東京の出版社・岩崎書店の編集者が運転するレンタカーは、住民が避難して「無人の街」と化した福島県南相馬市小高区を抜けた。東京電力福島第一原発から北西へ14キロの地点。浪江町の「希望の牧場」が近づく。
 作家の森絵都(もりえと)(47)と画家の吉田尚令(よしだひさのり)(43)が同乗していた。

 2013年11月20日。前の座席で女性2人が会話を続けている。後ろの座席で吉田は無言のまま緊張していた。立ち入り禁止だった旧警戒区域内に初めて入る。除染土を入れた黒い袋が道路沿いに山積みにされていた。戸惑いつつ、持参したマスクは「しなくてもいいか」などとひとり思い悩んだ。

 旧警戒区域内でペットレスキューを取材した森も、牧場に来るのは初めて。視界が開けると、丘陵地帯に300頭以上の牛がいた。 「人間がいない所にこんなに牛がいるなんて」その数や体格の大きさに「迫り来る生命力」を感じた。犬・猫の救出活動に同行したときは、飼い主を失って「薄らぎ、失われていく命」ばかりを見た。違いは大きかった。

 牧場に着くと、吉沢がよどみなく、機関銃のように話し出した。次々と繰り出される言葉の豊富さに吉田は圧倒され、用意した質問がなかなかできなかった。吉沢の「言葉の海」の中のどこに本質があるのか、森は必死に探り出そうとした。この人は闘うだけの人間ではない。やがて、そう感じ取り、心をうたれた。
 殺処分に泣く泣く同意した同業者からは「何でお前だけが生かしてるんだ」と非難されてきたが、吉沢は彼らのことを決して悪くは言わなかった。同じ牛飼いとしてのつらい思いも痛いほどわかっていた。
 森は、そんな吉沢の心中の言葉も絵本に紡ごうと思った。1泊して翌朝、牛のエサやりを手伝った。

 吉田は早朝、森らと別れて列車とバスを乗り継ぎ仙台へ。津波の被災地を抜けて市街に入ると、全く異なる都会の光景が目に入った。新幹線で地元・大阪の街に近づくにつれ、感情が抑えられなくなった。
 突然、涙があふれ出す。夕暮れの車窓に泣きぬれた自分の顔が映る。牧場では感傷に流されないよう努めて冷静を装っていたが、腹立たしさがこみ上げてきた。
 「何で吉沢さんが、こんな目にあわされるのか。見てきたものをすべて絵に吐き出してやる」


No.1318
26 覚悟も弱音も残そう

 《もりもり食って、クソたれろ……おまえら、牛なんだから。オレは牛飼いだから、エサをやる。きめたんだ。おまえらとここにいる。意味があっても、なくてもな》

 画家の吉田尚令(43)は2013年暮れ、作家の森絵都(47)から「希望の牧場」を絵本にするための原稿を受け取った。
 目を通すうち、身震いが止まらなくなった。それまで10冊近く、有名作家の作品を絵本にしたが、こんな経験は初めてだった。
 牧場主の吉沢正巳(61)が吐き出した一言一句の数々は、「言葉の海」のごとく際限ない。その中から、人の胸につきささる「鋭利な言葉」だけが、そこに残っていた。

 「隣で一緒に聞いていたから、言葉を削(そ)いで削いで何を残したかが、このとき初めて見てとれた」
 ひと月ほど前、福島県浪江町の牧場を取材した日の夜。森と吉田と編集者の3人は、南相馬市内の食堂で絵本の構想を話し合った。
 吉沢を英雄扱いしない。説教臭い道徳的な物語にはしない。20~30年後、たとえ牧場がなくなっていても、こんな人物がいて、こんな牧場があったことを後世に残せる本にしよう――。
 夜は更け、3人は店にあった最後のワインボトルも空けていた。

 森は、威勢のいい吉沢の街頭演説には、さほど興味がなかった。吉沢が牛飼いの日常の中で呻吟(しんぎん)する一言一言に出会いたかった。牧場で語られた言葉を録音して持ち帰ると、「吉沢語録」を書き起こし、そこから何を残すかの作業に集中した。
 《けど、弱った牛が死ぬたびに、ここには絶望しかないような気もする。希望なんてあるのかな。意味はあるのかな。まだ考えてる》こんな弱音や迷いの言葉を、吉沢は街頭では口にしない。森は、そんな牛飼いの「痛み」と向き合うために250キロ先の牧場に行った。

 年が明けて吉田は、ほかの仕事を断り、この絵本作りに没頭した。しかし、吉沢が国の指示を拒み、牛と生きる道を選ぶ場面で絵筆が止まった。吉沢の覚悟を考えれば考えるほど、先に進めなくなった。
 何枚も何枚もコンテを描いた末にようやく、「吉沢が牛を抱く絵」はできた。描き上げてみると、吉沢の方が牛に抱かれ、支えられ、助けられているようにも見えた。

 そのころ、街頭から吉沢の「言葉の海」に飛び込もうとしていた意外な人がいた。


No.1319
27 群衆の中にいた文太

 「菅原です。ブログを見ました。応援に駆けつけたいのですが」
 2014年5月9日朝、「希望の牧場」ボランティアスタッフの針谷勉(40)の携帯電話に品のいい女性の声が響いた。留守にした東京事務所の代表番号からの転送だった。
 針谷は、全国各地に散らばる400人近い牧場サポーターの1人かな、と思って聞いていた。

 東京・渋谷のハチ公前で毎月恒例の牧場代表・吉沢正巳(61)の街頭演説がある日だった。女性は詳しい場所や時間を尋ね、続けた。 「実は俳優の菅原文太(すがわらぶんた)の妻なのですが、吉沢さんは終わったらすぐに帰られるんでしょうか? 文太と一緒に少しお話しさせていただくお時間はありますか? お食事でもしながら……」
 針谷は驚いた。文太の妻・文子(ふみこ)(73)からだった。吉沢の都合を聞くまでもなく、快諾した。本業のジャーナリストとしての仕事があった針谷はすぐに、もう一人のボランティアスタッフ木野村匡謙(43)に吉沢への同行を依頼した。吉沢一人では心配だった。

 「この渋谷の明かり、東京の電気はどこから来ているんですか? 福島が何十年も送り続けてきた電気ですよ」。よどみなく流れる、挑発するような、いつもの吉沢節が続く。「そして今、原発が爆発し、我々は蹴飛ばされ、棄(す)てられた。福島の差別と犠牲の上に皆さんの、便利で楽しい暮らしがあるんですよっ」
 ハチ公前の群衆の中に、菅原文太はいた。帽子を目深にかぶり、腕を組み、じっと聴き入っていた。傍らには文子が寄り添っていた。その夕方、一緒に上京した専属獣医師の伊東節郎(66)や合流した木野村とともに、吉沢は菅原夫妻から永田町の「鰻(うなぎ)屋」に招かれた。

 文子は「鰻屋」と言うが、鰻素材の豪華な懐石料理の店だった。
 福島県浪江町の牧場には全国の支援者から米や野菜が送られてくる。が、独身の吉沢は料理などしない。即席ラーメンやコンビニ弁当で済ますことも多い。千葉県から支援に通う姉の小峰静江(63)がたまに、料理をしてくれるぐらいだ。
 「見たこともない料理ばかり。こんな店、俺の生涯ではもう二度と来ることはないだろう」。そう思いつつ、吉沢は箸を取った。
 吉沢たちが驚いたのは料理だけではなかった。会席には元大物国会議員も同席し、さらに意外な話が切り出された。


No.1320
28 料亭の夜、とんぼ返り

 2014年5月9日夜、東京・永田町の懐石料亭。
 福島県浪江町の「希望の牧場」代表・吉沢正巳(61)、専属の獣医師・伊東節郎(66)、ボランティアスタッフの木野村匡謙(43)は、古民家のようなたたずまいの茶屋の2階に通された。

