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映画「NO」と「No-Kill 運動」

 公開中の映画「NO」は、1988年のピノチェト大統領信任投票で、反ピノチェット勢力を勝利に導いたテレビキャンペーン戦略に焦点を当て制作されました。

 投票日前の27日間、支持派「YES」と反対派「NO」の各陣営に1日15分間のテレビキャンペーン枠が設定され、大同団結した「NO運動本部」が、広告クリエーター・レネ・サアベドラ氏に制作を依頼する場面から映画は始まります。国民投票は政権側が仕掛けた「出来レース」と見られていましたから、テレビ・キャンペーン放映の前段で、投票が公正に実施されるよう、「NO運動本部」はありとあらゆる手段を講じていました。
 残るは国民一人一人が行動するかどうか・・・、全てはそこにかかった終盤戦。
 軍事独裁政権の恐怖と無力感に馴致され、ばらばらに切り離された民衆に、マスとして「NO!」を言わせることが出来るのか?その役割を担ったのが15分間のテレビキャンペーンでした。

 史実についてはラテンアメリカ現代史がご専門の高橋正明氏(東京外国語大学)等の下記サイトを参照して下さい。
 ・『「ノー」の15分 (ビデオプレス)
 ・『「ピノチェト・ノー」の運動
 ・『国民投票で「ノー」 が勝利
 ・アメリカ国家安全保障アーカイブは、2006/12/12付で、CIAの機密文書も含む、機密解除したピノチェット関連公文書を公示。 Peter Kornbluh 、 Yvette White 両氏のリポートがこちら。
  『PINOCHET: A Declassified Documentary Obit
  Archive Posts Records on former Dictator's Repression, Acts of Terrorism, U.S. Support 』 
 


 しかしこの映画のテーマは、軍事独裁政権を国民投票で退陣させた民主主義の勝利ではない。 
 パブロ・ラライン監督はインタビューで次のように語っている。


 しかし広告マンの方がイデオロギー的にもっと破壊的な見方を持っていると思いました。
 というのも広告マンがやったのは、当の独裁から学んだ道具を使うことだったからです。その点でとても興味深いパラドックスが生まれたのです

 ピノチェトは独裁の下で一つの経済モデル、社会モデルを押しつけました。資本主義です。そしてこの資本主義が持ち込んだのがマーケティングや広告でした。そしてまさにこの道具によってピノチェトは打ち負かされたのです。NO の運動は、マーケティングにつながる論理を利用して民主主義を回復しました。その意味でNO の運動はそれ以後のチリで起きたことを暗示しています。
 今日、チリでは、8 人から10人の人間が富を握っています。国家の役割は非常に小さく、企業は巨大です。まっとうな教育を子供に授けようとすればとてもカネがかかり、公教育は劣悪です。社会保険による医療はまあまあだとしても、行き届いた治療を受けようとすればとても高くつきます。私の国は小さな「モール」になってしまいました。そしてこの「モール」への最初の動きこそは、広告とマーケティングによって民主主義を回復したまさにそのやり方にあったのです。



 ラライン監督のこの映画の主人公は、「大衆」と「マーケティング戦略」である。
 大衆の心を掴んだ者が支持を得て勝利する。
 大衆は、仕手筋と非対称の関係にあるマスである。
 政治や大資本の権力筋や学問的宗教的な権威筋、社会に認められたい野心家や勢力を増大したい運動母胎。インターネットの普及で無名の個人もプチ仕手筋になり得る、詐欺師は仕手筋の御大将だが、荒唐無稽な詐欺話にコロコロと乗せられる人は後を絶たない。
 無責任に惑わされやすく、熱し易く冷め易いマスとしての大衆は、民主主義の限界を感じさせるが、民主主義に代わるより良い制度はまだ無い。

 小泉首相も郵政民営化に際して、大衆世論を賛成に誘導するのに広告会社を使った。
 一人一票だ、一票の質は問われない。争点を理解しているかどうかは問題じゃない。
 あの高い小泉支持率は異常だった。私は皆が何に熱狂しているのか最後まで理解出来なかった。
 小泉さんの写真集までヒットしたのである!正気とは思えなかったし、小泉さんが毀したのは自民党ではなく、日本の政治そのもののような実感がある。小泉人気に確かな根拠も目的の共有もあったとは思えない。

 『政治は数であり、数は力、力は金だ』、加えてマーケティングの論理が導入され、人々は誘導される方向に自らすすんで流れていくようになった。仕手筋が熱狂を生み出せば、人々は思考停止に陥って、熱狂の輪の中になだれ込んでくる。それは実に今日的なテーマであり、私達は否応なく影響を受けるし、その支配下にある。

 動物愛護の「No-Kill 運動」も同じ現象だった。
 それは確かに新しいページを開いたのである。俯瞰的に見れば「No-Kill の大合唱」が無益だったとは思わない。その後押しが、「増えれば殺せばいい」から、無用な殺生をしなくてすむよう法整備や制度整備で道筋をつけていく方向へ大転換させた。乱暴ではあるが、バックコーラスの力で一大転換の時期を早めたことは間違いない。
 しかし、ほとんどの人が「No-Kill 運動」の趣旨を勘違いした。これから長い道程が始まるのであって、新しいステップに立ったからといって、直ぐに殺さなくてすむわけじゃない。
 動物愛護と管理法の精神に準じて複数の自治体が地域猫の施策を実施しているが、京都市の「動物による迷惑等の防止に関する条例案」改め、「動物との共生に向けたマナー等に関する条例」が成立したのも動物愛護と管理法の精神に依拠している。私達は動物の権利が尊重されることを望んだ、権利は規定されるものなのだ。

 青木人志教授が示唆するように、『動物法の発展は、法律学の土台に地殻変動を起こし始めている』という文脈において、「No-Kill 運動」は一つの役割を果たしたと思う。古代ローマ法以来の人間だけが権利主体の法体系では、人類の滅亡に関わるような深刻な環境破壊や生態系の崩壊に歯止めをかけられなくなった。身近な犬猫に対する深い思い入れが、動物法を発展させ、それがエコロジー憲法や環境権の確立に繋がっていくのであれば、こんな素晴らしいことはない!
  ・人でもない物でもない、第三カテゴリー:"法律学の土台に地殻変動を起こす動物法"

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