人でもない物でもない、第三カテゴリー:"法律学の土台に地殻変動を起こす動物法"

 一橋大学大学院・青木人志教授インタビュー記事。
 内容から、平成21年頃(2009年)の記事だと思われます。

 法学は素人には難しく、逐条的に自分の主張に都合のよいものを勝手に拾い上げ、解釈する知ったかぶりのデマもネット上に散見される一方で、研究者の書く物は難しくて分からないと思い込んでいて、匿名の個人ブログで用を足している人も少なくありません。ネットのデマはそういう所から広がるんですね。

 一般人は個人学習が目的ですから、一般市民を対象にした専門家の動物法関連の分かり易い本や解説を読んだほうが間違わずにすみます。リンクしたインタビュー記事は内容が濃く、分かりやすい。動物法の大きな流れの俯瞰的な視点を教えてくれます。全体的視点の大枠を理解した上で、次回法改正に取組んでいきましょう! 

 「愛護家の立場ではなく、法の可能性に挑むイノベーターとして、動物法を研究する
 *皆さんもリンクして下さい!

 『 法学には、二つの側面があります。一つは法自体を学ぶこと。そしてもう一つは法について考えることです。
 (中略)
 法律上日本では当たり前とされていることでも、外国では必ずしも自明ではない。そういう事例は、実はいくらでも挙げることができます。海外との違いはもちろん、日本国内でも過去〜現在〜未来で見たときに法律はつねに変化しているのです。法律とは相対的なものであり、かつ、その時代の人々の価値観によって変わっていくべきものなのです。私が担当している「比較法」では、このように法について考えるための視座を提供しています。国、時代背景などの要素をいわば「鏡」にして日本法を眺めることで、「現行の法律が絶対不変の権威である」「六法にはすべての問題に対する答え
が書いてある」という思い込みを壊し、頭を柔らかくし、多様な視点を身につける。比較法にはそんな効用があります。』

 『そもそも比較法の世界では、国・地域・民族・時代によって異なる文化を視野に入れて研究を進めることが不可欠です。そこで文化人類学や民俗学の専門家による書物をひもといていくと、必ず登場してくるのが、人と動物との深い関係についての記述です。
 アラスカのイヌイットとアザラシや犬ぞり。砂漠のベドウィンとラクダ。草原の遊牧民と羊。例を挙げればキリがありません。独自の自然観・宗教観・価値観などと結びつき、固有性を持った「人と動物の関係」をたくさん見つけることができます。ひるがえって日本の人と動物の関係がわが国の動物法として表れたとき、他の国や地域とどう違ってくるのか。これは文化を視野に入れた比較法、つまり比較法文化論における興味深い課題です。そこに動物法を研究する重要性があるわけです。』

 『 権利主体としての「人」。権利客体としての「物」。法世界はこれら二つによって構成されており、それは古代ローマ法以来変わっていません。近代西洋法の流れをくむ日本法においても同様です。 (中略)しかし、動物保護に関するルールが手厚く整備されているヨーロッパ諸国ではその分類が揺らぎ始めています。たとえばフランスの民法では「動物」と「物」が条文表現上は書き分けられており、「動物」が「物」とは別のカテゴリーとして意識されています(*注1)。またドイツの民法では、まず「物」を、実際に触れたり知覚したりできる「有体物」と定義しています。そしてそのうえで「動物」は「物」
ではないと明言しています。ただし、特別な規定がないかぎり、動物は本・自動車・パソコンのような「動産」として物と同じ扱いを受けるのです。つまり両国とも、動物は物と同じような扱いだが物とは違う、としているわけで、動物の扱いについて悩んでいる様子がうかがえます。』

 『 使役動物・畜産動物・実験動物を対象に19世紀から着々と法整備を続けてきたヨーロッパ各国に比べ、日本は遅れているという向きはあるかもしれません。たしかにイギリスのように動物に関する法整備が進んでいる国を基準にすれば、日本はルールそのものがまだ少ないし、厳しさも足りないと言えるでしょう。しかしイギリスを手本にするのではなく、日本独自の人と動物の良好な関係づくりを目指すのであれば、必ずしも日本が遅れていることにはなりません。
 実際、この10年で日本の動物法は驚異的な発展を遂げています。』

 『 そうなると、わが国でも、「動物は『物』である」という分類自体に「すわりの悪さ」が感じられてきます。特に日本においては、高齢化・核家族化によって動物(とりわけ愛玩動物)が準人格的性質を帯びてきています。その一方で、医療技術の発達によって人間の臓器・胚を人体から取り出して利用できるようになっています。つまり「物」の「人」化、「人」の「物」化が同時に進み、古代ローマ法以来の「人・物」という二分法自体が制度疲労を起こしている状態なのです。
 動物法を通じて比較法を研究する者として、踏み込みたいのはここなのです。すなわち、動物(および臓器等)を「人」と「物」のどちらかに無理をして分類するのではなく「第三のカテゴリーとして保護できないか?」という問いを立てることです。動物法の発展は、法律学の土台に地殻変動を起こし始めていると言えます。


 *注1:その後、フランスでは民法が改正され、財物(biens meubles )ではなく、「êtres vivants doués de sensibilité 」と定義されました。青木先生はsensibilité を感覚と訳しています。単語一つ一つは簡単ですが、訳は難しい。要は動物も人間と同様、暑さ寒さや苦痛や感受性に敏感な生き物でっせという事です。刑法と農業法は民法に先行して規定しており、次の目標は憲法規定で、既に何年も前から議論は活発に継続されています。
 ・官報Article 2。

 もっとも、元老院(Sénat。上院と訳されてもいます。)では、馬鹿げていると否決されました。
 しかし、2015年1月28日、国民議会(Assemblée nationale) が可決。国民議会は昨秋、可決してセナにあげているので、その時点で、民法改正は期待されていました。 d(⌒ー⌒) グッ!!    
 ・2015/1/29 Les animaux ne sont plus des biens meubles
 ・2015/1/28 Les animaux sont désormais officiellement « doués de sensibilité »

 流れを見るには、次のような文献がネットで見れます。
 ・「法文化論的にみたフランス動物法の新展開-一九九九年一月六目法を索材としてー
 ・「動物に法人格は認められるかー比較法文化論的考察-
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