 招いたのは、俳優の菅原文太と妻の文子(73)。もう1人、元自民党参院議員会長の村上正邦(むらかみまさくに)(82)も同席していた。3人はその日、東京・渋谷の街頭で吉沢が熱弁をふるう毎月恒例の演説をお忍びで聴いていた。
 村上はかつて宗教団体「生長の家」などの支援で当選してきた「参院の首領(ドン)」だった。政界汚職に絡んで失脚し、獄中体験も経て、福島の原発事故後は「脱原発派」に転身。一つ歳下の文太の盟友となっていた。
 「脱原発のためには党派を超えて連帯しなければ……」が持論の吉沢も、同席に異存のあろうはずがなく、杯を交わした。

 「きょうの吉沢さんの演説、俺にはとてもまねできない。まだ日本にはこんな人がいたんだ、と思った。それを支える木野村さんのような若者がいる限り、この日本もまだまだ捨てたもんじゃない」 文太が称賛し、村上がうなずく。しかし、そのあとに出た話は、同じ年の秋に予定されていた福島県知事選出馬への打診だった。 「やってみないかい? 脱原発候補はあんたしかいない」
 文太は熱心だったが、吉沢はいきなりで戸惑った。木野村は一瞬、思った。おもしろいじゃないか。でも、300頭以上の牛の世話は誰が?……。冷静に考えると、やはり実現の可能性は限りなくゼロに近かった。

 宴席は夜9時すぎまで続き、文太らは上機嫌でタクシーを呼んだ。吉沢らが店の前で見送るとき、文太は窓を開け、心配げに言った。 「あんたたち今夜、どこに泊まるの? 泊まるところあるの? 宿、取ってあげようか?」
 木野村が答えた。 「いえ、今夜は飲んでいない僕の運転で浪江の牧場に帰ります。朝の牛のエサやりがありますから」
 文太は驚き、申し訳なさそうに返した。 「そうか、気をつけてな……」 やさしい人だなあ。そう感じた木野村も、まさか半年後の11月末に文太(享年81)の訃報(ふほう)を聞こうとは思ってもみなかった。


続く

朝日新聞【プロメテウスの罠】希望の牧場シリーズ 2

 1~10はこちらに纏めました。
  ・朝日新聞【プロメテウスの罠】希望の牧場シリーズ連載中



No.1303
11 「生き証人」役立てて

 福島第一原発の事故で20キロ圏内の立ち入り禁止区域に入った福島県浪江町の「希望の牧場」。そこで牛を飼い続ける人に寄り添い、人権の根本から規制の是非を問うことで、入域や取材への制約を取り除く。
 49歳で他界した東京の弁護士・日隅一雄にとって、それが最後の仕事になった。

 日隅を「しのぶ会」は、死去後1カ月余たった2012年7月22日、東京・丸の内の東京会館で開かれた。参院議員の福島瑞穂(59)ら約500人の会葬者の中には、浪江町からトラックで駆け付けた長靴姿の牧場代表・吉沢正巳(61)と、スタッフの針谷勉(40)の姿もあった。
 「牧場を支援する活動が、死期を早めたのではないか」
 吉沢も針谷も訃報(ふほう)を受けて以来、悔やんできた。

 しかし、日隅は死の直前、こう話していた。
 「いろんな活動をすることが生きがいになって、僕の免疫力は高まった。(末期がんで)宣告された余命半年を倍以上に延ばし、ここまで来られたんです」
 原発事故をめぐる問題の追及や牧場の支援と同じく、弁護士生命をかけて闘った「NHK慰安婦番組改変訴訟」の原告・西野瑠美子(にしのるみこ)(62)に、かすれた声で闘病中の思いを打ち明けていた。

 その日隅の言葉を伝え聞いた針谷は、「吉沢父さんと似ているな」とすぐに思った。
 原発から北西14キロにある牧場内で暮らす吉沢は、この高線量の区域で牛の世話を続けてきた。よく言う冗談めかした口癖がある。
 「俺の被曝(ひばく)量は半端じゃない。けど、俺は逆に放射能で活性化されて元気になっちゃったんだ」
 しかし、定期的に内部被曝検査を受診するなど、健康を気にしていることを、針谷は知っていた。

 その吉沢がもっと気にかけていたのが、牛たちの身体の変化だった。
 吉沢たちが経済価値のなくなった牛を300頭以上も飼い続ける一番の「大義」は、「原発被害の生き証人」ということだけにとどまらない。「放射能による家畜の生体への影響を長期的に記録し、今後のために役立ててほしい」。そう願う意義も大きかった。
 全国各地の大学からは「被曝牛を研究対象にしたい」と様々な申し出があった。「国に見捨てられた牛たちが役に立てる」と吉沢たちも積極的に協力してきた。


No.1304
12 牛に白斑「原因不明」

 放射性物質の散らばる牧場での外部被曝(ひばく)や、汚染されたエサによる内部被曝で、原発事故後の牛たちの健康状態はどうなっているのか。「被曝牛を研究対象にしたい」。福島第一原発から20キロ圏内にある福島県浪江町の「希望の牧場」には、全国各地の大学や研究機関から申し出が相次いだ。
 しかし、年月が経つにつれ、「研究費助成の削減のため」などの理由で多くの機関が「希望の牧場」での調査から手をひいていった。

 原発事故から1年半近く経とうとする2012年夏ごろ。
 牧場の黒毛和牛の一部に白い斑点が出ている――。牧場主の吉沢正巳(61)は異変に気づいた。部分的に体毛が白髪のようになり、毛をそってみると体表の皮膚まで白い。
 1年後の13年夏になると、白斑の出た牛は30頭以上になり、うち10頭は全身に広がっていた。「放射能の影響か」と強く疑った吉沢は、国に徹底解明を求めた。

 13年10月10日、農林水産省畜産部が調査に乗り出し、専門官らが牧場を訪れた。比較のため白斑牛と非白斑牛を5頭ずつ診察し、採取した体毛や血液を分析のため持ち帰った。
 14年1月6日付で牧場側に開示された「調査報告書」の結論は、白斑牛も非白斑牛も「重度の銅欠乏症」だった。
 銅は「生体内で重要な役割をもつ微量元素」で、「欠乏すると毛の色が薄くなる症状も見られることがある」と指摘。そのうえで、白斑牛と非白斑牛の双方に銅欠乏症がみられることから、それが白斑の原因かどうかは「特定できない」「不明」としていた。
 その後、調査に大きな進展はない。農水省の担当者はこう言った。「継続して県の家畜保健衛生所が現地調査をしている。放射線との関係については大学の研究機関がおやりになっているので……」

 報告書の結論に、牧場のボランティアスタッフの針谷勉(40)は「これでは一般的な健康診断と同じ」と反発した。
 「我々が求める放射線との因果関係の有無を本気で調べる気があるのなら、被曝線量の調査、皮膚の切片を採取しての生体組織の検査、筋肉のセシウム含有量の調査などが必要なはず」
 牧場の獣医師・伊東節郎(いとうせつろう)(66)も「『わからない』が結論だなんて。無責任もいいところ。わかるまで調べるべきだ」と怒った。


No.1305
13 牛を見せ物にするな

 福島県浪江町の「希望の牧場」で白い斑点のある牛が増え始めてから間もないころ、牧場の様子を紹介する写真展が同じ県内の二本松市で開かれた。

 2012年10月。
 事故が起きた福島第一原発周辺の家畜の状況が気になっていた獣医師・伊東節郎(66)は催しの会場を訪れ、牧場代表の吉沢正巳(61)らの活動を初めて知った。 「放射能に汚染された牛を300頭以上も飼い続けるなんて、この男はいったい何を考えているんだ」最初はいぶかしく思い、理解できなかった。

 その後何度か吉沢やスタッフに会う機会があり、話を聞くうちに、「人間の都合で牛を殺していいのか」という怒りは共有できた。牧場ではそのころ、自然交配で増えた牛も含め、エサや栄養の不足が原因と思われる病気で死ぬ牛が相次いでいた。「白斑症」も減る気配がない。
 吉沢らは、栄養管理や去勢を担当する牧場専属の獣医師を必要としていた。
 「原発被害の証人として生かすという考えには賛成だ。けれど、ここで牛を飼うと決めた以上、自分の主義主張の見せ物にするのではなく、きちんと健康管理をするべきだ」
 考えた末、伊東は専属の仕事を引き受けようと決断する。

 もともと伊東はブラジルの牧場で長く働いていた。転機は11年3月の原発事故だった。
 生まれ故郷の東京・渋谷の幼なじみから連絡があり、「日本は今、大変なことになっているぞ。帰って来いよ」と促された。
 その年の6月、すでに成人している娘3人の反対も押し切ってブラジルを後にし、実に33年ぶりに単身で帰国した。
 すぐに東北へ飛ぶと、宮城県石巻市の石巻専修大キャンパスに持参のテントを張った。全国から駆け付けた若者や自衛隊員と一緒に、津波で被災した民家の泥かきなどにボランティアで従事した。
 「泥かきだけじゃなく、本来の獣医師の資格を生かして復興の役に立ちたい」
 12年2月からは、福島県大玉村の県鳥獣保護センターに勤務した。
 写真展から7カ月後の13年5月、「希望の牧場」専属になると、吉沢の「良き批判者」となるべく、牛の飼い方では遠慮なく持論を展開し続けた。


No.1306
14 長期的な観察が必要

 「牛は見せ物じゃないぞ」
 2013年5月から福島県浪江町の「希望の牧場」専属獣医師になったブラジル帰りの伊東節郎(66)は、牧場代表の吉沢正巳(61)に持論を展開し続けた。「しっかり健康管理を。俺たちには責任がある」
 とはいえ、牧場内で見つかる白斑のある牛には首をかしげるばかり。「ブラジルでもたまに見かけたが、どれも先天的だった。ここでは後天的。同じ原因かどうか」

 白斑は別の牧場でも見つかった。
 福島第一原発から西へ6キロ。大熊町の「池田牧場」の牧場主・池田光秀(いけだみつひで)(54)が白い斑点に気づいたのは、同じ13年の春ごろだった。
 ただ事情は異なる。「11年3月の震災前にもたまに見かけた。だから1、2頭なら気にならなかった」
 しかし、今では51頭のうち25%にあたる13頭の牛に白い小さな斑点が目立ち、ほかの1頭は横腹に数十センチ大に及ぶ丸い白斑が出ている。

 今年5月17日、獣医師で岩手大農学部准教授の岡田啓司(おかだけいじ)(58)を中心とした「原発事故被災動物と環境研究会」のチームが池田牧場を訪れた。黒毛和牛4頭に麻酔をかけ、白斑部位の皮膚の小片を採取。急速冷凍した生体組織を岩手大獣医病理学研究室に運び、分析が続く。

 岡田らは震災の翌12年9月から、原発20キロ圏の旧警戒区域内で被曝(ひばく)牛の調査を続けている。
 研究会の顧問で獣医放射線学が専門の北里大名誉教授・伊藤伸彦(いとうのぶひこ)(67)は言う。「現時点で原因は分からない。複合要因として放射線の影響も捨てきれないし、微量元素の欠乏や感染が原因という説もある」
 同じく北里大教授の夏堀雅宏(なつほりまさひろ)(49)は、空間放射線量が池田牧場より高くても、広い牧野で自由に水の飲める川がある牧場では白斑の症状が出ていないことを指摘。「放射線の影響とは考えにくい」と話す。
 「飼い主が避難などで給餌(きゅうじ)・給水を十分にできなかった牧場に多発している。飢餓状態などの過酷ストレスが原因となり、後遺症としてこういう形で現れたのではないか」

 これまで牧場で死んだ牛の解剖結果や筋肉・臓器に蓄積した放射性セシウムの調査からは、顕著な放射線由来の病変は見つかっていない。だが、牛のような大型家畜の長期低線量被曝の影響データは、世界的にもほとんどない。そのため、こんな見解では一致している。
 「ここの牛は非常に貴重。長期的な観察と研究が必要だ」


1535556_587881621354476_780242050844975655_n.jpg



No.1307
15 最後まで同意しない

 東京電力福島第一原発から西へわずか6キロ地点の福島県大熊町内。白斑牛が見つかった「池田牧場」の牧場主・池田光秀(54)は、ここで長年、和牛繁殖業を営んでいた。
 国に逆らい、原発事故に伴う牛の殺処分指示への同意を拒んできた。当初は浪江町の「希望の牧場」からエサの支援も受け、代表の吉沢正巳(61)とはいわば「同志」的関係だったが、「俺はあんなに過激じゃないよ」と、冗談めかして笑う。広さ5ヘクタールの池田牧場では原発事故の前、和牛31頭を飼っていた。

 2011年3月12日早朝、原発が危ないということで、10キロ圏内に避難指示が出た。
 「最後のエサだよ、ごめんね。ごめんね」
 池田は泣きながら、一頭一頭に給餌(きゅうじ)していった。

 それからの池田一家は県内各地の避難先を転々とした。田村市、郡山市、裏磐梯(北塩原村)、喜多方市、いわき市……。9カ月後には広野町の借り上げ住宅に入った。その間、原発20キロ圏内の牧畜農家で牛が大量に餓死しているとのニュースを耳にし、うちも同じだろうと、あきらめかけていた。
 だが、6月に一時帰宅すると、牛たちは柵を破って牧場の周辺へと逃げ、全頭が「放れ牛」となっていた。家族同然に育ててきた牛たちだ。池田は「生きていてくれたんだ」と胸をなで下ろした。

 妻の美喜子(みきこ)(57)と一時帰宅するたびに牛舎にエサを置いていくと、牛たちは時々戻り、エサを食べ、牛舎をねぐらにした形跡があった。
 野生化した放れ牛が市街地を走り回り、空き家を荒らすというので、やがて大熊町は囲い込みを始めた。原発事故から1年余り過ぎた12年4月、池田も耳標で確認しながら探し出しては連れ帰り、電気柵を作って囲い込んだ。近くで畜産を営む美喜子の実家の20頭も連れてきた。

 殺処分に同意してしまい、「もう牛を見るのさえ嫌だ」と心が折れる仲間の姿をたくさん見てきた。
 逆に池田は宣言している。
 「最後まで同意しない。国は法的根拠がないから農家に責任を転嫁している。町内で応じないのは池田さんだけと迫った。ずるいやり方だ」
 「むだに殺すのではなく、少しでも人類のために役立ててほしい」
 牛は雑草を食べる。牧区を区切って放牧すれば農地の荒廃を防ぎ、除染にも役立ち、早期の営農再開も見込めると信じている。


No.1308
16 霞が関に牛を放て

 2014年6月19日。 
 福島県浪江町の「希望の牧場」代表・吉沢正巳(61)は、「原発一揆声明」を発表した。
 牧場の被曝(ひばく)牛の一部に現れた白い細かな斑点(白斑)の原因について、農林水産省は「わからない」としつつ、放射能との因果関係を探る詳細な調査はせずに幕引きしようとしている――吉沢たちには、そうとしか思えなかった。
 声明は「原因がわかるまで徹底調査せよ」と求めていた。

 環境相の石原伸晃(いしはらのぶてる)(58)が汚染土などの中間貯蔵施設の建設をめぐって「最後は金目(かねめ)でしょ」と発言したり、人気漫画「美味(おい)しんぼ」で新聞記者が東京電力福島第一原発の取材後に鼻血を出したとの表現が非難を浴びたり……。原発事故をめぐる様々な問題が日々のメディアをにぎわせていたころだった。
 吉沢は声明で、石原発言を「まともな賠償をしたくないという国の本性が出た」と批判。「美味しんぼ」騒ぎについても「原発再稼働に障害となる表現や考え方の自由への縛りが始まっている」と指摘した。
 抗議として20日、東京・霞が関の官庁街に白斑牛を放ち、政府官僚や報道陣に見てもらおう――。それが吉沢のいう「原発一揆」だった。

 計画を知った吉沢の姉・小峰静江(63)は大反対し、「身体を張ってでも阻止する」と怒った。
 「逮捕されるに決まってるでしょう。あんたが逮捕されたら、いったい誰が牛の面倒見るんだい」
 ボランティアスタッフの木野村匡謙(43)には、「牛を運ぶトラックをパンクさせる」と伝えた。牧場車両の管理をしていた木野村は「パンクさせられると修理代が高くついて牧場経費に響くから」と、空気の抜き方をメールで教えた。

 しかし、静江は結局、空気を抜くこともあきらめた。
 「弟はいったん決めたら引かないし、止めても無駄。あの子は小さいときから何をしでかすか分からん子だった」と嘆く。
 吉沢が4歳の頃、父親が牧場の水くみ場で包丁を研いでピカピカにしていた。じっと見ていた吉沢は、父親がその場を離れたすきに、自分の左手親指にグイッと当てた。「ギャア」という泣き声で、静江は血みどろになっている弟に気づき、あわてて父親を呼んだ。「切れるかどうか確かめたかった」と言ったらしいが、吉沢はあまりよく覚えていない。


No.1309
17 猛反対を受けたって

 深い傷痕が左手に残る。この傷で親指の付け根の関節部は引きつり、今も動かないままだ。福島県浪江町の「希望の牧場」代表・吉沢正巳(61)は幼少時、切れ味試しにと、自らの左手親指に包丁を当て、この傷を負った。
 姉の小峰静江(63)は、子どもの頃から変わらない弟の無鉄砲さを気にかけつつ、牧場運営では獣医師の伊東節郎(66)と同様、吉沢に厳しい批判の目を向けてきた。 メディアの取材が入るたび「カリスマみたいに書かないで。舞い上がるだけだから」と冷ややかに言う。

 2014年6月20日。
 姉の猛反対を押し切った吉沢は、原発事故後に白斑の症状が出た黒毛和牛1頭をトラックに乗せ、牧場のある福島県から東京・霞が関の農林水産省前に乗り込んだ。
 「牛は見せ物じゃない」が持論の伊東は引き留めても無駄だとみるや、逆提案でトラックに同乗した。
 「どうしても行くというなら、俺も獣医だ。牛の健康を管理する責任がある。俺も連れて行け」

 そもそも国も福島県も福島第一原発の事故後間もなく、20キロ圏の警戒区域内の被曝(ひばく)牛は移動禁止と指示していた。吉沢が「一揆」の前日、それを予告する声明を出すと、県庁からは「思いとどまるように」と何度も電話がかかってきていた。

 農水省前で報道カメラマンのストロボが何度も光る中、牛を荷台から下ろそうとした吉沢は、阻止する警察官との間でもみ合いになった。結局、下ろすことは断念し、応対した担当者に牛の白斑調査やえさの確保を求める要請書を手渡した。
 環境省前では、環境相の石原伸晃(58)の「金目」発言に対する抗議の演説をした。

 そんな吉沢の怒りと行動力を支えているのは、父の遺産である牧場を「絶対に守る」との思いだ。
 父・正三(しょうぞう)は1980年5月、今の「希望の牧場」で、横転したトラクターの下敷きになり即死した。66歳だった。
 亡父が戦後、最初に開拓に入った千葉県四街道市で、静江は生まれ、吉沢らきょうだいと育った。市職員になったが、56歳で早期退職をし、浪江町の「吉沢牧場」の一角に住宅を建てた。原発事故さえなければ、老後はずっと、ここで晴耕雨読の生活が続くはずだった。
 原発事故後も避難先の四街道市から毎週のように牧場へ通い、吉沢の牛飼いを手伝ってきた。


No.1310
18 再び棄民にするのか

 福島県浪江町の「希望の牧場」代表の吉沢正巳(61)は千葉県四街道市で生まれた。
 亡父・正三は戦後、この地で牛1頭から酪農で再起を果たし、家族を養い、子どもを育て上げた。
 戦前、出身の新潟県小千谷地方から「満蒙開拓団」の一員として中国東北部(旧満州)に入植した。
 敗戦直前、守ってくれるはずの関東軍はソ連の参戦を察知するや入植者らを見捨ていち早く撤退。取り残された開拓民のうち、親と生き別れたり、死別したりした多くの子どもたちが、中国人に育てられ、のちに中国残留孤児と呼ばれた。
 正三自身は1945年8月、ソ連軍の捕虜となり、3年間のシベリア抑留・強制労働を経て、心身ともにボロボロになって帰国した。

 「国は俺たちを再び棄民にしようとしている」。原発事故後の福島を語る時、戦後生まれの吉沢は、正三が乗り移ったかのように見える。 「国は行け行けドンドンとあおり立て、足手まといになったら棄(す)ててきた。黙っていたら俺たちも、ここの牛たち同様に棄てられるんだ。棄民は日本の国策なんだから」
 原発の事故も、政府による家畜の殺処分指示も、吉沢の国への不信感を決定的にするのに十分すぎた。
 「満州棄民に、シベリア抑留者に、戦後の日本政府はいったい何をしてくれたというのか」

 吉沢は父の思いを代弁するが、正三自身は当時の苦労について、子どもたちには多くを語らなかった。生前、残留孤児のニュースが流れると妙に無口になるばかりだった。
 正三は旧満州での逃避行で、動けなくなった実母と娘2人、つまり吉沢の祖母と2人の姉を自ら手にかけていた――父の死後初めて、吉沢は母から聞き、衝撃を受けた。
 姉の小峰静江(63)は、母から手渡された手記「黒台開拓民の記録集」で当時のことを確認した。「荒野の自決」という章に、「棄民の真相」が実名で書かれていた。

 浪江町の牧場の土地32ヘクタールは45年前、乳牛50頭を飼うまでになった正三が「もっと広い土地で酪農を」と、四街道市の土地を売って家族で移住した希望の場所だった。
 東京農大に進んだ後、吉沢は学生運動にも明け暮れたが、父を手伝おうと浪江町に戻る。不慮の事故で父が亡くなると、牧場運営はやがて吉沢の双肩にかかった。
 「だから、この土地を絶対に手放すわけにはいかないんだ」


No.1311
19 でも、見捨てない

 福島県浪江町の「希望の牧場」は震災前、「吉沢牧場」と呼ばれていた。丘陵地に広がる32ヘクタールの土地は、吉沢正巳(61)が父の死や兄の経営失敗のあと、やはり酪農での再出発を考えていた場所だった。
 だが、和牛繁殖で事業拡大を図る二本松市の農業生産法人・エム牧場の社長だった村田淳(60)が、この広大な牧草地に目をつけた。1997年ごろ、「浪江に広い農場が空いている」と知人に紹介された村田は視察に訪れ、「決断するのに0・5秒」と言うほど気に入った。すぐさま提携を申し入れる。
 「打てば響く、という言葉がぴったりの頭の切れる男。割り切りも決断も速かった」初対面のとき、村田が抱いた印象通り、吉沢もほどなく提案を受け入れた。98年秋には、正式にエム牧場の浪江農場として肉牛の肥育・繁殖事業がスタートした。

 最初は20、30頭から始めた事業も十数年でようやく軌道に乗り、牛の頭数も300頭を超えるほどに事業が拡大したところで、2011年3月の東京電力福島第一原発事故に見舞われた。
 「まさに上り坂の途中だった」と村田は強調する。
 「繁殖のために放牧する母牛は100頭、肉牛にするのは450頭までをめざす構想を練っていた」

 原発建屋の爆発で牛の出荷が道を閉ざされた3月下旬、吉沢や牧場従業員らを二本松市のエム牧場本社に集め、村田は対策会議を開いた。
 「売れない牛をどうするか?」
 村田の問いかけに、十数人の従業員は沈黙するばかり。みんな、どうしていいか分からなかった。
 牧場経営もビジネス。生かせばエサ代も維持費もかさむだけ。でも、エサをやらなきゃ、牛は死ぬ。
 「見捨てたくない」
 「見捨てない」
 村田と吉沢の見解は一致した。
 二本松市の本社から35キロ先の浪江町の吉沢牧場へエサの支援を続けると、村田も決断。覚悟を決めた。

 「こうなったら、いかなる手を使ってでも避難指示の出た原発20キロ圏内に入り、エサをやり続ける」
 地元の浪江町は3月15日、すでに役場ごと全町が避難していた。4月には、吉沢牧場を含む20キロ圏内が立ち入り禁止になった。吉沢は浪江町だけでなく、牧場の一部が市域にかかる隣の南相馬市にも、エサやりのための立ち入り許可を求めた。


No.1312
20 まるで兵糧攻めだ

 福島県南相馬市。
 市長の桜井勝延(さくらいかつのぶ)(59)は元々酪農家だった。「希望の牧場」の吉沢正巳(61)は「何としても牛を飼い続けたいという俺の思いは、同じベコ屋として分かってくれた」と話す。

 東京電力福島第一原発で建屋が次々と爆発しても吉沢が牧場にとどまっていた頃、その桜井は市長として危機的な事態に向き合っていた。放射能が危険だから家の中で待機しなさい――。政府は、最初の爆発から3日後の2011年3月15日、市役所のある原町区が入る原発20~30キロ圏内に屋内退避を指示した。が、「国、県から正式な情報がなかった」のは、隣の浪江町長・馬場有(66)が嘆いた状況と同じだった。

 翌16日午後1時すぎ、ニュース映像を配信するAPF通信社(東京)の代表・山路徹(やまじとおる)(53)のインタビューを市長室で受けた桜井は、募るいら立ちを明かした。
 「食糧も物資も圏内に入ってこない。政府はガソリンを送ったというが、タンクローリー車は圏外で運転手が置き去りに。コンビニでは売る物が、スーパーでは従業員がいなくなり、閉鎖。まるで兵糧攻めだ」 「率直な気持ちを」とマイクを向ける山路に、「心情を吐露すると感情的になる」と自制していた桜井の声が、怒りにふるえていく。
 「津波に奪われた家族を捜しに行けない。遺体があがっても遺族は火葬ができない。油がないし、従業員も逃げたので火葬場は昨日、閉鎖した。生き残った者にとって、生き残ったことが地獄なんだ」
 ビルマ(ミャンマー)、ボスニア、ソマリア……。世界の紛争地で取材経験のある山路も次の質問に詰まった。撮影役は、のちに「希望の牧場」のボランティアスタッフとなる針谷勉(40)。カメラを持つ手の震えを抑えるのに苦労した。

 大手メディアは既に記者を引き揚げ、NHKは電話取材で市長の声を流した。「絶対に現地に入らねば」と、先に南相馬市内に入った針谷に山路が合流しての取材だった。しかし、日本の放送局からは「コンプライアンス(法令や社会規範の順守)で避難指示区域の映像は使えない」などと言われた。欧米のメディアが映像を買ってくれた。

 インターネットで情報は流れ、「日本政府は何をやってるんだ」との批判が国際的にも高まった。当時の民主党の災害対策本部から現地調査に入ったのが、衆院議員だった高邑勉(41)らだ。


続く


朝日新聞【プロメテウスの罠】希望の牧場シリーズ連載中

本田雅和記者の連載です♪
以下、転載。


No.1293
1 被曝牛のエサ下さい

 「福島県浪江町から来ました。『希望の牧場』と言います。原発から14キロの所で300頭の被曝(ひばく)した牛を飼っているのですが……」
 4月の初旬、宮城県栗原市の栗駒山のふもとに広がる農村地帯。
 「希望の牧場」のボランティアスタッフ針谷勉(はりがやつとむ)(40)は、畜産農家や酪農家を一軒一軒、車でまわりながら頭を下げ続けた。
 「エサが足りません。積み上げてある牧草ロール、譲っていただけないでしょうか?」
 4年余り前の東京電力福島第一原発事故のあと、針谷らがエサ集めの行脚を始めて3年目になる。

 宮城県北部の栗原市は第一原発から150キロ近く離れている。原発事故直後に汚染された牧草はロールにされたまま、休耕田などに山積みに放置されていることが多い。
 農地を除染し牧畜を再開する農家にとって、汚染牧草は邪魔物だ。県や市は焼却処分も検討しているが、反対も根強く、計画は進まない。
 汚染牧草でもエサを与えねば「希望の牧場」の牛たちは餓死してしまうし、汚染度は国が一般廃棄物扱いを認めるレベルだ。

 「ちょうどいい。150玉ほどあるよ。早く持っていって」
 そう言ってもらえばありがたいが、うさん臭そうに「代表は何ていう人?」「汚染ロールだよ。あとで戻しに来たりしない?」など、根掘り葉掘り聞かれることも多い。
 牧場主の吉沢正巳(よしざわまさみ)(61)の名前や、牛飼いとして殺せずに飼い続けていることを伝え、説得する。
 農家3軒に1軒ぐらいは納得し、協力してくれる。

 交渉が成立すると、同じボランティアスタッフの木野村匡謙(きのむらまさかね)(43)に連絡。数日後には、14トンの大型トラックで木野村が常磐自動車道、東北自動車道を北上し、片道3時間がかりで引き取りに行くのだ。
 最初は運送会社に頼んでいたが、運賃が高くつく。昨年夏、牧場は福島県富岡町の元建設業者からこの中古トラックを借り受けた。運転する人が必要だと、木野村自身が大型自動車免許を取得した。
 運転席の木野村が笑う。「福島県内から始めて、もらえるところがなくなると栃木、宮城県へと足をのばしてきました。今までに1千玉くらい運んだかな」


No.1294
2 売れぬ牛を飼う意味

 初夏の日差しが注ぐ中、32ヘクタールに及ぶ牧草地のあちこちで、牛たちがゆったりと草を食(は)む。
 福島県浪江町から南相馬市にまたがる、阿武隈高地の丘陵地帯。そこに「希望の牧場」はある。
 しかし、「希望」の名を掲げる牧場にたどり着くには、東京電力福島第一原発の事故で全町避難が続く浪江町側からは入れない。昼間だけ通れるようになった南相馬市小高区側の無人地帯から近づくしかない。
 原発からは北西へわずか14キロの地点。牧場は今なお、年間積算放射線量が20ミリシーベルトを超えるおそれのある「居住制限区域」なのだ。

 そんなことにはおかまいなしに、とにかく牛たちはよく食う。
 その数は300頭余り。ときに1玉数百キロもある牧草ロールが、1日あたり10玉は消費される。牧場に緑の草が生えていない冬場は、さらに補給が必要になる。
 エサの多くは、放射性物質を含むため廃棄予定の汚染牧草ロール。ボランティアスタッフの木野村匡謙(43)らが、遠く宮城県栗原市の牧場から毎週のように運び込む。牧場主の吉沢正巳(61)が福島県相馬市の食品工場からもらってくるモヤシかすや野菜くずなども欠かせない。

 「経済価値のない、売れない牛を飼い続けるのはバカげた話かもしれない。意味がないかもしれない。意味がないことの意味を、考えながら続けることの意味が、わかるかっ」
 まだ春浅い3月半ば。牧場を見学に訪ねて来た東京の大学生ら十数人を前に、吉沢は挑発するように問いかけた。

 4年前の原発事故から2カ月後の2011年5月12日、原発から20キロ圏の警戒区域内にいる家畜について、国は「殺処分」への同意を各畜産農家に迫った。
 肉牛も乳牛も豚も、放射能に汚染されて移動もできず、市場価値もなくなり、飼育のために人も立ち入ることができなくなった以上、安楽死させるしかない――というのが国の論理だ。
 だが、自らを「べこ屋」と呼ぶ吉沢はそれに逆らい、共感した全国各地のボランティアたちが支援を続けてきた。
 べこ屋が家族同然にしている牛だ。「利用価値がなくなったから」と国に言われ、「はい、そうですか」と殺せるわけがない。その国は東電とともに原発を推進してきた加害者だ。吉沢同様、多くの畜産農家がそう考えていた。


No.1295
3 国と東電への抗議だ

 東京電力福島第一原発から20キロ圏の警戒区域内の家畜は「殺処分」せよ――。2011年5月、国から出された指示に、当然のことながら多くの畜産農家は反発した。
 福島県浪江町の「希望の牧場」代表の吉沢正巳(61)ら十数軒を除く300近い畜産農家がやがて、説得に応じ、泣く泣く牛を手放した。
 飼育のために立ち入ることもできない圏内でまだ生きていた約1700頭が、「安楽死」させられた。
 何人かは避難するにあたり、「同意拒否」を宣言していた吉沢らに牛を託していった。

 「俺はここで被曝(ひばく)した牛と生きていく。それが国と東電に対する猛烈な抗議なんだ。俺自身がエサをやりながら被曝してもね。こいつらは、原発被害の生き証人なんだから」
 今も絶えることのない牧場見学者に対して吉沢は、ときに怒りにまかせて演説をする。

 「国への抵抗や原発への怒りは分かります。でも、この闘いに展望はあるんでしょうか?」
 今年3月、神奈川県から来た大学生の一人は疑問を投げかけた。
 牧場にいる300頭余りのほとんどが黒毛和牛と聞き、こう指摘する学生もいた。
 「もともと食肉用に殺すはずだった牛を飼い続けることに、矛盾は感じませんか?」
 そんな疑問や矛盾を、吉沢は決して否定はしない。
 「その通り。矛盾そのものさ」「矛盾そのものをそのまま生きている」。そう返すのだが、自分自身でうまく説明できない。

 そんな牧場主を、ボランティアスタッフの針谷勉(40)が支える。原発事故直後に通信社の記者として現地に入り、取材の中で吉沢と出会った。考えに共鳴し、通信社を辞めて独立。フリージャーナリストになり、傍ら牧場を手伝いだす。
 この4年の間に、針谷にとっての吉沢は「牛飼いの師匠」から「生き様の師匠」へと変わっていた。
 「吉沢父さんの生き方は、3・11後の彼の体験やこれまでの人生を理解しないと、言葉だけでは分からないんだよね」

 4年前の3月11日、東日本大震災の大きな揺れが襲ったとき、吉沢は南相馬市内のホームセンターで買い物をしていた。
 尋常でない揺れが落ち着くや、牛のことが心配になり、乗ってきたトラックですぐに牧場へ引き返そうとした。


No.1296
4 内陸へ、まるで戦場

 2011年3月11日。

 東日本大震災が起きたとき、福島県南相馬市で牧場備品の買い物をしていた吉沢正巳(61)は、揺れがおさまるや、すぐに自家用トラックのハンドルを握った。
 牛のことが心配だ。早く自分の牧場に戻りたい。

 吉沢が代表を務める「希望の牧場」は震災前、もともと「吉沢牧場」を名乗っていた。
 正式には農業生産法人・有限会社エム牧場(本社・二本松市)の浪江農場。場長の吉沢がエム牧場所有の肉牛約330頭を預かり、肥育・繁殖する契約だった。
 姉の小峰静江(こみねしずえ)(63)とその長男の敦(あつし)(36)も敷地内の住居で一緒に暮らし、牛の世話を手伝っていた。

 携帯電話は通じず、牧場とは連絡がとれない。先を急いだ。
 浪江町の吉沢牧場までは15キロほど。ふだんなら20分ほどで帰れる。しかし、道路の寸断と避難車両の渋滞で1時間近くかかった。
 戻ると、停電で地下水をくみ上げられず、ディーゼル発電機を起動して牛舎に給水した。
 直後、カーナビのテレビが太平洋沿岸部の大津波を伝えた。

 翌12日の早朝。
 牧場の南側を東西に走る国道114号では、東の海岸部から西の内陸部へと避難する車の混雑が始まっていた。

 心配になった吉沢は、避難の車列の進路とは反対方向に車を走らせ、海岸部の浪江町請戸(うけど)地区の様子を見に行った。
 津波で182人が亡くなり、うち32人の行方が今も分からない町内で、最も多くの犠牲者を数えることになる地区だ。海岸の街並みはなくなり、がれきしか見えなかった。今思えば、あのがれきの下には、波に引きずりまわされて傷つき、助けを待っていた人もいたはずだ。それをふり切るかのように西へ、内陸部へと多くの人々が、群れのように急ぐ光景が重なった。

 「まるで戦場だ」
 自分に戦争体験はないが、70年前、旧満州の荒野で侵攻してきたソ連軍から逃げ回ったと話していた亡き父の姿が、脳裏をかすめた。
 だが、吉沢にとってはもっと恐ろしい事態が、南東14キロ先の東京電力福島第一原発で進行していた。
 原発がおかしい。そんなニュースが前日から、カーナビの画面に流れ始めていた。


No.1297
5 なぜ犠牲なんかに

 2011年3月12日の早朝。
 福島県浪江町の吉沢正巳(61)が沿岸部の請戸地区で津波による惨状を目の当たりにする前、県警災害警備本部の通信班員約10人がワゴン車3台を連ねて吉沢牧場にやって来た。
 「ヘリコプターからの原発サイトの空撮映像を受信し、本部に中継する通信基地として、牧場の一角を使わせてほしい」

 14キロ先の東京電力福島第一原発の様子がおかしい。それは知っていたので要請を快く受け入れた。
 ところが職員らは夕方になって、急きょ、パラボラアンテナを片付け始めた。吉沢によると、こう言い残して立ち去ったのだった。
 「撤収命令が出たので引き揚げます。あなたたちもここにはいない方がいい。政府は情報を隠している」

 それより前の午後3時36分。
 原発1号機建屋で水素爆発が起きた。吉沢には知るよしもない。

 約3時間後の午後6時25分。
 浪江町北西部の山間地・津島地区を除く原発20キロ圏内に、避難指示が出された。
 町長の馬場有(ばばたもつ)(66)は、国や県、東電からは一切何の連絡も町になかったことを、今も憤る。

 2日後の14日午前11時ごろ。
 避難指示が出ても牛の世話のために牧場に残った吉沢は、連発花火のような大きな爆音を立て続けに2回聞いた。不安は膨らんだが、すぐには何の情報もない。そのまま牛の給餌(きゅうじ)を続けた。
 3号機建屋の爆発だったことは、二本松市にいた提携先のエム牧場社長だった村田淳(むらたじゅん)(60)からの電話で知った。

 15日朝、4号機建屋も爆発。
 村田に勧められるまま、牧場内の住居から姉の小峰静江(63)や甥(おい)の敦(36)とともに、西へ35キロの二本松市にある村田宅へ一時避難した。だが、牛にエサをやるため、16日にはひとり牧場に戻った。

 17日朝、自衛隊ヘリが3号機めがけて袋詰めの海水を投下した。
 自宅2階から吉沢は、双眼鏡で観察していた。排気筒の高さを超えるほどの白い噴煙があがった。自衛隊員が危ないじゃないか。言いようのない怒りがわいた。
 牛の出荷についても「取引先から断られた」と、村田からすでに電話が入っている。
 俺たちや自衛隊員がなぜ、こんな無策の原発を進めてきたやつらの犠牲にならなきゃいかんのだ。
 納得できなくなった。


◇No.1298
6 牛はたぶん全滅する

 福島県浪江町の「希望の牧場」代表の吉沢正巳(61)は、震災前から筋金入りの反原発派だった。東北電力が地元に計画していた浪江・小高原発の建設では「カネによる地域の分断」も目の当たりにしてきた。
 牧場の14キロ南東にある東京電力福島第一原発では2011年3月12日、建屋の爆発が始まり、15日には自らが一時避難を強いられた。
 「東電本店に直接抗議に乗り込む」。そう決意するまでに時間はかからなかった。

 吉沢の牧場に牛約330頭を預ける提携先・エム牧場社長の村田淳(60)に電話で相談すると、村田もすぐに賛同してくれた。
 「牛の賠償を請求してくれ。牧場のスポークスマンとして」
 牧場内のトラックや作業車にわずかに残るガソリンをかき集め、拡声機を取り付けた軽ワゴン車に給油。17日夜、東京に向けて出発した。

 翌18日午前8時、東京・内幸町の東電本店。
 単身で入り口に現れた吉沢は厳戒警備中の警察官らに止められた。
 「福島県浪江町のベコ屋だ。放射能で俺は戻れなくなったし、牛は水もエサもなくて死んじまう」
 泣きながらの説明に、ついには私服警官が立ち会うことで応接室に通された。

 応対した東電社員に吉沢が訴えたのは二つのことだった。
 「牛はたぶん全滅する。必ず全て弁償しろ」
 「逃げるなよ。自衛隊が決死の思いで闘ってる。お前たちが自分でつくった原発を自分で制御できなくてどうする、ふざけるな。俺だったら原子炉に水をかけに、命をかけてホース持って飛び込んでいく」
 吉沢が泣きながらまくし立てると、応対の社員も目を赤くした。

 その後も車で寝泊まりしながら1週間ほど都内をまわり、街頭演説や官公庁への抗議を続けた。
 浪江町の牧場に帰ると、留守を預かる村田は牛舎から牛たちを解き放ち、自由にさせていた。
 「一部の牛は牧場外に逃げたかもしれないし、近所迷惑かもしれない。でも、牛舎内で餓死させるより、はるかにましだ」。それが村田の考えだった。
 実際、浪江町や南相馬市の牧場、畜産農家ではその後、多くの家畜が餓死していった。空腹で牛舎の柱にかじりついたまま目をむいた牛、骨と皮だけになった馬などの死骸を吉沢も嫌というほど見た。


No.1299
7 人の手で生かす道を

 2011年3月下旬。
 東京電力本店への抗議から福島県に戻った浪江町の牧場主・吉沢正巳(61)は、二本松市にある提携牧場の社長・村田淳(60)の家に再び身を寄せた。
 3日に1度、35キロ先の自分の牧場まで通い、牛にエサをやり続けた。牧草のほかに廃棄されるモヤシかすや野菜くず……。今はそれらを相馬市内の食品工場から直接もらい受けてくるが、当時は提携牧場から運び込み、冬場の牧草不足を補った。
 牧場は福島第一原発から北西14キロの地点。被曝(ひばく)は覚悟の上だった。

 原発事故の発生から1カ月余りになる4月22日、国は原発20キロ圏内を立ち入り禁止の警戒区域とし、バリケードや検問所を設けた。区域内に入ったり寝泊まりしたりする場合、たとえ自分の家でも国や市町村長の許可が必要になった。
 許可証は簡単には出ない。それでも、吉沢は牧場通いをやめるわけにはいかない。最初のうちは、バリケードをどけたり、牧場に通じる抜け道や獣道のような山道を利用したり……。検問の警察官に止められると、こう説得した。
 「牛が死んでしまう。エサをやらないと。自己責任で入る」

 しかし、次第に警備は厳しく、バリケードも堅固になっていった。
 5月12日には、区域内の家畜を殺処分にするよう国の指示が出た。

 そのころ、民主党の衆院議員だった高邑勉(たかむらつとむ)(41)は自主的に被災地に入り、家畜救出を求める農家の訴えに耳を傾けていた。その中で吉沢のことを知り、仲介に動き出す。
 「家畜の衛生管理」や「被曝牛の学術調査・研究」への協力名目で、許可証が出るよう尽力した。
 「牛を殺すな」。同じように共鳴したボランティアやジャーナリストらが全国から支援に駆け付けるようになり、彼らと協力しつつ高邑と吉沢は7月、「希望の牧場・ふくしま」プロジェクトを立ち上げた。警戒区域内の家畜は「餓死か殺処分」の二者択一ではなく、「人の手で生かす」という第三の道を模索しよう。それが狙いだった。

 南相馬市や浪江町の役所窓口で、吉沢は「公益目的の一時立ち入り許可証」を得られるようになった。
 だが、役所の窓口では、吉沢が牧場内に「殺処分反対」「反原発」などの看板・幟(のぼり)などを設置し、国の政策を批判していることを問題視。許可用件の「目的外行為だ」として撤去を求めたりした。


No.1300
8 同意書「憲法違反だ」

 2011年3月の福島第一原発事故に伴い、原発20キロ圏内の「希望の牧場」は立ち入り禁止の警戒区域内に入った。それでも牧場代表の吉沢正巳(61)は牛の世話を続けた。そのために2週間ごと、地元・福島県浪江町の役場へ出向き、立ち入り許可証の更新を繰り返した。11月以降は、ある同意書の提出も求められた。吉沢は疑問や不満を抱きながらも、仕方なく応じ続けた。
 同意事項は、作業内容や結果をインターネットなどで公にする場合は必ず町の許可を得る▽マスコミなどの取材は一切同行させない……。書面の内容は、メディアに門戸を閉ざさない吉沢に同行取材するジャーナリストたちの間で、波紋を広げていった。

 明けて12年の5月初旬、東京。
 弁護士の日隅一雄(ひずみかずお)は、コメントを求める記者の取材を受け、事情を知ると怒りの言葉を口にした。「明白な憲法違反ですよ」
 産経新聞の記者を辞め、法曹の道に転じて14年余。原発事故が起きたあとは、東京電力や国の記者会見に欠かさず通いつめ、情報の隠蔽(いんぺい)を厳しくただし続けていた。取材応対もそこそこに、すぐ吉沢の携帯に電話を入れた。「国と町へ抗議の申し入れをし、記者会見で事態を公表したいのですが」

 その後の行動も早かった。
 東京弁護士会の報道と人権部会の元部会長・梓澤和幸(あずさわかずゆき)(72)を誘い、「弁護団」を結成。5月17日には国の原子力災害対策本部と現地対策本部(オフサイトセンター=OFC)や町に「表現の自由の侵害だ」と申し入れ、県庁で記者会見も開いた。主張はこのようなものだった。
 牧場作業の公表をめぐる事前許可の「強制」は、憲法で禁じる検閲にあたる。ジャーナリストの同行の「禁止」は取材を受ける権利、ひいては取材する権利を侵害し、報道の自由、市民の知る権利を侵す。

 町役場は許可証を出すにあたり、なぜ一連の条件をつけたのか。会見にいたる過程の中で、記者は町長の馬場有(66)から聞いていた。 「条件を町がつけた覚えもないし、つける必要もない。国は形式的に許可権限は町にあるというが、実態はすべてOFCが指示している」
 これに対しOFCの担当者は、かみ合わない釈明をした。 「警戒区域で牛を飼う行為が野生化する牛を増やし、周辺に迷惑をかける。町の担当者から相談を受け、同意条件を協議した」


No.1301
9 「余命半年」を超えて

 2012年5月17日、福島県庁。

 牛を飼い続けるのに必要な許可を得るため、不本意な同意書を出してきた浪江町の「希望の牧場」代表・吉沢正巳(61)は、東京の弁護士・日隅一雄ら「弁護団」と開いた記者会見の場にいた。
 福島第一原発事故後の11年4月以降、警戒区域内に入った牧場は自由に立ち入れなくなっていた。
 立ち入りが禁止され、例外的に許可を得て入った場合でも、区域内でのことを公表したり、マスコミに書かせたりしてはならない――同意書で国と町から課された「条件」は、要約すればそういうことだった。
 会見では表現・報道の自由や知る権利などを侵し、憲法違反にあたるなどと強く抗議。結果、「条件」はほどなく撤回に向かう。

 会見に臨んだとき、中心にいた日隅の体はぼろぼろの状態だった。意識がもうろうとして思考を妨げるからと鎮痛剤も使わず、全身に広がった痛みに耐え、マイクを握った。
 「末期の胆のうがんで余命半年」。そう医師に告知されてから、すでにほぼ1年。
 日隅はこの間、入院治療を拒んで20日間で退院後、自宅闘病を続けてきた。抗がん剤を打ち、漢方を含むあらゆる療法を試みつつ、東京電力や原子力安全・保安院の記者会見に延べ100回以上も通い続けた。
 政府の「低線量被曝(ひばく)についての間違った発表」、東電の「汚染水放出についての情報隠し」……。県庁での会見の前月には、福島大で開かれた「原発と人権」シンポジウムで、原発事故をめぐる問題点を指摘、元新聞記者の立場からマスメディアには特に厳しい批判の矛先を向けた。
 「知り得たことを報道せず、放射能汚染情報を住民避難に生かせなかった」

 県庁会見の6日前。東京・原宿のギャラリーで牧場の写真展を取材していた記者の携帯が鳴った。
 「あす体調がよければ写真展に行きたい。案内してもらえませんか」
 日隅からだった。写真展のことは取材を受けて聞いていた。
 「本来なら牧場に行き、どんな牛たちをどんな風に育てておられるか、現場の土と風にふれながらお話を聞くべきなのです。ですが……」
 県庁や福島大のある福島市までは新幹線で何とか往復できても、さらに浪江町までとなると山越えが難しい。すでにギリギリの体調だった。
 「せめて写真を通して感じとりたいんです」

 * 「希望の牧場」が当日の模様を伝えた記事がこちら。
 2012年05月18日「化かされた」


No.1302
10 最後まで願い、逝く

 約束の午前10時半きっかり、東京・JR原宿駅前。
 待ち合わせ場所に現れた弁護士・日隅一雄は、支援する福島県浪江町の「希望の牧場」の写真展が開かれているギャラリーまで、数百メートルの道のりを1時間近くかけて歩いた。
 何度も何度も路上の縁石に座り込み、休んでは歩き、歩いてはまた休み、会場へと向かった。

 2012年5月12日のこと。
 数日後には、福島県庁で記者会見を開く予定が控えていた。
 福島第一原発20キロ圏内の牧場への立ち入りをめぐり、牧場代表の吉沢正巳(61)に課せられた「表現の自由への制限」に対し、抗議するためだった。

 しかし、1年前から末期の胆のうがんで闘病を続ける身には、さらに遠い沿岸部の牧場まで、となると往復するのは厳しい。支援に取り組み始めながらも、念願の現地入りを果たす見通しは立たないままだった。 ならば、少しでも現場の様子を知るために、写真展に案内してほしい。そう切望し、取材で知り合った記者に付き添いを打診してきた。

 すでに体は口からの食事を受け付けない状態で、この朝も点滴を打ち、待ち合わせ場所にやって来た。
 「短い距離ですが、やっぱりタクシーに乗りませんか」
 道すがら、何度尋ねても、「いや、大丈夫」と首を振った。

 ギャラリーに着くと、電話だけのやり取りだった吉沢と初めて顔を合わせ、静かに笑ってあいさつした。場内を回り、吉沢の説明を聞きながら牛の写真一枚一枚に見入った。
 最小限の言葉を交わしつつ、記者会見や関係官庁への申し入れの打ち合わせも済ませた。
 面会も含めて1時間ほどでギャラリーを出ると、日隅はさすがにどっと疲れが出たように見えた。
 「タクシーをお願いします」
 そう言うのが精いっぱいだった。都内の自宅マンションまで送られると、居間に入るなり、そのまま倒れ込むようにソファに休んだ。

 1カ月後の6月12日早朝。日隅は激痛に耐えかね、救急車で都内の病院に入った。
 先輩弁護士の梓澤和幸(72)や海渡雄一(かいどゆういち)(59)、国と東京電力の責任を記者会見で一緒に追及したジャーナリストの木野龍逸(きのりゅういち)(49)らが続々集まってきた。そんな心許せる「同志」たちに囲まれながら、日隅はその夜、永眠した。49歳だった。

 浪江町の牧場で訃報(ふほう)を聞いた吉沢は自責の念に苦しんだ。
 



朝日新聞【プロメテウスの罠】希望の牧場シリーズ 2 へ続く


希望の牧場 × 沖縄 : ’15/6/24 吉澤正巳 in 那覇 

CGqRABFUIAA6i4q.jpg
ポスター画像は、ベルポン‏@bellponponさん。


希望の牧場公式サイト
希望の牧場ツイッター
希望の牧場facebook

【楢葉の牛】やまゆりファーム・岡田さんが借りた牧場は「帰還困難区域」

 岡田さんが借りた牧場は、南相馬市小高区金谷八丈石山の麓の農家さん。 
 希望の牧場(居住制限区域)から僅か5,6キロメートルですが線量が高く、帰還困難区域(下図のピンク部分)に指定されています。 参照:避難区域の変遷について

26h1228.png


 牛の移動には南相馬市、福島県、国の許可が必要。国道には検問がしかれ、出入りには特別許可書が要る。 *参照:帰還困難区域の特別通過交通制度について

 南相馬市は近日中に結論を出し、当事者に連絡するそうです。許可は出ない。出る筈ないじゃないか!そんな事は、借りる前から分かっていた筈です。岡田さんは自分の意地だけで動いていて、牛のことは考えていない。いったい何の理由があって、岡田さんは「希望の牧場」にこうも敵対意識を持つんですかね?第三者を納得させる理由がない。非生産的なことばかりやっている。岡田さんが私に答えていたもっともらしい「理由」は、一つ一つ消滅していった。口実を失うと、岡田さんは一切応答しなくなった。

 「希望の牧場」が飼育放棄で岡田さんを告発したのは、岡田問題に終止符を打つのが目的です。
 決して、岡田さんを追い詰める気持ちからではない。ただ、これ以上、岡田さんに煩わせられたくない。 現場は余裕がない。岡田さんにやりたいようにやらせていても、所詮、キャパのない独立願望です。埒があかない。希望の牧場に近い、帰還困難区域に牛を移動させるなんて意味がない、あるのは岡田さんの不毛な意地だけです。行政が許可する筈がない。

 双方、納得済みの結論がでれば、岡田さんは処分されることはないと思います。希望の牧場は最初からそのつもりでしょう。岡田さんに罰を与える意図はなく、岡田問題でこれ以上煩わされたくないだけなんですよね。警察・行政を間に立てて問題に決着をつける目的で、告発という手段をとっただけです。
 岡田さんの飼育放棄で牛に犠牲は出ていない。「希望の牧場」が肩代わりしてきた。岡田さんは無断の飼育放棄を軽く考え過ぎですが、職場で無断欠勤するようなものです。事実は重い。

 岡田さんはこれ以上、意地をはらず、行政の不許可を区切りに、速やかに「やまゆりファーム」を解散し、やまゆりの口座を希望の牧場に引き継いで、被ばく牛レスキューから撤退されるのが宜しかろうと思います。
 希望の牧場はやまゆりの口座を引き継ぐ事で、おかしな連中に絡まれるのは避けたいと思っていますが、第三者的に見れば、口座を引き継がないと岡田さんに汚点を残す事になる。去就を誤らず、禍根を残さず終わりにして下さい。


知足美加子氏作「望郷の牛」 The Cow with Nostalgia
boukyou4.gif

「望郷の牛」は国展(国画会)出品後、
2012年8月6日に「希望の牧場」に寄贈された。
namie21.gif

いつの頃からか、「望郷の牛」は紅に染まり、
凱旋行動で「希望の牧場」のシンボルになっていく。
BrGGWtQCEAEzhnr.jpg

進化し続ける「望郷の牛」・・
craftsman ‏@craftsmantori
街宣車をフラッシュなし、フラッシュあり、LED点灯の順に撮ってみた結果・・・
何とも神々しい?望郷の牛が浮かび上がる・・・
これ・・・公道走れるのか?(=ω=;)
CE4RYrIUsAEffHW.jpg

希望の牧場・ふくしま‏@kibounobokujyou
紅いリボンは、口から血を流して死んでいった牛たちの無念を表現したんだ by 吉沢父さん
CFSVsxFUkAArHu7.jpg
プロフィール

チッチ

Author:チッチ
連絡先:℡:080-3882-3689(仲市) mail:anti_nuclear2011311@yahoo.co.jp
 *@を小文字に直してお使い下さい。
 
現在の閲覧者数:

最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR