【宮城県白石市】汚染牧草を「希望の牧場」へ飼料提供ー自治体の適正な判断力ー

  『山が動いた、、』@希望の牧場ツイッター

 希望の牧場スタッフの地道で堅実な努力が実った\(^o^)/
 希望を捨てず、決して諦めなかった関係者の皆さんが道を開いた(*^_^*)
 どんだけ大変だったか!
 傍から見ていても長く険しい道のりでした。
 おめでとうございます♡

 農家の皆様、白石市役所の皆様、有難うございました(^-^)/



<汚染牧草>処理めど立たず「希望の牧場」に
河北新聞 2015年10月30日

 宮城県白石市は29日、東京電力福島第1原発事故の放射性物質を含む牧草を福島県で被ばくした牛を飼う「希望の牧場・ふくしま」(浪江町、南相馬市)に運ぶ事業を始めた。市側は大量の汚染牧草を保管する畜産農家の負担を取り除き、牧場側も常に不足する飼料を確保できる利点がある。

 白石市内の畜産農家には、国の基準値(1キログラム当たり100ベクレル)を超え、飼料として使えない牧草ロールが約1100個(1個300~500キロ)ある。保管の長期化でラッピングの損傷が激しいため、廃棄物保管専用袋に詰め替え、大型トラックで約70キロ離れた希望の牧場に運搬する。11月中に終える予定で、事業費は約1400万円

 市は当初、牧草ロールを3カ所の仮置き場に集約する事業を計画し、9月定例議会で関連予算が成立した。一方、希望の牧場から牧草の提供を求められた農家の情報を得て、牧場と協議して方針を変更した。
 仙南で広域処理するめどが立たない上、仮置き場に保管していずれ焼却するとしても費用がさらに膨らむ背景もある。市幹部は「われわれは困っている畜産農家の代弁者。互いの課題も一気に解決できる」と説明する。

 希望の牧場で飼育されている牛は300頭以上。食用出荷はできないため、募金や書籍販売の収益で餌代などを賄っている。一般市民に原発事故のありさまを伝えるとともに、大学の研究者も調査に訪れる。
 代表の吉沢正巳さん(61)は「国の方針とは合わないかもしれないが、合理的な処理方法だ」と指摘。「被ばくしたからと言って命を粗末に扱い、見捨ててはいけない。原発事故の生きた証しとして、寿命まで世話したい」と話し、他にも協力を呼び掛ける。



希望の牧場公式サイト
【2015年10月30日】代表声明 10.30
 
希望の牧場は、大震災・原発爆発事故以降、5年近くに及び、警戒区域において、330頭の被ばく牛の命を、国・農水省・福島県の餓死、殺処分という悲惨な扱いのなかで抵抗を続け、生かしてきました

 希望の牧場の毎日の仕事は、とにかく、いかに330頭の牛たちの餌を必死になって集め運び、そして与えること、これに尽きます。経済動物であった黒毛和牛はいまや、原発事故の被ばく影響研究調査の貴重な生きた証拠に変わっています

 昨日から、宮城県白石市より、被ばくした汚染牧草ロールの餌としての希望の牧場への搬入が、市の費用負担によって、始まりました。希望の牧場がずっと主張してきた通りに、汚染牧草ロールは、出来もしない国・環境省による、宮城県加美町における焼却処分ではなく、被ばく牛の餌として、有効に活用する道がようやく開けたのです

 白石市の方針を大歓迎します
 岩手県、宮城県、栃木県、福島県の汚染牧草ロールの保管処理に大変苦労している現場自治体のみなさん、今回の白石市の決断に続いて、希望の牧場への汚染牧草ロールの搬入をお願いします


 福島原発事故を忘れ、風化させないために、被ばく牛の存在と生かす意味を知ってもらために、
 希望の牧場は、牛の寿命が尽きるまで、汚染牧草の被ばく牛の餌としての活用を呼びかけます

         2015年10月30日
         一般社団法人希望の牧場・ふくしま代表 吉沢正己




参照:
2015年07月20日 河北新報】<汚染牧草>被ばく牛の命綱に

 栗原市などで発生した汚染牧草の一部は福島県内に運ばれ、被ばくした牛の飼料として活用されている。
 南相馬市、浪江町にまたがる「希望の牧場」。東京電力福島第1原発事故の影響で食用出荷はできないものの、募金や書籍販売の収益で和牛約330頭を飼育している。
 牧場は2012年ごろ、宮城、栃木両県から広域的に飼料集めを始めた。牧場の吉沢正巳代表(61)は「栗原からは5000個程度のロールを運んだ。牛の窮状を知った農家が提供してくれている」と話す。
 1キロ当たり100ベクレル超の放射性セシウムを含む汚染牧草は本来、飼料に活用できない。国は焼却を目指すが、灰処理のめどが立たず農家による保管が続く。
 牧場周辺には、被ばく牛を飼うことによる環境への影響を懸念する声もある。吉沢さんは「牛は被ばくの実情を探る研究材料になる。岩手などにも飼料の供給先を開拓し、あと5年は牧場を運営したい」と理解を求める。


【緊急災害時動物救援本部に対する不当訴訟】原告の請求棄却、原告控訴

 緊急災害時動物救援本部を被告とする不当訴訟の判決が出たようですね。
 2015年9月2日付けで、東京地方裁判所は原告の請求を棄却しました。
 原告は9月14日付けで控訴

 アニマルレスキューシステム基金(山崎ひろ氏代表)が仕組み、原告募集で僅か4名を原告として始まった裁判ですが、言い掛かりめいた不当訴訟です。山崎さんは判決文を掲載すべきですね。訴状と答弁書を掲載して、敗訴判決を掲載しないのはおかしいでしょう。

「やまゆりファーム」問題:基金の持ち逃げと約60頭の牛の置き去り

 「 「やまゆりファーム」基金の持ち逃げ問題に最後通牒」の続報です。

 吉澤さんは未だ書面を岡田さんに出していません ┐(´-`)┌
 けじめをつけないわけにはいかないだろうという理性と、告訴しなくて済むならしたくないという心情と。吉澤さんもシンドイ想いをしています。
 他のスタッフと話し合った結果、書面を岡田さんに送ることは止め、弁護士に事件を一任し告訴手続きに入る事にしたそうです。岡田さんは話が通じないし、書面を受け取れば恫喝的な強要としか受取らないでしょう。告訴しても、大きな事件ではないので、警察も逮捕するような事はないだろうという事でした。吉澤さん達は最後まで、岡田さんを傷付けないで問題解決出来ればと願っていたようです。

2014年6月7日「松村直登・藍原寛子対談」

 私の主宰する「鳥取共生動物市民連絡協議会」では、他団体と連携して 中村真夕監督「ナオトひとりっきり」の鳥取県内リレー上映会を予定しています。
 映画は現在全国を一巡中で、自主上映会申し込み受付は数ヶ月先のことになりますが、時期がくれば実行委員会を発足しますので、関心のある方は仲市までご連絡下さい。

 原発20キロ圏内の自宅にとどまり、置き去りにされた家畜の世話を続ける松村さんの報道は、海外メディア先行で国内メディアはほとんど取り上げてきませんでした。ご紹介する2014年6月7日の対談の中で、2011年当時の国内報道規制の実態と、社の方針と対峙する個々のジャーナリストの奮闘の裏話が出てきます。その一つ、「毎日新聞2011年12月14日付けの記事」は下記サイトに全文が転載され、今も読む事が出来ます。どなたか知りませんが、記者の発奮の賜物ですね♪
 ・「毎日新聞:「警戒区域に独り 井戸水とろうそくで生活」富岡町の松村直登さんインタビュー(APに遅れること3ヶ月半、BBCに遅れること3ヶ月)」


 
 異常な状況に正面から向き合い、ユーモアを交えた松村さんの率直なお話は、東電本社相手の激しい場面を語りながら平常心を失わず、生き抜く力と日常のぬくもりや穏やかさを感じさせます。

 リレー上映会へ向けて、今後も松村さん関連の記事を随時、ご紹介していきます。

「やまゆりファーム」基金の持ち逃げ問題に最後通牒

 「Y問題」=やまゆりファーム問題です。
 吉澤さんは、内容証明付きで岡田さんに最後通牒を出すとおっしゃっていました。
 要求は、
 1 速やかに「やまゆりファーム」を解散する。
 2 希望の牧場が飼育している「やまゆりファーム」の牛の所有権を、速やかに放棄する。
 3 やまゆりファームの基金を速やかに希望の牧場に引き継ぐ。

 期限は9月末です。
 岡田さんの速やかな対応がない場合、事件は刑事司法に委ねられます。

 希望の牧場さんは、寄付金の問題でボランティア間で法的措置を取る事に抵抗感があったのですが、それはやはり「告訴権の濫用的不行使」に該当します。このままにしてはいけません。
* 告訴権の濫用的不行使とは、告訴をする義務があるのに告訴をしない場合、または、告訴をするのが適切なのに告訴をしない場合をいう。後者を狭義の濫用的不行使と呼び、前者を含めたものを広義の濫用的不行使と呼ぶ。

 やまゆりファームの牛の出自は「楢葉の牛」です。元々は根本牧場の牛達だった。
 蓄主の健康上の理由で致死処分以外の選択がなくなった時、永澤さん達が何とか生かしたいと、希望の牧場に無理を言って縋ったものです。吉澤さんは一度断ったものの、千件近い「お願い投稿」にほだされ、受け入れた経緯があります。
 もし当時私が見守っていたのなら、「お願い投稿」は「お願い」だけだから、虫のいい「お願い」に耳を貸すなと忠告したでしょう。お願いする人達は他力本願で何もしない人達だから、60頭を越す無理な頭数を引受けるべきではないと強く主張したでしょう。
 実際、希望の牧場関係者の中には、この「お願い」を胡散臭く見ていた人も少なくなかった。

 引受けるのなら引受けるで、最初から楢葉の牛を希望の牛として合流させれば、問題は無かったと思います。 客観的にみて、そうするのが適切だった。
 ふるここの谷さんもそうですが、「楢葉の牛」ボラさん達も、現実のキャパを無視して、「私(達)が」助けるんだという妄想を持っているんですね。「私(達)が」が味噌なんです。愛護特有の臭みです。自己の承認欲求と動物救護の気持ちが不可分に一体化していて、それが一般の人々に漠然と違和感を感じさせるのですが、多分、吉澤さんも考えるともなく、それを感じ取り、それならそうしてあげようと思ってしまった。牧場は現場の人手を必要としていたし、「千件のお願い投稿」に現場に来る人が増えることを期待する気持ちもあったでしょう。

 それが間違いの元。ー今だから言えることですが・・・

 楢葉の牛は附金集めに利用され、根本牧場にいる時にはサラ・ネットワークの谷野が勝手に「ファーム・アルカディア」を立上げ、移転の時には寄附金の残額を持ち逃げしています。
 今、岡田さんが谷野と同じ事をしている。

 その岡田さんは以前、谷野を訴えるといって永澤さんから弁護士の相談費用10万円を引き出していますが、結局、法的措置は何もとられなかった。10万円に関して永澤さんは何も追求するつもりは無いと言明しており終わったことですが、谷野を批判した岡田さんが同じ行動に走り平然としているのが解せません。
 

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日常的使用で命の輝きを増す「望郷の牛」(知足美加子氏作)

 進化し続ける「望郷の牛」。

 「プロメテウスの罠」によれば、吉沢さんが「望郷の牛」を赤く塗ってしまった時、事務局スタッフは慌てたらしい。
 ご寄贈頂いた芸術作品に、素人が勝手な手を加えたりして!

 『 心配したスタッフの針谷勉(40)は、知足に謝罪の電話を入れた。予想に反して、おおらかな答えが返ってきた。
  「作品は私の手を離れ、吉沢さんのもとで歩き出しています。私に赤は塗れないけど、それが吉沢さんの怒りの真実の色ならば、これもまた必然です」むしろ、本来は動かない彫刻作品が、吉沢の言葉とともに全国各地を動き回ることに、「新鮮な驚きと喜び」を知足は感じた。』


知足美加子氏作「望郷の牛」 The Cow with Nostalgia
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「望郷の牛」は国展(国画会)出品後、
2012年8月6日に「希望の牧場」に寄贈された。
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3ヵ月後、「望郷の牛」は紅に染まり、
凱旋行動で「希望の牧場」のシンボルになっていく。
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吉沢さんの更なるリクエストに応え、鳥澤さんが、ライト装置を装着。
『街宣車をフラッシュなし、フラッシュあり、LED点灯の順に撮ってみた結果・・・
何とも神々しい?望郷の牛が浮かび上がる・・・これ・・・公道走れるのか?(=ω=;) 』
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吉沢さんは「望郷の牛」に、ドンドン、やりたいように手を加えていく!
『 紅いリボンは、口から血を流して死んでいった牛たちの無念を表現したんだ by 吉沢父さん 』
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沖縄凱旋で、吉沢さんは彫刻家の金城実氏を訪問する。
「望郷の牛」に喜んだ金城さんが指示を出し、望郷の牛に農業用の黒いネットが詰められた。
生みの母・知足さんから数えて、二人目の芸術家の手が加わり、
「望郷の牛」は威風堂々と辺りを払う「黒毛和牛」に変身!
どうよ、この存在感!さすが芸術家!手の加えようが違う!すごっ!
ベルポンさんのツイッターから
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畠山理仁さんのツイッターから
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そして、今また、吉沢さんがいじくっているようです・・・・・
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 どれだけイジクられようと、「望郷の牛」の訴える力は変わらない、元がいいから。
 製作者の力量を感じます。
 九州大・知足美加子准教授さんの作品「望郷の牛」は、展示作品が福島第一原発事故の歴史の中で歩き出し、独自の存在感をますます発揮しています。私には、あのイダイな故シゲシゲと「望郷の牛」が、なぜか重なって見えるのです。
 

朝日新聞【プロメテウスの罠】希望の牧場シリーズ 4

 ・朝日新聞【プロメテウスの罠】希望の牧場シリーズ 1~10
 ・朝日新聞【プロメテウスの罠】希望の牧場シリーズ 11~20
 ・朝日新聞【プロメテウスの罠】希望の牧場シリーズ 21~28



No.1321
29 ベコ・トラ、沖縄行脚

 福島県浪江町の「希望の牧場」代表・吉沢正巳(61)は6月22日朝、那覇市の那覇新港フェリー埠頭(ふとう)に上陸した。牛をかたどった大きなオブジェをトレーラーに載せ、それをワゴン車で引っ張ってきた。
 自称「ベコ・トラ」(牛のトラック)。トレーラーの車体には「原発一揆!」「決死救命、団結!」、大きな拡声機を付けたワゴン車の屋根には「東電、国は大損害つぐなえ」の文字が躍る。吉沢は東京電力福島第一原発の事故以来、全国各地から講演に呼ばれ、被曝(ひばく)牛の実態を訴えてきた。だが、ベコ・トラで沖縄を行脚するのは初めてだった。

 「歓迎 初来沖 連携しよう! 福島×沖縄」「ようこそ」
 埠頭では、原発事故後に京都市から一家4人で那覇市へ移住した西尾舞(にしおまい)(36)が手作りのプラカードを掲げ、長男の淳之介(じゅんのすけ)(8)や次男の龍之介(りゅうのすけ)(5)とともに出迎えた。
 「過激なプラカードは作れませんでした。活動家ではないから」西尾がはにかむ。那覇市内で2日後に開く吉沢の講演会を、生協活動の仲間と準備してきた。住んでいた京都市は若狭湾の原発群から60キロ圏内に位置する。
 「福島第一原発から同じ距離圏の福島市や郡山市から避難した人も大勢います。事故が起きてからでは遅い。原発のない沖縄への避難は、夫もすぐに賛同してくれました」

 吉沢は上陸すると、空路で駆け付けた東京都のコピーライターで牧場サポーターの里見洋子(さとみようこ)(60)らと合流。名護市辺野古に向かった。俳優の故・菅原文太は晩年、病身をおして東京・渋谷の街頭に立ち、演説する吉沢に声をかけ、福島の反原発運動を支えようとした。生前の最後の取り組みが、辺野古の米軍基地新設反対運動への連帯だった。
 恩を返す。遺志を継ぐ。吉沢には、そんな思いもあった。

 「僕たちは原発事故で自分の町が崩れていくのを体験してきた。いま改めて、米軍基地に故郷を奪われた沖縄の人々の長年の苦しみが、理解できるつもりです」 吉沢の演説を拡声機で流しながら、ベコ・トラが辺野古の新基地建設現場に近づくと、反対運動のテント村の人々が拍手で迎えた。テント村の「村長」を務める安次富浩(あしとみひろし)(69)は、吉沢を海辺の監視テントに招き入れ、語った。
 「あなたの話はよく分かる。牛はものを言えない」


No.1322
希望の牧場:30 牛はものを言えない

 「牛は自分の命を助けてくれとは言えないんだ」 6月22日、沖縄・辺野古。米軍基地新設反対運動のテント村で村長の安次富浩(あしとみひろし)(69)は、「希望の牧場」代表・吉沢正巳(61)の言葉に一つひとつうなずきながら、自らの思いを口にしていった。
 「牛の話を、人に置き換えればいい。国が福島県民の命をどれだけ大事にしているかが見えてくる」
 「畜産農家が反対できないことを、問答無用で強行した。今の沖縄の問題にもつながる。当事者が気づいて声をあげていかないと、権力の思うがままだ。権力に命の選別をさせてはならない」
 東京電力福島第一原発事故の前までは、福島県浪江町の牧場から肉牛の買い付けによく来沖していたことや、今の牧場の牛の4分の1以上が沖縄系といえること……。向き合う吉沢は、そんな沖縄とのゆかりも安次富に伝えた。

 テントの外では、吉沢の宣伝カー「ベコ・トラ」(牛のトラック)に人々が群がっていた。
 反対運動を支援した故・菅原文太主演の映画「トラック野郎」に登場する派手な装飾の「デコ・トラ」(デコレーショントラック)をもじり、宣伝カーの通称にしていることを、吉沢は誇らしく説明した。

 近くの米軍キャンプ・シュワブ前でも演説し、351日目の座り込み抗議行動に参加した後、読谷村(よみたんそん)の彫刻家・金城実(きんじょうみのる)(76)の自宅アトリエに急いだ。昨年9月、神奈川県鎌倉市であった対話集会で同席した金城から、「6月23日は沖縄『慰霊の日』。当日の行動の準備に仲間が集まるから」と招かれていた。

 ベコ・トラに載った大型成牛の等身大オブジェに、金城は目を細め、子どものようにはしゃいだ。
 オブジェは元々、九州大准教授の知足美加子(ともたりみかこ)(49)が3年前の国展に出展した立体芸術作品だった。原発事故で飼い主を失い、エサを求めて放浪し、野生化した牛たちをイメージしたもので、「望郷の牛」と名付けられた。
 同じ時期に東京で開かれていた牧場の写真展を見た知足が、「やり場のない痛み」を感じ、出展後に作品を牧場に寄贈した。牛の体の輪郭に沿って鉄の棒を立体的につなぎ、白く塗った造形。牛の帰る場所が未来にあることを願いつつ、知足は祈るような気持ちで作った。


No.1323
31 怒りの色に染めた

 オブジェの牛は空を見上げて首をかしげているようにも、人間に向かってある問いを投げかけているかのようにも、見える。
 「なぜ、こんなことに?」

 九州大芸術工学研究院の准教授・知足美加子(49)が自らの立体作品「望郷の牛」を福島県浪江町の「希望の牧場」に運び込んだのは、3年前の夏だった。牛の輪郭に合わせ、直径13ミリの鉄の棒を一本いっぽん、溶接してはつなぎ、白く塗装を施したスケルトン(骨格)のような造形。牧場の一角に置かれた。
 東京電力福島第一原発の事故からまだ1年半。一面に広がる牧草の緑や阿武隈山系の山々、空の色が牛の体を透過し、失われた故郷の光景として見る者に迫ってくる。美術館の空間に置かれるのとは全く違う作品のようだった。

 3カ月ほど経った頃。作品を寄贈された牧場代表の吉沢正巳(61)は、白い輪郭を突然、真っ赤な塗料で塗ってしまった。
 「東京の街頭演説に連れていくから、目立つように革命の血の色に染めた」と、吉沢は悪びれるところがない。「芸術作品なのに」。吉沢らを支える牧場サポーターの間からも批判が出た。
 心配したスタッフの針谷勉(40)は、知足に謝罪の電話を入れた。予想に反して、おおらかな答えが返ってきた。
 「作品は私の手を離れ、吉沢さんのもとで歩き出しています。私に赤は塗れないけど、それが吉沢さんの怒りの真実の色ならば、これもまた必然です」むしろ、本来は動かない彫刻作品が、吉沢の言葉とともに全国各地を動き回ることに、「新鮮な驚きと喜び」を知足は感じた。

 今年の6月22日。初めて沖縄入りした吉沢の宣伝カー「ベコ・トラ」は、読谷村の彫刻家・金城実(76)のアトリエ前に横付けされた。近くのサトウキビ畑の農道には、金城が制作した巨大な彫像「闘う漁夫」と「海を守る鬼神」を積んだトラックがとまっていた。荷台には「沖縄戦の慰霊とは辺野古に基地を造らせないこと」と書かれた看板も載っている。翌23日の「慰霊の日」に、首相・安倍晋三(あべしんぞう)(60)に見せようと準備していたのだ。
 金城は自作の彫像を吉沢に披露する一方で、ベコ・トラに載せられた「望郷の牛」の造形の見事さにうなった。


No.1324
32 「慰霊の日」牛がゆく

 今年の「慰霊の日」を翌日に控えた沖縄県の読谷村。
 自宅アトリエ近くで、彫刻家・金城実(76)はしばらく考え込むように腕組みをし、突然こう言った。
 「誰かスーパーで黒いゴミ袋を買って来い。白じゃなくて黒だぞ」
 目の前には、宣伝カー「ベコ・トラ」。その荷台には、鉄の棒をつなげて等身大の牛をかたどったオブジェ「望郷の牛」が立つ。
 一体何を言い出すのか。ベコ・トラで沖縄入りした「希望の牧場」代表・吉沢正巳(61)や、翌日の行動の準備で集まった誰もが驚いた。

 「牛の身体に詰めるんじゃ」
 近所の農家の人が黒い農業ネットを持ってくると「これでいい」。人々がオブジェの空洞に詰め始めた。
 やがて、誰もが目を見張った。 「かなしみの牛が、天にほえる怒りの黒毛和牛に変身しちゃった」。吉沢に同行した牧場サポーターの里見洋子(60)が驚嘆の声をあげた。

 一夜明けた6月23日、沖縄は戦後70年の「慰霊の日」を迎えた。
 「沖縄全戦没者追悼式」に出席する首相・安倍晋三(60)に作品を見せよう。金城が制作した「闘う漁夫」と「海を守る鬼神」の巨大彫像2体を積んだトラックと、福島県浪江町から来た吉沢のベコ・トラは、支援者らと読谷村を出発した。

 糸満市の式典会場の周辺は、厳しい交通規制が敷かれていた。ベコ・トラは途中、パンクした後輪の修理に時間をとられ、金城のトラックとはぐれた。金城は警備の警察官に止められたものの、その混乱の間に吉沢らは会場に近づけた。
 街頭演説こそ禁じられていたが、原発批判の言葉を掲げたベコ・トラは、怒れる「望郷の牛」を引っ張り、会場の周囲を何周も回った。沿道では大勢の人たちが不思議そうな顔をしながらも手をふり、拍手し、「がんばれよ」と声をかけた。

 翌日以降、那覇市内2カ所で講演した後、吉沢はフェリーで鹿児島に渡り、九州縦断の講演旅行を続けた。26日夕、ベコ・トラで福岡市の九州大を訪ね、准教授でオブジェ作者の知足美加子(49)と3年ぶりの再会を果たした。
 「社会の荒波に独り立ちさせた我が子が、久しぶりに実家に帰ってきたみたい」。そんな不思議な感覚を、知足は覚えた。
 「たとえて言えば、頭が茶髪になっていて、びっくりした。けれど、紛れもない我が子。独り歩きをこれからも見守りたい」


No.1325
33 慰謝料請求せずとも

 東京電力福島第一原発の事故後の絶望のまっただ中から、「希望の牧場」は生まれた。
 支え続けたのは、北海道から沖縄まで400人以上のサポーターに加え、寄付を寄せてくれる財政面での支援者たちだった。
 牧場の預金通帳に残るだけで、寄付は延べ1万件近く。非営利一般社団法人としての「希望の牧場・ふくしま」の事業収入はゼロで、活動経費はすべて寄付金が頼りだ。
 牛のエサは汚染牧草をもらってきたり、モヤシや果実の搾りかす、稲わらなどを無料か安く譲り受けたり。その運搬や交渉の費用、交通費などが支出の大部分を占める。
 施設の管理運営経費を加えると、年間1千万円は下らない。

 代表の吉沢正巳(61)は福島県浪江町の牧場内で暮らす。生活費は、各地から声がかかる吉沢の講演料や個人カンパを充ててきた。「食料の差し入れは多いし、独身で無趣味の俺にカネはかからない」と吉沢は笑い飛ばす。
 原発の事故を受け、避難指示区域の住民に東電から支払われる毎月10万円の慰謝料さえ、まだ請求していない。「面倒なんで」と関係書類をためたままにしている。
 事故の前に約330頭いた牛の損害賠償は、牛の所有権が提携先の会社にあったため、牧場には一銭も入ってこなかった。
 「とにかくカネには縁がないし、執着もない人。それも問題なんですけど……」。ボランティアスタッフの針谷勉(40)はあきれている。

 メディアを通じた訴え、街頭宣伝活動、写真展……。それらに伴い集まる寄付はこの4年間で、年平均1千数百万円あったので、ここまでやってこられた。法人の預金口座が底をつきそうになると一人で百万円以上をポンと送金してくれる篤志家や、街頭演説のときに置いた募金箱に1万円札を入れてくれる通りすがりの人もいた。

 横浜市の法政女子高の国語教師・出澤映子(でざわえいこ)(60)は、2011年3月の原発事故直後から、人影の消えた警戒区域内に入り、取り残されたペットの救援活動に関わった。一方で家畜が餓死し、殺処分されていくニュースに心を痛めた。吉沢の活動を知り、被曝(ひばく)牛を生かしていることに救われる思いがしていた。
 11月、カンパ金を持って牧場へ。以来、3カ月に1回程度訪ねては牧場の雑事を手伝い、吉沢を自分の授業にも招待した。


No.1326
34 「札束社会」の克服
続く

 横浜市の法政女子高教師・出澤映子(60)が、福島県浪江町の「希望の牧場」に泊まり込みで通い始めて4年近くがたつ。
 冬場のエサ不足や飼料運搬車の冬タイヤの交換などで経費が膨らみ、牧場の台所事情が苦しいときは、スタッフからの情報発信で状況が分かった。気づくたびに、給料などをためた中から数十万円単位の寄付をした。計200万円近くになる。

 今年2月、選択授業の講師に牧場主の吉沢正巳(61)を招いた。「ベコ・トラ」に幟(のぼり)を立てたワゴン車で現れた吉沢に、生徒らは喝采した。震災や原発事故をめぐり出澤は生徒に問いかけた。「弱者の命を踏みつけての繁栄なら、水俣病と同じ構造では?」。この日のテーマは「ほんとうの豊かさとは?」だった。
 「お金とか『豊かな生活』とか出世とか、俗世間の価値観からは最も遠い所にいる自由な人」。出澤は吉沢を自分なりに分析してみせる。

 一方で、「世話が焼けて困った人だ」と感じることも多い。独身の吉沢は日常生活では料理も掃除もしない。片付けも苦手だ。強烈な個性に引きつけられる支援者らがいる。半面、過激に見える言動で離れる人もいる。そんなとき、吉沢は寂しげにこう言うだけだ。「あの人はこのごろ来ないんだよ。会ってくれないんだよ。向こうに行っちゃったんだよね」

 もちろん、寄付金が底をつけば牧場は行き詰まる――。よく分かっているからこそ、理解を求めて「牛を生かす意義」を街頭や集まりで説明する。ただ、吉沢の言葉は大衆にこびない。むしろ、人々の生活や生き方に疑問を投げかけ、挑発する。
 「福島の避難民は今も、狭くて寒い仮設や借り上げ住宅で暮らしている。東京の皆さんは、きょうもこうして豊かな暮らしを楽しんでいる。東京オリンピック? 勝手にやればいい。だけどね、福島の原発事故をなかったことにはできませんよ」

 老衰で死んだシゲシゲという種牛がいた。威厳があって気が強く、背に乗るのを許したのは吉沢だけ。スタッフの針谷勉(40)は語る。「吉沢の目標は原発を乗り越えること、札束で人の頬をたたいてつくってきた社会の克服です。カネより命を大事にする社会の実現――シゲシゲを乗りこなす吉沢を見て、僕は確信しました」




【希望の牧場】「望郷の牛」、鳥取市を通過♪

APF通信社 木野村匡謙‏@j_masakane
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 島根原発街宣の後、鳥取市経由で大阪に抜けると嬉しい連絡があり、昨夜23時半過ぎ、初めて吉澤さん達とお目にかかりました♪ 通りかかったご婦人が、足を止めて「望郷の牛」をしげしげとご覧になっていました (⌒-⌒)。人目を引きますよね。
 黒毛和牛に変身したのは、沖縄の方のアイデアで、詰め物は漁業用の網ですって。オブジェだったものが、吉澤さんの街宣行動にお供して生命を吹き込まれたかのようです。
  
 木野村さん、ももさんの総勢3名の「希望の牧場」ご一行様は、名古屋街宣までに更に各地のサポーターを拾ってゆき、女性陣は4,5名に増えた模様。名古屋での街宣は無事終了。静岡県浜岡原発にも寄る予定とか。
 明日の午後は東京で、「福島 生きものの記録 シリーズ 3 」上映後トークに出演。皆さん、タフです。

 朝日新聞「プロメテウスの罠」の希望の牧場シリーズが好評で、吉澤さんの講演会や写真展の企画を「さよなら島根原発ネットワーク」に提案しているところです。「ナオトひとりっきり」上映会も実施したいですね♪ 鳥取市在住の方で関心のある方はご連絡下さい。

朝日新聞【プロメテウスの罠】希望の牧場シリーズ 3

 ・朝日新聞【プロメテウスの罠】希望の牧場シリーズ 1~10
 ・朝日新聞【プロメテウスの罠】希望の牧場シリーズ 11~20



No.1313
21 家畜はどうすんだ

 「何しに来たんだ!」
 2011年3月21日、福島県南相馬市の市長室。あいさつに訪れた民主党衆院議員1期目の高邑勉(41)は、市長の桜井勝延(59)から叱責(しっせき)された。東京電力福島第一原発の建屋が次々と爆発していた。が、南相馬市には、国や県からの避難指示情報がほとんど届いていなかった。食糧や燃料などの生活物資も滞り、「兵糧攻め」の孤立状態にあった。桜井はその窮状を内外のメディアに訴えていた。

 民主党幹部が「支援物資を送っているのに届いていないとは? 誰か南相馬市長を黙らせてこい」と言うのを聞き、党の対策本部に詰めていた高邑が自ら手をあげた。しかし、到着した現地では、状況はまさに桜井が訴えていた通りだった。ほとんどの救援物資は、政府が設定した屋内退避指示の30キロ圏の外側で止まっていた。

 「政府に実態が伝わっていません。何かお手伝いできませんか?」
 高邑の言葉を聞くなり、桜井は「じゃあ泊まり込んで」と常駐を求めた。桜井の気迫に押された高邑は、地元の民主党関係者が借りていた事務所に泊まり込んだ。国会と南相馬市、そして各地の被災現場を行き来する生活が始まった。

 当時の市役所には、行方不明の家族や原発事故の情報を求める人々、支援物資の不足を訴える人たちが次々と来て、殺気だっていた。不安や不満をぶちまける人もいた。
 特に4月22日に原発20キロ圏内への立ち入りが禁止されてからは、「馬、豚、牛はどうすんだ」という畜産農家からの苦情が相次いでいた。
 「飼い主が家畜のエサやりなどで入域できるようにしてほしい」。高邑は、桜井から政府との調整役を頼まれた。

 東京のAPF通信社に勤めていた針谷勉(40)は、上司の山路徹(53)と市長インタビューを終えたあとも、同僚の木野村匡謙(43)らと南相馬市を拠点に避難区域内の取材を続けた。市内には、地元紙も含めたマスメディアの記者らがほとんどいなくなっていた。
 市役所で高邑と出会った針谷は5月中旬、原発20キロ圏内の取材規制の厳しさと、一方で記者が現場に行くことの重要性を訴えた。高邑は、すぐに状況を理解し、自分たちの調査活動の「記録係」として同行を認めてくれた。


No.1314
22 真実を、伝え切る

 2011年5月。
 APF通信社の針谷勉(40)は同僚の木野村匡謙(43)らと、東京電力福島第一原発から20キロ圏の警戒区域内の取材を続けた。福島県南相馬市役所で知り合った衆院議員の高邑勉(41)に同行し、ときには高邑の議員事務所のスタッフとして、検問を通った。
 高邑は市長の桜井勝延(59)から、立ち入りが禁じられた警戒区域内の牧畜農家の要望を聞き、国との間で調整するよう要請されていた。しかし、政府からは12日、家畜の殺処分指示が出る。調整のため、初めは馬、次に豚、そして牛……と順番に対応を進めていこうとした矢先のことだった。

 こうした中で針谷と木野村は、自身の人生を大きく変える浪江町の牧場主・吉沢正巳(61)に出会う。
 吉沢牧場を訪ねた高邑が牧場の提携先の社長らから現状説明を受けている傍らで、吉沢は黙々と牛にエサをやっていた。いま、牧場見学者の前や東京の街頭で雄弁に演説をぶつ吉沢と同じ人物とは、とうてい思えない印象の初対面だった。
 牧場へ通ううちに針谷と木野村は、吉沢の強烈な個性の虜(とりこ)になった。330頭の被曝(ひばく)牛をそのまま生かし続けるという「希望の牧場」プロジェクトに巻き込まれていく。

 2人の部下とは別に、APF通信社の代表・山路徹(53)は警戒区域内で取材と並行して、取り残されたペットの救出に取り組んでいた。世界各地の戦争・紛争取材の中で、山路は「危険地帯に自己責任で入ることが許されない組織ジャーナリズム」に疑問を感じ、勤め先のテレビ局を退社。独立後の1992年、紛争地専門のニュースを扱う今の通信社を立ち上げた。
 「震災・原発報道も戦争報道と変わらない」が持論だ。原発の爆発直後、針谷らが「20キロ圏内に入っていいか」と尋ねたときも、「『希望の牧場』を支援するスタッフになりたい」と伝えたときも、「自分で判断するように」とだけ答えた。

 中立性を失うほど取材対象にのめり込む。コンプライアンス(法令や社会規範の順守)に反する。どれもマスメディアの取材活動としては、ご法度だ。組織が禁じる理屈もわかる。けれどそれでは、そこに暮らす人々の思いも真実も伝え切れない。
 それが山路の報道哲学だ。「行きたい、伝えたいという者を止めたなら、この小さな会社をつくった基本原則が崩れ去る」


No.1315
23 命を見捨てられない

 東京電力福島第一原発の事故を機に、被災現地の取材に入った2人のジャーナリストは矩(のり)を超え、福島県浪江町の「希望の牧場」を支援し始めた。
 牧場主の吉沢正巳(61)にほれ込み、牧場のボランティアスタッフになった針谷勉(40)と木野村匡謙(43)。2人の「部下」を、APF通信社の代表・山路徹(53)はこう評する。
 「2人とも頑固だからね。自分の中に確固とした正義をもち、それに従って行動している」

 2011年7月、吉沢の思いを実現するため「希望の牧場・ふくしま」プロジェクトが始動すると、針谷は「山路さんに迷惑がかかるから」とAPFの専属を辞めた。今は東京都内に独立した事務所をもち、そこに「希望の牧場」東京事務局も置く。
 木野村はAPF東海支局長の仕事も続ける傍ら、岐阜県内から浪江町まで700キロを毎週のように車で通い続ける。牧場業務のために大型特殊免許まで取った。
 2人の支えもあり、吉沢牧場が前身の「希望の牧場」は12年4月、非営利一般社団法人として新たな一歩を踏み出していく。提携先のエム牧場からも自立しようとしていた。

 吉沢は目の前にいる牛を、どうしても殺せなかった。取材を踏まえて山路は吉沢を「今の時代に絶滅危惧種みたいな人だ」と言う。そんな山路も、人のいなくなった警戒区域の原発20キロ圏内を報じる中で、目の前の犬や猫の命を見捨てることができなかった。仲間とともに「犬猫救出プロジェクト」に取り組み、約60匹を救い出している。

 「どんな場合でも命というものが最優先にされなくてはならない」
 山路がテレビ局で働く報道マンだった頃から、戦争取材の中で学んできた原則であり、信念でもある。
 伝えることよりも、中立であることよりも、命を選ばねばならないときがある。過酷な条件下であればあるほど……。それは「原発推進は人の命より経済を優先させることだ」という吉沢の持論にもつながる。

 山路のように警戒区域内のペットレスキューを取材する中で、直木賞作家の森絵都(もりえと)(47)もまた、「希望の牧場」と出会い、心を揺さぶられ、突き動かされた一人だ。吉沢が発するたくさんの言葉たち。その「言葉の海」から、命の本質を突く「核心」を切り出し、絵本に結晶させられないか。


No.1316
24 「絵本にできる」確信

 絵本「希望の牧場」を作るため、作家・森絵都(47)は福島県浪江町に牧場代表の吉沢正巳(61)を訪ねた。2013年の晩秋だった。
 東京電力福島第一原発の事故から間もない11年春ごろから、20キロ圏内のペットレスキューに関わるボランティアたちの間で、吉沢は「知られた存在」だった。
 森は犬・猫の救出活動のノンフィクションを執筆しつつ、牛舎につながれたまま餓死していく牛たちのニュースや吉沢の名に接するたびに、「この犠牲を何としても伝えたい」と気にかけていた。

 所属する日本ペンクラブ主催の「脱原発を考える集い」が13年6月、東京の専修大学で開かれた。報告者として招かれた吉沢と初めて顔を合わせ、じかに話を聞き、悲壮感がないことに驚いた。それまでは「牛の話は悲しすぎる」と思い、絵本にして「お涙ちょうだい」の話になるのは嫌だった。
 牛飼いが牛を飼う――あたり前のことを妨害するあらゆる力に対し、ひるまず挑んでいく「強さ」を吉沢に感じ、「ノンフィクションの絵本にできる」と確信した。

 構想を練り、取材日程を調整し、編集者を通して絵を担当する画家を決めるのに5カ月かかった。この絵本の完成のためには、画家とともに現地を取材し、経験を共有することが必須だ。森はそう考えていた。
選んだのは、大阪市在住でイラストレーターとしても名を上げていた吉田尚令(よしだひさのり)(43)。
 岩崎書店(東京)の編集者を介した依頼の電話に、森作品の愛読者でもあった吉田は「意義ある仕事」としながらも、現地取材という条件には、「数日待ってほしい」と返事を留保した。
 福島の原発事故後、関西電力本店前の脱原発デモにも参加していたが、原発20キロ圏内の「希望の牧場」に入ることにはためらいがあった。

 「あなたも子どもの父親でしょ」
 電話を終えた傍らで妻が言った。3歳になったばかりの双子の男の子がいた。一方で妻は「どんなに反対しても行くんでしょ」と吉田の性格を見抜いてもいた。
 「放射線量があまりにも高い所には行かないから」……。
 話し合い、妻を納得させ、吉田は東京都内の集合場所に向かった。
 11月20日。初めて組む作家と画家は編集者と新幹線で福島へ。駅前からはレンタカーで阿武隈高地を越え、浜通りに入った。


No.1317
25 絵に吐き出してやる

 東京の出版社・岩崎書店の編集者が運転するレンタカーは、住民が避難して「無人の街」と化した福島県南相馬市小高区を抜けた。東京電力福島第一原発から北西へ14キロの地点。浪江町の「希望の牧場」が近づく。
 作家の森絵都(もりえと)(47)と画家の吉田尚令(よしだひさのり)(43)が同乗していた。

 2013年11月20日。前の座席で女性2人が会話を続けている。後ろの座席で吉田は無言のまま緊張していた。立ち入り禁止だった旧警戒区域内に初めて入る。除染土を入れた黒い袋が道路沿いに山積みにされていた。戸惑いつつ、持参したマスクは「しなくてもいいか」などとひとり思い悩んだ。

 旧警戒区域内でペットレスキューを取材した森も、牧場に来るのは初めて。視界が開けると、丘陵地帯に300頭以上の牛がいた。 「人間がいない所にこんなに牛がいるなんて」その数や体格の大きさに「迫り来る生命力」を感じた。犬・猫の救出活動に同行したときは、飼い主を失って「薄らぎ、失われていく命」ばかりを見た。違いは大きかった。

 牧場に着くと、吉沢がよどみなく、機関銃のように話し出した。次々と繰り出される言葉の豊富さに吉田は圧倒され、用意した質問がなかなかできなかった。吉沢の「言葉の海」の中のどこに本質があるのか、森は必死に探り出そうとした。この人は闘うだけの人間ではない。やがて、そう感じ取り、心をうたれた。
 殺処分に泣く泣く同意した同業者からは「何でお前だけが生かしてるんだ」と非難されてきたが、吉沢は彼らのことを決して悪くは言わなかった。同じ牛飼いとしてのつらい思いも痛いほどわかっていた。
 森は、そんな吉沢の心中の言葉も絵本に紡ごうと思った。1泊して翌朝、牛のエサやりを手伝った。

 吉田は早朝、森らと別れて列車とバスを乗り継ぎ仙台へ。津波の被災地を抜けて市街に入ると、全く異なる都会の光景が目に入った。新幹線で地元・大阪の街に近づくにつれ、感情が抑えられなくなった。
 突然、涙があふれ出す。夕暮れの車窓に泣きぬれた自分の顔が映る。牧場では感傷に流されないよう努めて冷静を装っていたが、腹立たしさがこみ上げてきた。
 「何で吉沢さんが、こんな目にあわされるのか。見てきたものをすべて絵に吐き出してやる」


No.1318
26 覚悟も弱音も残そう

 《もりもり食って、クソたれろ……おまえら、牛なんだから。オレは牛飼いだから、エサをやる。きめたんだ。おまえらとここにいる。意味があっても、なくてもな》

 画家の吉田尚令(43)は2013年暮れ、作家の森絵都(47)から「希望の牧場」を絵本にするための原稿を受け取った。
 目を通すうち、身震いが止まらなくなった。それまで10冊近く、有名作家の作品を絵本にしたが、こんな経験は初めてだった。
 牧場主の吉沢正巳(61)が吐き出した一言一句の数々は、「言葉の海」のごとく際限ない。その中から、人の胸につきささる「鋭利な言葉」だけが、そこに残っていた。

 「隣で一緒に聞いていたから、言葉を削(そ)いで削いで何を残したかが、このとき初めて見てとれた」
 ひと月ほど前、福島県浪江町の牧場を取材した日の夜。森と吉田と編集者の3人は、南相馬市内の食堂で絵本の構想を話し合った。
 吉沢を英雄扱いしない。説教臭い道徳的な物語にはしない。20~30年後、たとえ牧場がなくなっていても、こんな人物がいて、こんな牧場があったことを後世に残せる本にしよう――。
 夜は更け、3人は店にあった最後のワインボトルも空けていた。

 森は、威勢のいい吉沢の街頭演説には、さほど興味がなかった。吉沢が牛飼いの日常の中で呻吟(しんぎん)する一言一言に出会いたかった。牧場で語られた言葉を録音して持ち帰ると、「吉沢語録」を書き起こし、そこから何を残すかの作業に集中した。
 《けど、弱った牛が死ぬたびに、ここには絶望しかないような気もする。希望なんてあるのかな。意味はあるのかな。まだ考えてる》こんな弱音や迷いの言葉を、吉沢は街頭では口にしない。森は、そんな牛飼いの「痛み」と向き合うために250キロ先の牧場に行った。

 年が明けて吉田は、ほかの仕事を断り、この絵本作りに没頭した。しかし、吉沢が国の指示を拒み、牛と生きる道を選ぶ場面で絵筆が止まった。吉沢の覚悟を考えれば考えるほど、先に進めなくなった。
 何枚も何枚もコンテを描いた末にようやく、「吉沢が牛を抱く絵」はできた。描き上げてみると、吉沢の方が牛に抱かれ、支えられ、助けられているようにも見えた。

 そのころ、街頭から吉沢の「言葉の海」に飛び込もうとしていた意外な人がいた。


No.1319
27 群衆の中にいた文太

 「菅原です。ブログを見ました。応援に駆けつけたいのですが」
 2014年5月9日朝、「希望の牧場」ボランティアスタッフの針谷勉(40)の携帯電話に品のいい女性の声が響いた。留守にした東京事務所の代表番号からの転送だった。
 針谷は、全国各地に散らばる400人近い牧場サポーターの1人かな、と思って聞いていた。

 東京・渋谷のハチ公前で毎月恒例の牧場代表・吉沢正巳(61)の街頭演説がある日だった。女性は詳しい場所や時間を尋ね、続けた。 「実は俳優の菅原文太(すがわらぶんた)の妻なのですが、吉沢さんは終わったらすぐに帰られるんでしょうか? 文太と一緒に少しお話しさせていただくお時間はありますか? お食事でもしながら……」
 針谷は驚いた。文太の妻・文子(ふみこ)(73)からだった。吉沢の都合を聞くまでもなく、快諾した。本業のジャーナリストとしての仕事があった針谷はすぐに、もう一人のボランティアスタッフ木野村匡謙(43)に吉沢への同行を依頼した。吉沢一人では心配だった。

 「この渋谷の明かり、東京の電気はどこから来ているんですか? 福島が何十年も送り続けてきた電気ですよ」。よどみなく流れる、挑発するような、いつもの吉沢節が続く。「そして今、原発が爆発し、我々は蹴飛ばされ、棄(す)てられた。福島の差別と犠牲の上に皆さんの、便利で楽しい暮らしがあるんですよっ」
 ハチ公前の群衆の中に、菅原文太はいた。帽子を目深にかぶり、腕を組み、じっと聴き入っていた。傍らには文子が寄り添っていた。その夕方、一緒に上京した専属獣医師の伊東節郎(66)や合流した木野村とともに、吉沢は菅原夫妻から永田町の「鰻(うなぎ)屋」に招かれた。

 文子は「鰻屋」と言うが、鰻素材の豪華な懐石料理の店だった。
 福島県浪江町の牧場には全国の支援者から米や野菜が送られてくる。が、独身の吉沢は料理などしない。即席ラーメンやコンビニ弁当で済ますことも多い。千葉県から支援に通う姉の小峰静江(63)がたまに、料理をしてくれるぐらいだ。
 「見たこともない料理ばかり。こんな店、俺の生涯ではもう二度と来ることはないだろう」。そう思いつつ、吉沢は箸を取った。
 吉沢たちが驚いたのは料理だけではなかった。会席には元大物国会議員も同席し、さらに意外な話が切り出された。


No.1320
28 料亭の夜、とんぼ返り

 2014年5月9日夜、東京・永田町の懐石料亭。
 福島県浪江町の「希望の牧場」代表・吉沢正巳(61)、専属の獣医師・伊東節郎(66)、ボランティアスタッフの木野村匡謙(43)は、古民家のようなたたずまいの茶屋の2階に通された。

 招いたのは、俳優の菅原文太と妻の文子(73)。もう1人、元自民党参院議員会長の村上正邦(むらかみまさくに)(82)も同席していた。3人はその日、東京・渋谷の街頭で吉沢が熱弁をふるう毎月恒例の演説をお忍びで聴いていた。
 村上はかつて宗教団体「生長の家」などの支援で当選してきた「参院の首領(ドン)」だった。政界汚職に絡んで失脚し、獄中体験も経て、福島の原発事故後は「脱原発派」に転身。一つ歳下の文太の盟友となっていた。
 「脱原発のためには党派を超えて連帯しなければ……」が持論の吉沢も、同席に異存のあろうはずがなく、杯を交わした。

 「きょうの吉沢さんの演説、俺にはとてもまねできない。まだ日本にはこんな人がいたんだ、と思った。それを支える木野村さんのような若者がいる限り、この日本もまだまだ捨てたもんじゃない」 文太が称賛し、村上がうなずく。しかし、そのあとに出た話は、同じ年の秋に予定されていた福島県知事選出馬への打診だった。 「やってみないかい? 脱原発候補はあんたしかいない」
 文太は熱心だったが、吉沢はいきなりで戸惑った。木野村は一瞬、思った。おもしろいじゃないか。でも、300頭以上の牛の世話は誰が?……。冷静に考えると、やはり実現の可能性は限りなくゼロに近かった。

 宴席は夜9時すぎまで続き、文太らは上機嫌でタクシーを呼んだ。吉沢らが店の前で見送るとき、文太は窓を開け、心配げに言った。 「あんたたち今夜、どこに泊まるの? 泊まるところあるの? 宿、取ってあげようか?」
 木野村が答えた。 「いえ、今夜は飲んでいない僕の運転で浪江の牧場に帰ります。朝の牛のエサやりがありますから」
 文太は驚き、申し訳なさそうに返した。 「そうか、気をつけてな……」 やさしい人だなあ。そう感じた木野村も、まさか半年後の11月末に文太(享年81)の訃報(ふほう)を聞こうとは思ってもみなかった。


続く

朝日新聞【プロメテウスの罠】希望の牧場シリーズ 2

 1~10はこちらに纏めました。
  ・朝日新聞【プロメテウスの罠】希望の牧場シリーズ連載中



No.1303
11 「生き証人」役立てて

 福島第一原発の事故で20キロ圏内の立ち入り禁止区域に入った福島県浪江町の「希望の牧場」。そこで牛を飼い続ける人に寄り添い、人権の根本から規制の是非を問うことで、入域や取材への制約を取り除く。
 49歳で他界した東京の弁護士・日隅一雄にとって、それが最後の仕事になった。

 日隅を「しのぶ会」は、死去後1カ月余たった2012年7月22日、東京・丸の内の東京会館で開かれた。参院議員の福島瑞穂(59)ら約500人の会葬者の中には、浪江町からトラックで駆け付けた長靴姿の牧場代表・吉沢正巳(61)と、スタッフの針谷勉(40)の姿もあった。
 「牧場を支援する活動が、死期を早めたのではないか」
 吉沢も針谷も訃報(ふほう)を受けて以来、悔やんできた。

 しかし、日隅は死の直前、こう話していた。
 「いろんな活動をすることが生きがいになって、僕の免疫力は高まった。(末期がんで)宣告された余命半年を倍以上に延ばし、ここまで来られたんです」
 原発事故をめぐる問題の追及や牧場の支援と同じく、弁護士生命をかけて闘った「NHK慰安婦番組改変訴訟」の原告・西野瑠美子(にしのるみこ)(62)に、かすれた声で闘病中の思いを打ち明けていた。

 その日隅の言葉を伝え聞いた針谷は、「吉沢父さんと似ているな」とすぐに思った。
 原発から北西14キロにある牧場内で暮らす吉沢は、この高線量の区域で牛の世話を続けてきた。よく言う冗談めかした口癖がある。
 「俺の被曝(ひばく)量は半端じゃない。けど、俺は逆に放射能で活性化されて元気になっちゃったんだ」
 しかし、定期的に内部被曝検査を受診するなど、健康を気にしていることを、針谷は知っていた。

 その吉沢がもっと気にかけていたのが、牛たちの身体の変化だった。
 吉沢たちが経済価値のなくなった牛を300頭以上も飼い続ける一番の「大義」は、「原発被害の生き証人」ということだけにとどまらない。「放射能による家畜の生体への影響を長期的に記録し、今後のために役立ててほしい」。そう願う意義も大きかった。
 全国各地の大学からは「被曝牛を研究対象にしたい」と様々な申し出があった。「国に見捨てられた牛たちが役に立てる」と吉沢たちも積極的に協力してきた。


No.1304
12 牛に白斑「原因不明」

 放射性物質の散らばる牧場での外部被曝(ひばく)や、汚染されたエサによる内部被曝で、原発事故後の牛たちの健康状態はどうなっているのか。「被曝牛を研究対象にしたい」。福島第一原発から20キロ圏内にある福島県浪江町の「希望の牧場」には、全国各地の大学や研究機関から申し出が相次いだ。
 しかし、年月が経つにつれ、「研究費助成の削減のため」などの理由で多くの機関が「希望の牧場」での調査から手をひいていった。

 原発事故から1年半近く経とうとする2012年夏ごろ。
 牧場の黒毛和牛の一部に白い斑点が出ている――。牧場主の吉沢正巳(61)は異変に気づいた。部分的に体毛が白髪のようになり、毛をそってみると体表の皮膚まで白い。
 1年後の13年夏になると、白斑の出た牛は30頭以上になり、うち10頭は全身に広がっていた。「放射能の影響か」と強く疑った吉沢は、国に徹底解明を求めた。

 13年10月10日、農林水産省畜産部が調査に乗り出し、専門官らが牧場を訪れた。比較のため白斑牛と非白斑牛を5頭ずつ診察し、採取した体毛や血液を分析のため持ち帰った。
 14年1月6日付で牧場側に開示された「調査報告書」の結論は、白斑牛も非白斑牛も「重度の銅欠乏症」だった。
 銅は「生体内で重要な役割をもつ微量元素」で、「欠乏すると毛の色が薄くなる症状も見られることがある」と指摘。そのうえで、白斑牛と非白斑牛の双方に銅欠乏症がみられることから、それが白斑の原因かどうかは「特定できない」「不明」としていた。
 その後、調査に大きな進展はない。農水省の担当者はこう言った。「継続して県の家畜保健衛生所が現地調査をしている。放射線との関係については大学の研究機関がおやりになっているので……」

 報告書の結論に、牧場のボランティアスタッフの針谷勉(40)は「これでは一般的な健康診断と同じ」と反発した。
 「我々が求める放射線との因果関係の有無を本気で調べる気があるのなら、被曝線量の調査、皮膚の切片を採取しての生体組織の検査、筋肉のセシウム含有量の調査などが必要なはず」
 牧場の獣医師・伊東節郎(いとうせつろう)(66)も「『わからない』が結論だなんて。無責任もいいところ。わかるまで調べるべきだ」と怒った。


No.1305
13 牛を見せ物にするな

 福島県浪江町の「希望の牧場」で白い斑点のある牛が増え始めてから間もないころ、牧場の様子を紹介する写真展が同じ県内の二本松市で開かれた。

 2012年10月。
 事故が起きた福島第一原発周辺の家畜の状況が気になっていた獣医師・伊東節郎(66)は催しの会場を訪れ、牧場代表の吉沢正巳(61)らの活動を初めて知った。 「放射能に汚染された牛を300頭以上も飼い続けるなんて、この男はいったい何を考えているんだ」最初はいぶかしく思い、理解できなかった。

 その後何度か吉沢やスタッフに会う機会があり、話を聞くうちに、「人間の都合で牛を殺していいのか」という怒りは共有できた。牧場ではそのころ、自然交配で増えた牛も含め、エサや栄養の不足が原因と思われる病気で死ぬ牛が相次いでいた。「白斑症」も減る気配がない。
 吉沢らは、栄養管理や去勢を担当する牧場専属の獣医師を必要としていた。
 「原発被害の証人として生かすという考えには賛成だ。けれど、ここで牛を飼うと決めた以上、自分の主義主張の見せ物にするのではなく、きちんと健康管理をするべきだ」
 考えた末、伊東は専属の仕事を引き受けようと決断する。

 もともと伊東はブラジルの牧場で長く働いていた。転機は11年3月の原発事故だった。
 生まれ故郷の東京・渋谷の幼なじみから連絡があり、「日本は今、大変なことになっているぞ。帰って来いよ」と促された。
 その年の6月、すでに成人している娘3人の反対も押し切ってブラジルを後にし、実に33年ぶりに単身で帰国した。
 すぐに東北へ飛ぶと、宮城県石巻市の石巻専修大キャンパスに持参のテントを張った。全国から駆け付けた若者や自衛隊員と一緒に、津波で被災した民家の泥かきなどにボランティアで従事した。
 「泥かきだけじゃなく、本来の獣医師の資格を生かして復興の役に立ちたい」
 12年2月からは、福島県大玉村の県鳥獣保護センターに勤務した。
 写真展から7カ月後の13年5月、「希望の牧場」専属になると、吉沢の「良き批判者」となるべく、牛の飼い方では遠慮なく持論を展開し続けた。


No.1306
14 長期的な観察が必要

 「牛は見せ物じゃないぞ」
 2013年5月から福島県浪江町の「希望の牧場」専属獣医師になったブラジル帰りの伊東節郎(66)は、牧場代表の吉沢正巳(61)に持論を展開し続けた。「しっかり健康管理を。俺たちには責任がある」
 とはいえ、牧場内で見つかる白斑のある牛には首をかしげるばかり。「ブラジルでもたまに見かけたが、どれも先天的だった。ここでは後天的。同じ原因かどうか」

 白斑は別の牧場でも見つかった。
 福島第一原発から西へ6キロ。大熊町の「池田牧場」の牧場主・池田光秀(いけだみつひで)(54)が白い斑点に気づいたのは、同じ13年の春ごろだった。
 ただ事情は異なる。「11年3月の震災前にもたまに見かけた。だから1、2頭なら気にならなかった」
 しかし、今では51頭のうち25%にあたる13頭の牛に白い小さな斑点が目立ち、ほかの1頭は横腹に数十センチ大に及ぶ丸い白斑が出ている。

 今年5月17日、獣医師で岩手大農学部准教授の岡田啓司(おかだけいじ)(58)を中心とした「原発事故被災動物と環境研究会」のチームが池田牧場を訪れた。黒毛和牛4頭に麻酔をかけ、白斑部位の皮膚の小片を採取。急速冷凍した生体組織を岩手大獣医病理学研究室に運び、分析が続く。

 岡田らは震災の翌12年9月から、原発20キロ圏の旧警戒区域内で被曝(ひばく)牛の調査を続けている。
 研究会の顧問で獣医放射線学が専門の北里大名誉教授・伊藤伸彦(いとうのぶひこ)(67)は言う。「現時点で原因は分からない。複合要因として放射線の影響も捨てきれないし、微量元素の欠乏や感染が原因という説もある」
 同じく北里大教授の夏堀雅宏(なつほりまさひろ)(49)は、空間放射線量が池田牧場より高くても、広い牧野で自由に水の飲める川がある牧場では白斑の症状が出ていないことを指摘。「放射線の影響とは考えにくい」と話す。
 「飼い主が避難などで給餌(きゅうじ)・給水を十分にできなかった牧場に多発している。飢餓状態などの過酷ストレスが原因となり、後遺症としてこういう形で現れたのではないか」

 これまで牧場で死んだ牛の解剖結果や筋肉・臓器に蓄積した放射性セシウムの調査からは、顕著な放射線由来の病変は見つかっていない。だが、牛のような大型家畜の長期低線量被曝の影響データは、世界的にもほとんどない。そのため、こんな見解では一致している。
 「ここの牛は非常に貴重。長期的な観察と研究が必要だ」


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No.1307
15 最後まで同意しない

 東京電力福島第一原発から西へわずか6キロ地点の福島県大熊町内。白斑牛が見つかった「池田牧場」の牧場主・池田光秀(54)は、ここで長年、和牛繁殖業を営んでいた。
 国に逆らい、原発事故に伴う牛の殺処分指示への同意を拒んできた。当初は浪江町の「希望の牧場」からエサの支援も受け、代表の吉沢正巳(61)とはいわば「同志」的関係だったが、「俺はあんなに過激じゃないよ」と、冗談めかして笑う。広さ5ヘクタールの池田牧場では原発事故の前、和牛31頭を飼っていた。

 2011年3月12日早朝、原発が危ないということで、10キロ圏内に避難指示が出た。
 「最後のエサだよ、ごめんね。ごめんね」
 池田は泣きながら、一頭一頭に給餌(きゅうじ)していった。

 それからの池田一家は県内各地の避難先を転々とした。田村市、郡山市、裏磐梯(北塩原村)、喜多方市、いわき市……。9カ月後には広野町の借り上げ住宅に入った。その間、原発20キロ圏内の牧畜農家で牛が大量に餓死しているとのニュースを耳にし、うちも同じだろうと、あきらめかけていた。
 だが、6月に一時帰宅すると、牛たちは柵を破って牧場の周辺へと逃げ、全頭が「放れ牛」となっていた。家族同然に育ててきた牛たちだ。池田は「生きていてくれたんだ」と胸をなで下ろした。

 妻の美喜子(みきこ)(57)と一時帰宅するたびに牛舎にエサを置いていくと、牛たちは時々戻り、エサを食べ、牛舎をねぐらにした形跡があった。
 野生化した放れ牛が市街地を走り回り、空き家を荒らすというので、やがて大熊町は囲い込みを始めた。原発事故から1年余り過ぎた12年4月、池田も耳標で確認しながら探し出しては連れ帰り、電気柵を作って囲い込んだ。近くで畜産を営む美喜子の実家の20頭も連れてきた。

 殺処分に同意してしまい、「もう牛を見るのさえ嫌だ」と心が折れる仲間の姿をたくさん見てきた。
 逆に池田は宣言している。
 「最後まで同意しない。国は法的根拠がないから農家に責任を転嫁している。町内で応じないのは池田さんだけと迫った。ずるいやり方だ」
 「むだに殺すのではなく、少しでも人類のために役立ててほしい」
 牛は雑草を食べる。牧区を区切って放牧すれば農地の荒廃を防ぎ、除染にも役立ち、早期の営農再開も見込めると信じている。


No.1308
16 霞が関に牛を放て

 2014年6月19日。 
 福島県浪江町の「希望の牧場」代表・吉沢正巳(61)は、「原発一揆声明」を発表した。
 牧場の被曝(ひばく)牛の一部に現れた白い細かな斑点(白斑)の原因について、農林水産省は「わからない」としつつ、放射能との因果関係を探る詳細な調査はせずに幕引きしようとしている――吉沢たちには、そうとしか思えなかった。
 声明は「原因がわかるまで徹底調査せよ」と求めていた。

 環境相の石原伸晃(いしはらのぶてる)(58)が汚染土などの中間貯蔵施設の建設をめぐって「最後は金目(かねめ)でしょ」と発言したり、人気漫画「美味(おい)しんぼ」で新聞記者が東京電力福島第一原発の取材後に鼻血を出したとの表現が非難を浴びたり……。原発事故をめぐる様々な問題が日々のメディアをにぎわせていたころだった。
 吉沢は声明で、石原発言を「まともな賠償をしたくないという国の本性が出た」と批判。「美味しんぼ」騒ぎについても「原発再稼働に障害となる表現や考え方の自由への縛りが始まっている」と指摘した。
 抗議として20日、東京・霞が関の官庁街に白斑牛を放ち、政府官僚や報道陣に見てもらおう――。それが吉沢のいう「原発一揆」だった。

 計画を知った吉沢の姉・小峰静江(63)は大反対し、「身体を張ってでも阻止する」と怒った。
 「逮捕されるに決まってるでしょう。あんたが逮捕されたら、いったい誰が牛の面倒見るんだい」
 ボランティアスタッフの木野村匡謙(43)には、「牛を運ぶトラックをパンクさせる」と伝えた。牧場車両の管理をしていた木野村は「パンクさせられると修理代が高くついて牧場経費に響くから」と、空気の抜き方をメールで教えた。

 しかし、静江は結局、空気を抜くこともあきらめた。
 「弟はいったん決めたら引かないし、止めても無駄。あの子は小さいときから何をしでかすか分からん子だった」と嘆く。
 吉沢が4歳の頃、父親が牧場の水くみ場で包丁を研いでピカピカにしていた。じっと見ていた吉沢は、父親がその場を離れたすきに、自分の左手親指にグイッと当てた。「ギャア」という泣き声で、静江は血みどろになっている弟に気づき、あわてて父親を呼んだ。「切れるかどうか確かめたかった」と言ったらしいが、吉沢はあまりよく覚えていない。


No.1309
17 猛反対を受けたって

 深い傷痕が左手に残る。この傷で親指の付け根の関節部は引きつり、今も動かないままだ。福島県浪江町の「希望の牧場」代表・吉沢正巳(61)は幼少時、切れ味試しにと、自らの左手親指に包丁を当て、この傷を負った。
 姉の小峰静江(63)は、子どもの頃から変わらない弟の無鉄砲さを気にかけつつ、牧場運営では獣医師の伊東節郎(66)と同様、吉沢に厳しい批判の目を向けてきた。 メディアの取材が入るたび「カリスマみたいに書かないで。舞い上がるだけだから」と冷ややかに言う。

 2014年6月20日。
 姉の猛反対を押し切った吉沢は、原発事故後に白斑の症状が出た黒毛和牛1頭をトラックに乗せ、牧場のある福島県から東京・霞が関の農林水産省前に乗り込んだ。
 「牛は見せ物じゃない」が持論の伊東は引き留めても無駄だとみるや、逆提案でトラックに同乗した。
 「どうしても行くというなら、俺も獣医だ。牛の健康を管理する責任がある。俺も連れて行け」

 そもそも国も福島県も福島第一原発の事故後間もなく、20キロ圏の警戒区域内の被曝(ひばく)牛は移動禁止と指示していた。吉沢が「一揆」の前日、それを予告する声明を出すと、県庁からは「思いとどまるように」と何度も電話がかかってきていた。

 農水省前で報道カメラマンのストロボが何度も光る中、牛を荷台から下ろそうとした吉沢は、阻止する警察官との間でもみ合いになった。結局、下ろすことは断念し、応対した担当者に牛の白斑調査やえさの確保を求める要請書を手渡した。
 環境省前では、環境相の石原伸晃(58)の「金目」発言に対する抗議の演説をした。

 そんな吉沢の怒りと行動力を支えているのは、父の遺産である牧場を「絶対に守る」との思いだ。
 父・正三(しょうぞう)は1980年5月、今の「希望の牧場」で、横転したトラクターの下敷きになり即死した。66歳だった。
 亡父が戦後、最初に開拓に入った千葉県四街道市で、静江は生まれ、吉沢らきょうだいと育った。市職員になったが、56歳で早期退職をし、浪江町の「吉沢牧場」の一角に住宅を建てた。原発事故さえなければ、老後はずっと、ここで晴耕雨読の生活が続くはずだった。
 原発事故後も避難先の四街道市から毎週のように牧場へ通い、吉沢の牛飼いを手伝ってきた。


No.1310
18 再び棄民にするのか

 福島県浪江町の「希望の牧場」代表の吉沢正巳(61)は千葉県四街道市で生まれた。
 亡父・正三は戦後、この地で牛1頭から酪農で再起を果たし、家族を養い、子どもを育て上げた。
 戦前、出身の新潟県小千谷地方から「満蒙開拓団」の一員として中国東北部(旧満州)に入植した。
 敗戦直前、守ってくれるはずの関東軍はソ連の参戦を察知するや入植者らを見捨ていち早く撤退。取り残された開拓民のうち、親と生き別れたり、死別したりした多くの子どもたちが、中国人に育てられ、のちに中国残留孤児と呼ばれた。
 正三自身は1945年8月、ソ連軍の捕虜となり、3年間のシベリア抑留・強制労働を経て、心身ともにボロボロになって帰国した。

 「国は俺たちを再び棄民にしようとしている」。原発事故後の福島を語る時、戦後生まれの吉沢は、正三が乗り移ったかのように見える。 「国は行け行けドンドンとあおり立て、足手まといになったら棄(す)ててきた。黙っていたら俺たちも、ここの牛たち同様に棄てられるんだ。棄民は日本の国策なんだから」
 原発の事故も、政府による家畜の殺処分指示も、吉沢の国への不信感を決定的にするのに十分すぎた。
 「満州棄民に、シベリア抑留者に、戦後の日本政府はいったい何をしてくれたというのか」

 吉沢は父の思いを代弁するが、正三自身は当時の苦労について、子どもたちには多くを語らなかった。生前、残留孤児のニュースが流れると妙に無口になるばかりだった。
 正三は旧満州での逃避行で、動けなくなった実母と娘2人、つまり吉沢の祖母と2人の姉を自ら手にかけていた――父の死後初めて、吉沢は母から聞き、衝撃を受けた。
 姉の小峰静江(63)は、母から手渡された手記「黒台開拓民の記録集」で当時のことを確認した。「荒野の自決」という章に、「棄民の真相」が実名で書かれていた。

 浪江町の牧場の土地32ヘクタールは45年前、乳牛50頭を飼うまでになった正三が「もっと広い土地で酪農を」と、四街道市の土地を売って家族で移住した希望の場所だった。
 東京農大に進んだ後、吉沢は学生運動にも明け暮れたが、父を手伝おうと浪江町に戻る。不慮の事故で父が亡くなると、牧場運営はやがて吉沢の双肩にかかった。
 「だから、この土地を絶対に手放すわけにはいかないんだ」


No.1311
19 でも、見捨てない

 福島県浪江町の「希望の牧場」は震災前、「吉沢牧場」と呼ばれていた。丘陵地に広がる32ヘクタールの土地は、吉沢正巳(61)が父の死や兄の経営失敗のあと、やはり酪農での再出発を考えていた場所だった。
 だが、和牛繁殖で事業拡大を図る二本松市の農業生産法人・エム牧場の社長だった村田淳(60)が、この広大な牧草地に目をつけた。1997年ごろ、「浪江に広い農場が空いている」と知人に紹介された村田は視察に訪れ、「決断するのに0・5秒」と言うほど気に入った。すぐさま提携を申し入れる。
 「打てば響く、という言葉がぴったりの頭の切れる男。割り切りも決断も速かった」初対面のとき、村田が抱いた印象通り、吉沢もほどなく提案を受け入れた。98年秋には、正式にエム牧場の浪江農場として肉牛の肥育・繁殖事業がスタートした。

 最初は20、30頭から始めた事業も十数年でようやく軌道に乗り、牛の頭数も300頭を超えるほどに事業が拡大したところで、2011年3月の東京電力福島第一原発事故に見舞われた。
 「まさに上り坂の途中だった」と村田は強調する。
 「繁殖のために放牧する母牛は100頭、肉牛にするのは450頭までをめざす構想を練っていた」

 原発建屋の爆発で牛の出荷が道を閉ざされた3月下旬、吉沢や牧場従業員らを二本松市のエム牧場本社に集め、村田は対策会議を開いた。
 「売れない牛をどうするか?」
 村田の問いかけに、十数人の従業員は沈黙するばかり。みんな、どうしていいか分からなかった。
 牧場経営もビジネス。生かせばエサ代も維持費もかさむだけ。でも、エサをやらなきゃ、牛は死ぬ。
 「見捨てたくない」
 「見捨てない」
 村田と吉沢の見解は一致した。
 二本松市の本社から35キロ先の浪江町の吉沢牧場へエサの支援を続けると、村田も決断。覚悟を決めた。

 「こうなったら、いかなる手を使ってでも避難指示の出た原発20キロ圏内に入り、エサをやり続ける」
 地元の浪江町は3月15日、すでに役場ごと全町が避難していた。4月には、吉沢牧場を含む20キロ圏内が立ち入り禁止になった。吉沢は浪江町だけでなく、牧場の一部が市域にかかる隣の南相馬市にも、エサやりのための立ち入り許可を求めた。


No.1312
20 まるで兵糧攻めだ

 福島県南相馬市。
 市長の桜井勝延(さくらいかつのぶ)(59)は元々酪農家だった。「希望の牧場」の吉沢正巳(61)は「何としても牛を飼い続けたいという俺の思いは、同じベコ屋として分かってくれた」と話す。

 東京電力福島第一原発で建屋が次々と爆発しても吉沢が牧場にとどまっていた頃、その桜井は市長として危機的な事態に向き合っていた。放射能が危険だから家の中で待機しなさい――。政府は、最初の爆発から3日後の2011年3月15日、市役所のある原町区が入る原発20~30キロ圏内に屋内退避を指示した。が、「国、県から正式な情報がなかった」のは、隣の浪江町長・馬場有(66)が嘆いた状況と同じだった。

 翌16日午後1時すぎ、ニュース映像を配信するAPF通信社(東京)の代表・山路徹(やまじとおる)(53)のインタビューを市長室で受けた桜井は、募るいら立ちを明かした。
 「食糧も物資も圏内に入ってこない。政府はガソリンを送ったというが、タンクローリー車は圏外で運転手が置き去りに。コンビニでは売る物が、スーパーでは従業員がいなくなり、閉鎖。まるで兵糧攻めだ」 「率直な気持ちを」とマイクを向ける山路に、「心情を吐露すると感情的になる」と自制していた桜井の声が、怒りにふるえていく。
 「津波に奪われた家族を捜しに行けない。遺体があがっても遺族は火葬ができない。油がないし、従業員も逃げたので火葬場は昨日、閉鎖した。生き残った者にとって、生き残ったことが地獄なんだ」
 ビルマ(ミャンマー)、ボスニア、ソマリア……。世界の紛争地で取材経験のある山路も次の質問に詰まった。撮影役は、のちに「希望の牧場」のボランティアスタッフとなる針谷勉(40)。カメラを持つ手の震えを抑えるのに苦労した。

 大手メディアは既に記者を引き揚げ、NHKは電話取材で市長の声を流した。「絶対に現地に入らねば」と、先に南相馬市内に入った針谷に山路が合流しての取材だった。しかし、日本の放送局からは「コンプライアンス(法令や社会規範の順守)で避難指示区域の映像は使えない」などと言われた。欧米のメディアが映像を買ってくれた。

 インターネットで情報は流れ、「日本政府は何をやってるんだ」との批判が国際的にも高まった。当時の民主党の災害対策本部から現地調査に入ったのが、衆院議員だった高邑勉(41)らだ。


続く


朝日新聞【プロメテウスの罠】希望の牧場シリーズ連載中

本田雅和記者の連載です♪
以下、転載。


No.1293
1 被曝牛のエサ下さい

 「福島県浪江町から来ました。『希望の牧場』と言います。原発から14キロの所で300頭の被曝(ひばく)した牛を飼っているのですが……」
 4月の初旬、宮城県栗原市の栗駒山のふもとに広がる農村地帯。
 「希望の牧場」のボランティアスタッフ針谷勉(はりがやつとむ)(40)は、畜産農家や酪農家を一軒一軒、車でまわりながら頭を下げ続けた。
 「エサが足りません。積み上げてある牧草ロール、譲っていただけないでしょうか?」
 4年余り前の東京電力福島第一原発事故のあと、針谷らがエサ集めの行脚を始めて3年目になる。

 宮城県北部の栗原市は第一原発から150キロ近く離れている。原発事故直後に汚染された牧草はロールにされたまま、休耕田などに山積みに放置されていることが多い。
 農地を除染し牧畜を再開する農家にとって、汚染牧草は邪魔物だ。県や市は焼却処分も検討しているが、反対も根強く、計画は進まない。
 汚染牧草でもエサを与えねば「希望の牧場」の牛たちは餓死してしまうし、汚染度は国が一般廃棄物扱いを認めるレベルだ。

 「ちょうどいい。150玉ほどあるよ。早く持っていって」
 そう言ってもらえばありがたいが、うさん臭そうに「代表は何ていう人?」「汚染ロールだよ。あとで戻しに来たりしない?」など、根掘り葉掘り聞かれることも多い。
 牧場主の吉沢正巳(よしざわまさみ)(61)の名前や、牛飼いとして殺せずに飼い続けていることを伝え、説得する。
 農家3軒に1軒ぐらいは納得し、協力してくれる。

 交渉が成立すると、同じボランティアスタッフの木野村匡謙(きのむらまさかね)(43)に連絡。数日後には、14トンの大型トラックで木野村が常磐自動車道、東北自動車道を北上し、片道3時間がかりで引き取りに行くのだ。
 最初は運送会社に頼んでいたが、運賃が高くつく。昨年夏、牧場は福島県富岡町の元建設業者からこの中古トラックを借り受けた。運転する人が必要だと、木野村自身が大型自動車免許を取得した。
 運転席の木野村が笑う。「福島県内から始めて、もらえるところがなくなると栃木、宮城県へと足をのばしてきました。今までに1千玉くらい運んだかな」


No.1294
2 売れぬ牛を飼う意味

 初夏の日差しが注ぐ中、32ヘクタールに及ぶ牧草地のあちこちで、牛たちがゆったりと草を食(は)む。
 福島県浪江町から南相馬市にまたがる、阿武隈高地の丘陵地帯。そこに「希望の牧場」はある。
 しかし、「希望」の名を掲げる牧場にたどり着くには、東京電力福島第一原発の事故で全町避難が続く浪江町側からは入れない。昼間だけ通れるようになった南相馬市小高区側の無人地帯から近づくしかない。
 原発からは北西へわずか14キロの地点。牧場は今なお、年間積算放射線量が20ミリシーベルトを超えるおそれのある「居住制限区域」なのだ。

 そんなことにはおかまいなしに、とにかく牛たちはよく食う。
 その数は300頭余り。ときに1玉数百キロもある牧草ロールが、1日あたり10玉は消費される。牧場に緑の草が生えていない冬場は、さらに補給が必要になる。
 エサの多くは、放射性物質を含むため廃棄予定の汚染牧草ロール。ボランティアスタッフの木野村匡謙(43)らが、遠く宮城県栗原市の牧場から毎週のように運び込む。牧場主の吉沢正巳(61)が福島県相馬市の食品工場からもらってくるモヤシかすや野菜くずなども欠かせない。

 「経済価値のない、売れない牛を飼い続けるのはバカげた話かもしれない。意味がないかもしれない。意味がないことの意味を、考えながら続けることの意味が、わかるかっ」
 まだ春浅い3月半ば。牧場を見学に訪ねて来た東京の大学生ら十数人を前に、吉沢は挑発するように問いかけた。

 4年前の原発事故から2カ月後の2011年5月12日、原発から20キロ圏の警戒区域内にいる家畜について、国は「殺処分」への同意を各畜産農家に迫った。
 肉牛も乳牛も豚も、放射能に汚染されて移動もできず、市場価値もなくなり、飼育のために人も立ち入ることができなくなった以上、安楽死させるしかない――というのが国の論理だ。
 だが、自らを「べこ屋」と呼ぶ吉沢はそれに逆らい、共感した全国各地のボランティアたちが支援を続けてきた。
 べこ屋が家族同然にしている牛だ。「利用価値がなくなったから」と国に言われ、「はい、そうですか」と殺せるわけがない。その国は東電とともに原発を推進してきた加害者だ。吉沢同様、多くの畜産農家がそう考えていた。


No.1295
3 国と東電への抗議だ

 東京電力福島第一原発から20キロ圏の警戒区域内の家畜は「殺処分」せよ――。2011年5月、国から出された指示に、当然のことながら多くの畜産農家は反発した。
 福島県浪江町の「希望の牧場」代表の吉沢正巳(61)ら十数軒を除く300近い畜産農家がやがて、説得に応じ、泣く泣く牛を手放した。
 飼育のために立ち入ることもできない圏内でまだ生きていた約1700頭が、「安楽死」させられた。
 何人かは避難するにあたり、「同意拒否」を宣言していた吉沢らに牛を託していった。

 「俺はここで被曝(ひばく)した牛と生きていく。それが国と東電に対する猛烈な抗議なんだ。俺自身がエサをやりながら被曝してもね。こいつらは、原発被害の生き証人なんだから」
 今も絶えることのない牧場見学者に対して吉沢は、ときに怒りにまかせて演説をする。

 「国への抵抗や原発への怒りは分かります。でも、この闘いに展望はあるんでしょうか?」
 今年3月、神奈川県から来た大学生の一人は疑問を投げかけた。
 牧場にいる300頭余りのほとんどが黒毛和牛と聞き、こう指摘する学生もいた。
 「もともと食肉用に殺すはずだった牛を飼い続けることに、矛盾は感じませんか?」
 そんな疑問や矛盾を、吉沢は決して否定はしない。
 「その通り。矛盾そのものさ」「矛盾そのものをそのまま生きている」。そう返すのだが、自分自身でうまく説明できない。

 そんな牧場主を、ボランティアスタッフの針谷勉(40)が支える。原発事故直後に通信社の記者として現地に入り、取材の中で吉沢と出会った。考えに共鳴し、通信社を辞めて独立。フリージャーナリストになり、傍ら牧場を手伝いだす。
 この4年の間に、針谷にとっての吉沢は「牛飼いの師匠」から「生き様の師匠」へと変わっていた。
 「吉沢父さんの生き方は、3・11後の彼の体験やこれまでの人生を理解しないと、言葉だけでは分からないんだよね」

 4年前の3月11日、東日本大震災の大きな揺れが襲ったとき、吉沢は南相馬市内のホームセンターで買い物をしていた。
 尋常でない揺れが落ち着くや、牛のことが心配になり、乗ってきたトラックですぐに牧場へ引き返そうとした。


No.1296
4 内陸へ、まるで戦場

 2011年3月11日。

 東日本大震災が起きたとき、福島県南相馬市で牧場備品の買い物をしていた吉沢正巳(61)は、揺れがおさまるや、すぐに自家用トラックのハンドルを握った。
 牛のことが心配だ。早く自分の牧場に戻りたい。

 吉沢が代表を務める「希望の牧場」は震災前、もともと「吉沢牧場」を名乗っていた。
 正式には農業生産法人・有限会社エム牧場(本社・二本松市)の浪江農場。場長の吉沢がエム牧場所有の肉牛約330頭を預かり、肥育・繁殖する契約だった。
 姉の小峰静江(こみねしずえ)(63)とその長男の敦(あつし)(36)も敷地内の住居で一緒に暮らし、牛の世話を手伝っていた。

 携帯電話は通じず、牧場とは連絡がとれない。先を急いだ。
 浪江町の吉沢牧場までは15キロほど。ふだんなら20分ほどで帰れる。しかし、道路の寸断と避難車両の渋滞で1時間近くかかった。
 戻ると、停電で地下水をくみ上げられず、ディーゼル発電機を起動して牛舎に給水した。
 直後、カーナビのテレビが太平洋沿岸部の大津波を伝えた。

 翌12日の早朝。
 牧場の南側を東西に走る国道114号では、東の海岸部から西の内陸部へと避難する車の混雑が始まっていた。

 心配になった吉沢は、避難の車列の進路とは反対方向に車を走らせ、海岸部の浪江町請戸(うけど)地区の様子を見に行った。
 津波で182人が亡くなり、うち32人の行方が今も分からない町内で、最も多くの犠牲者を数えることになる地区だ。海岸の街並みはなくなり、がれきしか見えなかった。今思えば、あのがれきの下には、波に引きずりまわされて傷つき、助けを待っていた人もいたはずだ。それをふり切るかのように西へ、内陸部へと多くの人々が、群れのように急ぐ光景が重なった。

 「まるで戦場だ」
 自分に戦争体験はないが、70年前、旧満州の荒野で侵攻してきたソ連軍から逃げ回ったと話していた亡き父の姿が、脳裏をかすめた。
 だが、吉沢にとってはもっと恐ろしい事態が、南東14キロ先の東京電力福島第一原発で進行していた。
 原発がおかしい。そんなニュースが前日から、カーナビの画面に流れ始めていた。


No.1297
5 なぜ犠牲なんかに

 2011年3月12日の早朝。
 福島県浪江町の吉沢正巳(61)が沿岸部の請戸地区で津波による惨状を目の当たりにする前、県警災害警備本部の通信班員約10人がワゴン車3台を連ねて吉沢牧場にやって来た。
 「ヘリコプターからの原発サイトの空撮映像を受信し、本部に中継する通信基地として、牧場の一角を使わせてほしい」

 14キロ先の東京電力福島第一原発の様子がおかしい。それは知っていたので要請を快く受け入れた。
 ところが職員らは夕方になって、急きょ、パラボラアンテナを片付け始めた。吉沢によると、こう言い残して立ち去ったのだった。
 「撤収命令が出たので引き揚げます。あなたたちもここにはいない方がいい。政府は情報を隠している」

 それより前の午後3時36分。
 原発1号機建屋で水素爆発が起きた。吉沢には知るよしもない。

 約3時間後の午後6時25分。
 浪江町北西部の山間地・津島地区を除く原発20キロ圏内に、避難指示が出された。
 町長の馬場有(ばばたもつ)(66)は、国や県、東電からは一切何の連絡も町になかったことを、今も憤る。

 2日後の14日午前11時ごろ。
 避難指示が出ても牛の世話のために牧場に残った吉沢は、連発花火のような大きな爆音を立て続けに2回聞いた。不安は膨らんだが、すぐには何の情報もない。そのまま牛の給餌(きゅうじ)を続けた。
 3号機建屋の爆発だったことは、二本松市にいた提携先のエム牧場社長だった村田淳(むらたじゅん)(60)からの電話で知った。

 15日朝、4号機建屋も爆発。
 村田に勧められるまま、牧場内の住居から姉の小峰静江(63)や甥(おい)の敦(36)とともに、西へ35キロの二本松市にある村田宅へ一時避難した。だが、牛にエサをやるため、16日にはひとり牧場に戻った。

 17日朝、自衛隊ヘリが3号機めがけて袋詰めの海水を投下した。
 自宅2階から吉沢は、双眼鏡で観察していた。排気筒の高さを超えるほどの白い噴煙があがった。自衛隊員が危ないじゃないか。言いようのない怒りがわいた。
 牛の出荷についても「取引先から断られた」と、村田からすでに電話が入っている。
 俺たちや自衛隊員がなぜ、こんな無策の原発を進めてきたやつらの犠牲にならなきゃいかんのだ。
 納得できなくなった。


◇No.1298
6 牛はたぶん全滅する

 福島県浪江町の「希望の牧場」代表の吉沢正巳(61)は、震災前から筋金入りの反原発派だった。東北電力が地元に計画していた浪江・小高原発の建設では「カネによる地域の分断」も目の当たりにしてきた。
 牧場の14キロ南東にある東京電力福島第一原発では2011年3月12日、建屋の爆発が始まり、15日には自らが一時避難を強いられた。
 「東電本店に直接抗議に乗り込む」。そう決意するまでに時間はかからなかった。

 吉沢の牧場に牛約330頭を預ける提携先・エム牧場社長の村田淳(60)に電話で相談すると、村田もすぐに賛同してくれた。
 「牛の賠償を請求してくれ。牧場のスポークスマンとして」
 牧場内のトラックや作業車にわずかに残るガソリンをかき集め、拡声機を取り付けた軽ワゴン車に給油。17日夜、東京に向けて出発した。

 翌18日午前8時、東京・内幸町の東電本店。
 単身で入り口に現れた吉沢は厳戒警備中の警察官らに止められた。
 「福島県浪江町のベコ屋だ。放射能で俺は戻れなくなったし、牛は水もエサもなくて死んじまう」
 泣きながらの説明に、ついには私服警官が立ち会うことで応接室に通された。

 応対した東電社員に吉沢が訴えたのは二つのことだった。
 「牛はたぶん全滅する。必ず全て弁償しろ」
 「逃げるなよ。自衛隊が決死の思いで闘ってる。お前たちが自分でつくった原発を自分で制御できなくてどうする、ふざけるな。俺だったら原子炉に水をかけに、命をかけてホース持って飛び込んでいく」
 吉沢が泣きながらまくし立てると、応対の社員も目を赤くした。

 その後も車で寝泊まりしながら1週間ほど都内をまわり、街頭演説や官公庁への抗議を続けた。
 浪江町の牧場に帰ると、留守を預かる村田は牛舎から牛たちを解き放ち、自由にさせていた。
 「一部の牛は牧場外に逃げたかもしれないし、近所迷惑かもしれない。でも、牛舎内で餓死させるより、はるかにましだ」。それが村田の考えだった。
 実際、浪江町や南相馬市の牧場、畜産農家ではその後、多くの家畜が餓死していった。空腹で牛舎の柱にかじりついたまま目をむいた牛、骨と皮だけになった馬などの死骸を吉沢も嫌というほど見た。


No.1299
7 人の手で生かす道を

 2011年3月下旬。
 東京電力本店への抗議から福島県に戻った浪江町の牧場主・吉沢正巳(61)は、二本松市にある提携牧場の社長・村田淳(60)の家に再び身を寄せた。
 3日に1度、35キロ先の自分の牧場まで通い、牛にエサをやり続けた。牧草のほかに廃棄されるモヤシかすや野菜くず……。今はそれらを相馬市内の食品工場から直接もらい受けてくるが、当時は提携牧場から運び込み、冬場の牧草不足を補った。
 牧場は福島第一原発から北西14キロの地点。被曝(ひばく)は覚悟の上だった。

 原発事故の発生から1カ月余りになる4月22日、国は原発20キロ圏内を立ち入り禁止の警戒区域とし、バリケードや検問所を設けた。区域内に入ったり寝泊まりしたりする場合、たとえ自分の家でも国や市町村長の許可が必要になった。
 許可証は簡単には出ない。それでも、吉沢は牧場通いをやめるわけにはいかない。最初のうちは、バリケードをどけたり、牧場に通じる抜け道や獣道のような山道を利用したり……。検問の警察官に止められると、こう説得した。
 「牛が死んでしまう。エサをやらないと。自己責任で入る」

 しかし、次第に警備は厳しく、バリケードも堅固になっていった。
 5月12日には、区域内の家畜を殺処分にするよう国の指示が出た。

 そのころ、民主党の衆院議員だった高邑勉(たかむらつとむ)(41)は自主的に被災地に入り、家畜救出を求める農家の訴えに耳を傾けていた。その中で吉沢のことを知り、仲介に動き出す。
 「家畜の衛生管理」や「被曝牛の学術調査・研究」への協力名目で、許可証が出るよう尽力した。
 「牛を殺すな」。同じように共鳴したボランティアやジャーナリストらが全国から支援に駆け付けるようになり、彼らと協力しつつ高邑と吉沢は7月、「希望の牧場・ふくしま」プロジェクトを立ち上げた。警戒区域内の家畜は「餓死か殺処分」の二者択一ではなく、「人の手で生かす」という第三の道を模索しよう。それが狙いだった。

 南相馬市や浪江町の役所窓口で、吉沢は「公益目的の一時立ち入り許可証」を得られるようになった。
 だが、役所の窓口では、吉沢が牧場内に「殺処分反対」「反原発」などの看板・幟(のぼり)などを設置し、国の政策を批判していることを問題視。許可用件の「目的外行為だ」として撤去を求めたりした。


No.1300
8 同意書「憲法違反だ」

 2011年3月の福島第一原発事故に伴い、原発20キロ圏内の「希望の牧場」は立ち入り禁止の警戒区域内に入った。それでも牧場代表の吉沢正巳(61)は牛の世話を続けた。そのために2週間ごと、地元・福島県浪江町の役場へ出向き、立ち入り許可証の更新を繰り返した。11月以降は、ある同意書の提出も求められた。吉沢は疑問や不満を抱きながらも、仕方なく応じ続けた。
 同意事項は、作業内容や結果をインターネットなどで公にする場合は必ず町の許可を得る▽マスコミなどの取材は一切同行させない……。書面の内容は、メディアに門戸を閉ざさない吉沢に同行取材するジャーナリストたちの間で、波紋を広げていった。

 明けて12年の5月初旬、東京。
 弁護士の日隅一雄(ひずみかずお)は、コメントを求める記者の取材を受け、事情を知ると怒りの言葉を口にした。「明白な憲法違反ですよ」
 産経新聞の記者を辞め、法曹の道に転じて14年余。原発事故が起きたあとは、東京電力や国の記者会見に欠かさず通いつめ、情報の隠蔽(いんぺい)を厳しくただし続けていた。取材応対もそこそこに、すぐ吉沢の携帯に電話を入れた。「国と町へ抗議の申し入れをし、記者会見で事態を公表したいのですが」

 その後の行動も早かった。
 東京弁護士会の報道と人権部会の元部会長・梓澤和幸(あずさわかずゆき)(72)を誘い、「弁護団」を結成。5月17日には国の原子力災害対策本部と現地対策本部(オフサイトセンター=OFC)や町に「表現の自由の侵害だ」と申し入れ、県庁で記者会見も開いた。主張はこのようなものだった。
 牧場作業の公表をめぐる事前許可の「強制」は、憲法で禁じる検閲にあたる。ジャーナリストの同行の「禁止」は取材を受ける権利、ひいては取材する権利を侵害し、報道の自由、市民の知る権利を侵す。

 町役場は許可証を出すにあたり、なぜ一連の条件をつけたのか。会見にいたる過程の中で、記者は町長の馬場有(66)から聞いていた。 「条件を町がつけた覚えもないし、つける必要もない。国は形式的に許可権限は町にあるというが、実態はすべてOFCが指示している」
 これに対しOFCの担当者は、かみ合わない釈明をした。 「警戒区域で牛を飼う行為が野生化する牛を増やし、周辺に迷惑をかける。町の担当者から相談を受け、同意条件を協議した」


No.1301
9 「余命半年」を超えて

 2012年5月17日、福島県庁。

 牛を飼い続けるのに必要な許可を得るため、不本意な同意書を出してきた浪江町の「希望の牧場」代表・吉沢正巳(61)は、東京の弁護士・日隅一雄ら「弁護団」と開いた記者会見の場にいた。
 福島第一原発事故後の11年4月以降、警戒区域内に入った牧場は自由に立ち入れなくなっていた。
 立ち入りが禁止され、例外的に許可を得て入った場合でも、区域内でのことを公表したり、マスコミに書かせたりしてはならない――同意書で国と町から課された「条件」は、要約すればそういうことだった。
 会見では表現・報道の自由や知る権利などを侵し、憲法違反にあたるなどと強く抗議。結果、「条件」はほどなく撤回に向かう。

 会見に臨んだとき、中心にいた日隅の体はぼろぼろの状態だった。意識がもうろうとして思考を妨げるからと鎮痛剤も使わず、全身に広がった痛みに耐え、マイクを握った。
 「末期の胆のうがんで余命半年」。そう医師に告知されてから、すでにほぼ1年。
 日隅はこの間、入院治療を拒んで20日間で退院後、自宅闘病を続けてきた。抗がん剤を打ち、漢方を含むあらゆる療法を試みつつ、東京電力や原子力安全・保安院の記者会見に延べ100回以上も通い続けた。
 政府の「低線量被曝(ひばく)についての間違った発表」、東電の「汚染水放出についての情報隠し」……。県庁での会見の前月には、福島大で開かれた「原発と人権」シンポジウムで、原発事故をめぐる問題点を指摘、元新聞記者の立場からマスメディアには特に厳しい批判の矛先を向けた。
 「知り得たことを報道せず、放射能汚染情報を住民避難に生かせなかった」

 県庁会見の6日前。東京・原宿のギャラリーで牧場の写真展を取材していた記者の携帯が鳴った。
 「あす体調がよければ写真展に行きたい。案内してもらえませんか」
 日隅からだった。写真展のことは取材を受けて聞いていた。
 「本来なら牧場に行き、どんな牛たちをどんな風に育てておられるか、現場の土と風にふれながらお話を聞くべきなのです。ですが……」
 県庁や福島大のある福島市までは新幹線で何とか往復できても、さらに浪江町までとなると山越えが難しい。すでにギリギリの体調だった。
 「せめて写真を通して感じとりたいんです」

 * 「希望の牧場」が当日の模様を伝えた記事がこちら。
 2012年05月18日「化かされた」


No.1302
10 最後まで願い、逝く

 約束の午前10時半きっかり、東京・JR原宿駅前。
 待ち合わせ場所に現れた弁護士・日隅一雄は、支援する福島県浪江町の「希望の牧場」の写真展が開かれているギャラリーまで、数百メートルの道のりを1時間近くかけて歩いた。
 何度も何度も路上の縁石に座り込み、休んでは歩き、歩いてはまた休み、会場へと向かった。

 2012年5月12日のこと。
 数日後には、福島県庁で記者会見を開く予定が控えていた。
 福島第一原発20キロ圏内の牧場への立ち入りをめぐり、牧場代表の吉沢正巳(61)に課せられた「表現の自由への制限」に対し、抗議するためだった。

 しかし、1年前から末期の胆のうがんで闘病を続ける身には、さらに遠い沿岸部の牧場まで、となると往復するのは厳しい。支援に取り組み始めながらも、念願の現地入りを果たす見通しは立たないままだった。 ならば、少しでも現場の様子を知るために、写真展に案内してほしい。そう切望し、取材で知り合った記者に付き添いを打診してきた。

 すでに体は口からの食事を受け付けない状態で、この朝も点滴を打ち、待ち合わせ場所にやって来た。
 「短い距離ですが、やっぱりタクシーに乗りませんか」
 道すがら、何度尋ねても、「いや、大丈夫」と首を振った。

 ギャラリーに着くと、電話だけのやり取りだった吉沢と初めて顔を合わせ、静かに笑ってあいさつした。場内を回り、吉沢の説明を聞きながら牛の写真一枚一枚に見入った。
 最小限の言葉を交わしつつ、記者会見や関係官庁への申し入れの打ち合わせも済ませた。
 面会も含めて1時間ほどでギャラリーを出ると、日隅はさすがにどっと疲れが出たように見えた。
 「タクシーをお願いします」
 そう言うのが精いっぱいだった。都内の自宅マンションまで送られると、居間に入るなり、そのまま倒れ込むようにソファに休んだ。

 1カ月後の6月12日早朝。日隅は激痛に耐えかね、救急車で都内の病院に入った。
 先輩弁護士の梓澤和幸(72)や海渡雄一(かいどゆういち)(59)、国と東京電力の責任を記者会見で一緒に追及したジャーナリストの木野龍逸(きのりゅういち)(49)らが続々集まってきた。そんな心許せる「同志」たちに囲まれながら、日隅はその夜、永眠した。49歳だった。

 浪江町の牧場で訃報(ふほう)を聞いた吉沢は自責の念に苦しんだ。
 



朝日新聞【プロメテウスの罠】希望の牧場シリーズ 2 へ続く


希望の牧場 × 沖縄 : ’15/6/24 吉澤正巳 in 那覇 

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ポスター画像は、ベルポン‏@bellponponさん。


希望の牧場公式サイト
希望の牧場ツイッター
希望の牧場facebook

【楢葉の牛】やまゆりファーム・岡田さんが借りた牧場は「帰還困難区域」

 岡田さんが借りた牧場は、南相馬市小高区金谷八丈石山の麓の農家さん。 
 希望の牧場(居住制限区域)から僅か5,6キロメートルですが線量が高く、帰還困難区域(下図のピンク部分)に指定されています。 参照:避難区域の変遷について

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 牛の移動には南相馬市、福島県、国の許可が必要。国道には検問がしかれ、出入りには特別許可書が要る。 *参照:帰還困難区域の特別通過交通制度について

 南相馬市は近日中に結論を出し、当事者に連絡するそうです。許可は出ない。出る筈ないじゃないか!そんな事は、借りる前から分かっていた筈です。岡田さんは自分の意地だけで動いていて、牛のことは考えていない。いったい何の理由があって、岡田さんは「希望の牧場」にこうも敵対意識を持つんですかね?第三者を納得させる理由がない。非生産的なことばかりやっている。岡田さんが私に答えていたもっともらしい「理由」は、一つ一つ消滅していった。口実を失うと、岡田さんは一切応答しなくなった。

 「希望の牧場」が飼育放棄で岡田さんを告発したのは、岡田問題に終止符を打つのが目的です。
 決して、岡田さんを追い詰める気持ちからではない。ただ、これ以上、岡田さんに煩わせられたくない。 現場は余裕がない。岡田さんにやりたいようにやらせていても、所詮、キャパのない独立願望です。埒があかない。希望の牧場に近い、帰還困難区域に牛を移動させるなんて意味がない、あるのは岡田さんの不毛な意地だけです。行政が許可する筈がない。

 双方、納得済みの結論がでれば、岡田さんは処分されることはないと思います。希望の牧場は最初からそのつもりでしょう。岡田さんに罰を与える意図はなく、岡田問題でこれ以上煩わされたくないだけなんですよね。警察・行政を間に立てて問題に決着をつける目的で、告発という手段をとっただけです。
 岡田さんの飼育放棄で牛に犠牲は出ていない。「希望の牧場」が肩代わりしてきた。岡田さんは無断の飼育放棄を軽く考え過ぎですが、職場で無断欠勤するようなものです。事実は重い。

 岡田さんはこれ以上、意地をはらず、行政の不許可を区切りに、速やかに「やまゆりファーム」を解散し、やまゆりの口座を希望の牧場に引き継いで、被ばく牛レスキューから撤退されるのが宜しかろうと思います。
 希望の牧場はやまゆりの口座を引き継ぐ事で、おかしな連中に絡まれるのは避けたいと思っていますが、第三者的に見れば、口座を引き継がないと岡田さんに汚点を残す事になる。去就を誤らず、禍根を残さず終わりにして下さい。


知足美加子氏作「望郷の牛」 The Cow with Nostalgia
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「望郷の牛」は国展(国画会)出品後、
2012年8月6日に「希望の牧場」に寄贈された。
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いつの頃からか、「望郷の牛」は紅に染まり、
凱旋行動で「希望の牧場」のシンボルになっていく。
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進化し続ける「望郷の牛」・・
craftsman ‏@craftsmantori
街宣車をフラッシュなし、フラッシュあり、LED点灯の順に撮ってみた結果・・・
何とも神々しい?望郷の牛が浮かび上がる・・・
これ・・・公道走れるのか?(=ω=;)
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希望の牧場・ふくしま‏@kibounobokujyou
紅いリボンは、口から血を流して死んでいった牛たちの無念を表現したんだ by 吉沢父さん
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【緊急災害時動物救援本部に対する不当訴訟】原告、裁判資料公開停止、次回は6月

 緊急災害時動物救援本部を提訴した原告側は裁判資料を公開してきましたが、訴状と答弁書を掲載したきり、公開が停止されています。
 ・緊急災害時動物救援本部|提訴について
 救援本部サイドは裁判資料公開については口を挟んでいません。何等差し支えない話ですから、原告側が公開したければ公開すればよく、本部は関与しないという態度です。
 停止しているのは原告側の都合です。

 次回公判は6月。未だ結審していません。

「希望の牧場」、「やまゆりファーム」岡田久子氏を飼育放棄で刑事告訴

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【福島第一原発20キロ圏内】絶望の中の希望

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『ナオトひとりっきり』アップリンク上映(2015/5/23〜6/5)

 新宿K's Cinemaの『ナオトひとりっきり』上映が終了。連日満席だったそうです ♪
 2015/5/23〜6/5まで、今度は渋谷のアップリンクで公開されます。
 その後、国内外各地で順次公開予定。私は広島で見る予定でいます。
 DVD貸出しの自主上映会が出来るようになれば、鳥取でも上映会開催が可能ですね ♪

 松村さんは相変わらず、毎日牛のお世話です。

 希望の牧場、WithCattleスタッフ等と、20キロ圏内農家会議
牧場関係者のツイッター画像から。

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特別おまけ。松村牧場のポニー、ヤマ。
ぼさぼさ頭ですが、ヤマって美人だったのね。
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【希望の牧場 2015GW】写真展 in 代官山春花祭」

 GWは代官山へ行こう!「太田カメラマン&希望の牧場 写真展 in 代官山春花祭」

 「福島の動物たちの写真展 by カメラマン太田康介さん&希望の牧場・ふくしま」は、3日(日)~5日(火)11:00~17:00(入場無料) ※3日のみ午後1時から。
 ・会場(1) サイバード2F会議室     ・会場(2) 代官山ヒルサイドプラザB2ホール

 吉澤さんのトーク出演や「ふくちゃん部屋」の生中継もあり、「希望の牧場」ブースも出店されるそうです ♪


 一人やまゆり・岡田問題はGWが終わってから、法的措置をとるそうです。
 岡田問題に二度と煩わされないようにするのが目的です。
 岡田は妄念で突っ走って、結局、もう何も出来ない。
 仕掛けはことごとく失敗、もう打つ手がない。
 それでも岡田は妄想にしがみついている。今更、格好がつかないというのがあるんでしょうかね?
 病気の相手をしているようなものだ。
 このままだと終わりにならないので、終わらせるために法的措置を決断したそうです。 
 岡田問題の根っこから、希望の牧場からキレイさっぱり切り捨てる。
 約60頭の牛達は、このまま「希望の牧場」が面倒をみます。良かったね、牛さん達 ♪
 

【希望の牧場】汚染牧草を被ばく牛に処理させよう!

【緊急】汚染牧草をください!

 一時期、マスメディアが取り上げていた汚染牧草問題。
 国の汚染廃棄物処理が滞る中、農家さんは汚染牧草を一体、いつまで保管しておけばいいのか困り果てていました。 保管(建前上は一時保管ということになっています。)する汚染牧草を撤去して欲しい農家さんがいて、他方で、無料の汚染牧草を被ばく牛の飼料にして命を繋ぎたい「希望の牧場」さんがいます。
 この、需要と供給のマッチングにご協力下さい!

 「希望の牧場」には、商業価値を失った約300頭の牛がいます。
 代表の吉澤さんが、「ラジオ福島」で緊急支援を訴えました!
 汚染牧草を燃やさず、被ばく牛に消化させて下さい!


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 希望の牧場とその姉妹団体WithCattle、そして協力者の方々は、力を合わせて、この冬場を何とか乗り切りました。昨秋から、この冬、300頭の命を繋げるかどうかの危機的状況の中で、超人的な頑張りをみせました。
 事務局メンバーはボランティア活動に必要だと大型免許を取得して、自らも飼料搬送をしています。皆さん、本業の仕事を持っています。汗とチームワークと無償の精神で乗り切った!
 運んでも運んでも、牛は食う、食う、食い尽くす!飼料は消耗品!自転車操業は休む暇がない。
 恒常的な飼料確保システムの構築に向け、皆様の暖かいご協力をお願い致します。

【ナオトひとりっきり】新宿k’scinema 4/18(土)~5/1(金)上映

 中村真夕監督のドキュメンタリーフィルム、 「ナオトひとりっきり」(98分)が本日より、新宿k’scinemaで上映中です♪

初日の今日、トークイベントに松村直登氏登場♪
「故郷への愛着捨てられず 富岡町に1人住む松村さん」(共同通信)
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画像は「映画情報どっとこむ @eigajoho」さん。


 上映期間 4/18(土)~5/1(金)
 上映開始時間  10:00~
 当日料金  一般:1,800円/大・高:1,500円/中・小・シニア:1,000円

 詩人谷川俊太郎さんのコメント:
「尋常ではない出来事に、尋常に対処する男の日々、
そこにはほのかな明るさがある。
希望も多分そういうところにひそんでいる」


【追記】松村さん、今度はイタリアで開催されるフォーラムに招待されているそうです。
 「がんばる福島」事務局の金子さんのブログ「9か国って?

 通訳は8ヶ国語。松村さんの福島弁を標準語に通訳する日本語の通訳さんもつくそうです♪。

【やまゆりファーム・岡田問題】1

 4月4日に岡田が同伴したカップルの素性は特定されています。
 吉澤さんと牛を案じて、私も当日、警察に通報しましたが、私だけではなかったようです ♪。
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 ワンライフ事件やピースハウス事件と共通点のあるこの事件、ご心配なく、岡田の画策は失敗します。
 約60頭の牛を移転させる段取りを整える事が出来なかった。出来る見通しもない。
 「やまゆりファーム」なんて実体はないんですよ 笑い。
 あるのは牛で集めた寄付金だけかな 笑い。

 
 忙しいので、また後ほど。

やまゆり・岡田の協力者は、引退馬レスキュー関係者を自称

 4月4日、岡田と協力者のカップルが、アポなしで「希望の牧場」を不意打ち。
 家畜車はたった1台。何頭積めるん?
 全60頭引取る気はなく、しかし何が何でも数頭の牛を手に入れなければ、ボランティア・ビジネスのお店がはれない?

 カップルは「引退馬を育てている」と自己紹介したが、名前を名乗ることは拒否。
 ここら辺りで、もう変な人。
 カップルは、弁護士費用を出したのは自分だと言い、あの弁護士は失敗だったとのたもうた。
 いや、大体、無理筋案件だから失敗したんじゃない?
 他人のせいにしちゃダメよ。企画が失敗だったんじゃない?
 ますます変な人!

 男の方は、牛を引き渡さなければ、払うべきものを払わんぞと恫喝したそうです。
 なして、あんたが、それを言うかね?
 岡田が切羽詰って叫ぶのなら未だ分かるよ。
 立ち入った口をきく、お宅だれ?
 完全に変な人!

 それに第一、希望の牧場は「一銭も請求しないから、(2014年)年末までに立ち退いてくれ」と回答済みだよね?
 岡田はそれに対して回答せずスルー。
 4ヵ月後にいきなりやって来て、牛を積めときたもんだ。
 おや?独立を望んだんじゃなかった?自立の第一歩は、牛の移動から。
 吉澤さんに伺うと、牛飼いは出荷で毎月のようにこなす日常業務。
 それが出来なくてどーする?

 支援金のために数頭はどーしても必要。
 数頭手に入れたら、あとは用がないんだと思う。
 第一、行政が許可しない。
 正直に、「数頭だけくれ、でないと被災牛レスキューが出来ない!」とは白状しないでしょう。
 しかし、4月4日の状況が端的に語るのは、そういう本音です。
 1台の家畜車に積めるだけの牛だけでいい、ちょーだーい。
 牛を手に入れた後は、行政の許可が下りないので、残念ながら云々とでも誤魔化す算段?
 許可が下りないのは嘘じゃないしね。筋書きはそんなところじゃないですかー?

 移動にさえ、岡田は人手を集められなかった。
 作業に「希望の牧場」を当てにしている。そんな筋合いがどこにある?
 「支援者の皆様へ」と格好つけていますがね、やまゆりファームなんて実体はなく、岡田個人ですよ。
 「市の許可はとった」と、直ぐにばれる嘘を平気で言う、一人やまゆり。
 企んでいるのは、被災牛に乗っかった愛護ビジネスです。
 岡田の下では、牛は守られない。
 犬でさえ、岡田はご近所とトラブルを起こし、希望の牧場でもトラブルを起こした。
 トラブルを起こす都度、悪いのは常に相手方で、訴訟を起こす。ご近所を訴えると、牧場を休んだ事もあるそうです。
 岡田の言動は、愛護ビジネスに共通の行動パターンです。

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 犬猫、牛、そして馬を対象とする事例も少なくないようです。
 FBで見つけた記事を以下、転載します。



2015年2月4日

 ちょっと吐き出させて下さい。
 しばらく前から、もう見たくなくて非表示にしていたある馬関連の団体があります。
 今日ひょんなことからそこの団体について知人から連絡がありました。

 もう、本当に嫌。
 最低限でいい。餌、爪切り、厩舎に敷物、お願いだからちゃんと馬を飼って欲しい。
 うちは可哀想な馬を保護しています!こんな素晴らしい活動をしています!
 じゃあ、お金もなくその日暮らしの綱渡り状態で無計画にただ可哀想だから馬を増やすのは如何なものか。

 普通の大きさのサラブレッドに1日たった3.5キロだけのヘイキューブ。ずっと切ってないスリッパみたいな爪、突然容易に寝起き出来ない高齢馬。高齢馬が食べれないのにしっかり噛めないと身体に悪いとふやかすことすらしないヘイキューブ。
 的外れにも程がある。
 食えなきゃ生きて行けません。
 保護と称しやってることは一歩間違えば虐待だ。
 せめて最低限だけで良い。お願いだからちゃんと飼ってあげて欲しい。
 その場だけの感情でヒーロー気取りかもしれないけど、無計画に馬を増やすな。
 その前に今いる馬をちゃんと食べさせて、必要な医療を受けさせて、まず目の前の馬から助けないでどうするんだろう。

 肉にされる馬は五万といる。その中から代表が気に入った馬を可哀想!助けてあげる!選んで集めて、うちは大変です、力を貸して下さい(お金か餌を送って下さい)。
 違うくないか?
 どんだけ無責任なんだ?
 馬の命を軽視してないか?
 犬猫だってここまで軽率にレスキュー出来ないよ。犬猫ですら。

 今日連絡をくれた人も、動物愛護とレスキューと虐待の境目は難しいと話していたけどまさにその通りだと思う。
 餌、爪切り、敷物、まず最低限で良いからちゃんと飼って欲しい。
 それって、馬に特別なスペシャルコースですか?
 私はそうは思いません。生き物を飼うなら当たり前のことだ。
 こおいう上部だけの馬が好き❤️ 馬が可愛い❤️ 馬を助けてまーす❤️ がなにより大っ嫌いだ。それを祭たてるだけの周りにもものすごい違和感。
 本当に馬が好きなの?
 好きなのは馬の形したお人形さん、もしくは馬が好きって言ってる自分では?
 海外ならそこの馬はレスキューされてます。

 餌がありません!
 餌が買えません!の後は餌が手に入りません!だとか。
 毎日計画的に餌をあげて、毎月計画的に餌を納品していれば、餌はあります。
 うちでも毎月2トンは納品しますが滞りなく入っています。
 綱渡りのような管理をするから餌に困るのです。
 ましてや、相手は馬。生き物で命にかかわる大事なことです。ずれすぎるにも程がある。
 無責任に馬を飼うな。
 餌だけでもちゃんとあげて欲しい。

 あまりに腹が立ったので吐き出してスミマセン。 
 耳に入るだけで嫌で嫌でしょうがありません。
 馬は自分で痛い、かゆい、苦しい、しゃべれません。
 人間の都合のいい身勝手な解釈はやめて欲しい。本当に馬が好きなら、、、

 ちなみに、その団体は支援金等を集めるにあたり馬の餌代だけで一頭毎月最低3万はかかりますと語っていますが、1日3・5キロのヘイキューブで一頭一カ月3万円の餌代ですよ。
 うちは500キロのサラブレッドでUSチモシーとカナチモ組み合わせて粗飼料だけで1日12キロ、濃厚飼料1キロ未満にチャフヘイジ、ビートパルプ、塩、ビール酵母をあげて一カ月一頭3万円行きません。
 この辺りの発言でもとてもまともな人がやってるとは思えません。
 ちなみに、イネ科の粗飼料は、基本的には乾燥桶を満たし切らさないことが基本的な考え方ですのでうちは決して多い量ではありません。

 馬が好きってなんですか⁉️



2014年9月25日

 世界馬福祉協会
 競馬のルール改正。これから開催される東京オリンピックでの馬輸送、検閲の問題。ジャンルを問わず耳にする事も多く馬産業、世界の馬達に取って影響力があり力のある団体であることが分かります。

 馬の福祉とは何を当たり前にするべきか、何が虐待にあたるか。
 馬文化も進んだ馬との歴史が深い国と比べて日本での馬の常識は世界の非常識な部分がまだまだ多くあります。
 英語のページですが、翻訳サイトなどを使いながら原文と比較し見て行けば英語が得意じゃなくても大まかな内容はわかると思います。
 馬の性質に対する理解や、ベースとなる考え方を知らないままだと、よかれと思ってやっている事や飼い方でも虐待になる事もあります。

 日本でも馬と言う動物に対しての理解が広く深まること。その中で、馬術も競馬も発展していくこと。
 二度と島根の馬虐待事件のようなむごい事がおこらないように、馬を愛して見守る沢山の目が正しい方向に導いてくれるようになる事を願います。日本語で「世界馬福祉協会」で検索しても、ニュース中心だったのでFacebookでシェアしました。

 以下、長くなるので興味のある方のみ読んで頂ければと思います。
 犬猫などの身近な動物では、沢山の団体がその道標になるような指針をわかりやすく説明された物が多くあります。支援したり、拡散する側の責任として詐欺まがいの団体や動物愛護と称したネグレクトやアニマルホーダーを見極める必要性がある事を発信しているサイトも多くあります。
 馬の場合、JRAや日本馬事協会から発信されている馬のアニマルウェルフェアなるものがありますが、諸外国の馬福祉を啓発する情報と比べ馬を知らない人には分かりづらく基本的な馬と言う動物への理解を得るには全く足りない内容に感じます。

 馬が可愛い、馬が大事。それはきっと同じ。でも、馬の福祉や愛護を訴え活動する団体の馬が、容態の悪い馬が居ても必要な獣医療も受けさせることが出来ない。
 どの馬も最後にいつ削蹄されたのかわからないようなスリッパ状態の蹄。
 寝起きがしずらくなってる馬の寝床に敷料は一切なく。また、倒れました、頑張って!皆応援してるよ!
 でもちょっと待って、そんなに伸びすぎた蹄では容易に立てないよ。
 何度もそおいう事があった?駆虫はいつやりましたか?
 色々混ぜてご飯をあげています!
 でも、活動記録を見る限りもう長いことあまりに酷くあまりに痩せすぎている馬達が居ます、対象的に太り過ぎのポニー。
 おじいちゃん馬なのは分かる、だけどあまりにも巻き上がったそのお腹と骨だらけの体型は最低限の必要量すら満たされていようにしか見えません。駆虫はやってますか?
 真夏の炎天下、日陰になる建物の入口は殆どが閉められ居る馬達全てが日中の直射日光と暑さから避難できない。

 餌代が大変です!じゃあ、何で馬を増やすんだろう。新しい馬を受け入れる前にまず今飼っている馬の飼養環境を金銭的にもきちんと整えることが出来て(必要な量の餌、定期的な削蹄、計画を立てた駆虫、予防接種、獣医さんの診察受け必要な治療を受けさせれるように)から次の事が出来るのでは無いか。

 野生の馬はずっと外にいるし、削蹄だってしなくても大丈夫ですよね。
 それは一日十数時間、何キロも移動しながら歩き、ずっと草を食べているからです。
 柵で囲われた場所と違い暑かったら日陰を求め、寒かったら身を寄せ合い、自分で場所雨風避ける場所を選ぶ事が出来ます。
 立っている場所だってすぐにぬかる泥々な所ではないはずです。

 又、サラブレッドの場合は「馬」と言っても人の手で改良に改良を重ねて作った馬です。犬ではドーベルマンやシェパードなどを例に取っても重ね続けた改良のせいで内臓の構造は生まれながら窮屈で無理があること。その為胃捻転などの疾患には犬種の特性として注意が必要な事は愛犬家の方が広く知ることだと思います。
 草だけでもコロコロした体型を維持できる中間種や粗食に耐える地域で発達して来たポニー達。太い神経や燃費の良さ、身体の丈夫さ、強さ。立派で深い蹄。どれを取ってもサラブレッドととは大きく違います。
 運動しない場合の一日の基礎代謝、必要なカロリー、大きく違って当然です。

 犬でも、柴犬やボーダーコリー、はたまたドーベルマンやグレートデン、グレイハウンド、プードル、チワワ、本来持った性質や、発達して来た地域。用途やそれに伴う改良や、あまり改良されてない犬種。種類やルーツにより全く異なるのは馬も同です。
 馬事先進国と、日本の馬の歴史を比べてみた時。
 ギリシャ時代、貴族の趣味が馬術の始まりといわれています。その頃日本は縄文後期。
 ローマ時代、戦争において馬の質や量が軍勢が国の行く末を左右する為馬の改良が始まります。日本はそれからまだあと古墳時代、馬を飼い始めました。
 1572年オーストラリアにスペイン乗馬学校が設立されました日本は安土桃山時代。
 1763年、フランスにソミュール騎兵学校が設立。後のカードルノワールソミュールフランス国立馬術学校です。日本、江戸時代です。
 馬を取り巻く環境も、国立種牡馬場もあれば、馬を取り巻く職種は極めて多く、又その為の認定制度、あらゆる馬達の為の法制度。あげれば切りが無い程違いがあります。

 馬が大好き、でも分からなかった、知らなかっただけ。それって時にすごく、残酷なことだったりします。
 私自身、後悔した事が多くありそれが学ぶ原動力になっています。
 アニマルウェルフェアは海外の概念を丸ごと取り入れるのではなく、日本にも古くからある思いやりの心や、命が無い物に向けても大切にする事、感謝の気持ちをもつこと。そう言った思想と合わせ我が国ならではの概念を作って行くことが大切だと、そんな事を最近多く聞くようになった気がします。
 まずは、知ること、学ぶこと。そして、考えて進む事で日本の馬達を取り巻く環境がよりよい物になるようみんなで作りあげていけるように願っています。
 馬が好きで大事な気持ちは同じはず。どうか不適切な飼養環境に苦しむ馬が一頭でも少なくなりますように。

 読み辛い文章最後まで読んで頂いてありがとうございます。


希望の牧場「お知らせ」:岡田問題について

 希望の牧場公式サイト
 2015年04月06日「お知らせ

 やまゆり岡田が4月4日(土)、やまゆり牛約60頭を希望から移転先へ、予告なしになかば強引に移動させようとした問題について、希望関係者、自治体、県ときょうまで相談した結果、やまゆり牛の実質的飼養管理者である希望は、その責任として、
 ・四者(自治体、県、希望、受け入れ先関係者)による面談
 ・移転先の飼養管理状況の視察
 ・移動及び今後の飼養計画のヒヤリングなど
 これらを済ませた上で、その中身を判断材料に結論を出すことを決めた

 (後略)


 岡田サイドは心細ければ、代理人同伴、あるいは一任すればよい。
 ただ、まともな弁護士だと辞任してしまうでしょうね 笑い。

 岡田さんは「市の許可はとった」と言ったそうですし、「移動させるのは20キロ圏内」とも書いていますが、希望の牧場サイドが照会したところ、『きょう午前現在では、自治体と県に確認したところ、やまゆり岡田から自治体や県に対し、牛の移転に関する相談は一切ないという』。

 また、岡田サイドの「四季の里 (旧・動物愛護ネットワーク)」という意味不明な匿名ブログによれば、岡田自身は宮城県名取から20キロ圏内に引っ越したというんですね。ブログ管理者も妄想と現実の区別が曖昧なタイプのように感じられるので、どこまで本当か知りません。もし事実だとしたら、まさか個人の引越しに寄付金使っちゃいないでしょうねー!管理者のささゆりという女は、元不良ボランティアで、ツイッターで言い掛かりをつけてきて、希望の牧場からブロックされたのを私は目撃しています 笑い。なにを狂ったか、被災牛に乗っかってきて支援金集めがしたくて仕方ないらしい。変なこと書いてますよ。希望の牧場に絡んでいく事で、人気のない自分のブログのアクセスが増えたと喜んでいるんだから、処置なしです 笑い。

 岡田さんも気をつけたがいい。いずれ、持ち逃げした口座の引継ぎをしなくてはならない局面に立たされた時、公金の収支が説明出来ないようだと困ったことになりますよ。
 そういう場面を回避したくて、何が何でもやまゆりの牛を1頭でも2頭でも確保したいと焦った結果が、昨日の不意打ちになったのは見え透いている。
 
 犬1匹、猫1匹の譲渡でさえ、希望者を確認するのが当たり前。扱うのが生き物だからです。
 まして60頭の牛、それも無断で飼育放棄してきた牛です。
 岡田は所有権を主張するけれど、管理者ではない。
 これまでの経緯を鑑みれば、岡田の所有権が保護法益に当たる根拠は脆弱です。

【やまゆりファーム】岡田氏、提訴断念、移動許可無視の移転話の妄念

 「やまゆりファーム」更新、「重要なお知らせ」。

  移転には行政の許可がいる。
 現在のところ、福島県にも市町村自治体にも、家畜保健所にも移転申請が出された事実は確認されていない。
 もし申請したとしても許可は下りない。
 (社)ふるさとと心を守る友の会の移転申請は1年近くも許可が下りず、放置されている。
 ふるここ会の被ばく牛は6頭かそこらである。それでも許可は出ない。
 やまゆりファーム約60頭の移転独立は、岡田さんの意固地な妄念でしかない。
 
 虚偽の演出でまたまた時間を稼ぎ、「行政の許可待ちです」とでも言い逃れる算段なのだろうか?
 前回は、1月中に新たに提訴しますと弁護士に言わせたまま、訴えを起こさなかった。
 私は単なる「時間稼ぎ」と指摘したが、その通りになった。裁判所から何の通知も届かなかったのである。嘘の上塗りで支援者を欺き、牛で集めた支援金を持ち逃げして無事に済むとでも思っているのだろうか?

 
 岡田さんの飼育放棄は、4月下旬で半年間になる。
 それを目処に、「希望の牧場」側は岡田さんの飼育放棄を告発する。
 岡田さんは間接的に「希望の牧場」の決断を伝え聞き、追い詰められたのだろう。
 新牧場の所在地は秘密だという。警察の捜査が始まれば、秘密では通らない。
 岡田さんがブログで発信してきた事が真実である根拠を示さなくてはならない。
 積み上げてきた”作り話”は崩壊する。岡田さんの不実が明らかになる。
 

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 さて、ブログ更新が昨日。一夜明けた今日のこと。岡田が男達と連れ立ち、3台の家畜車1台の家畜車と乗用車2台で「希望の牧場」に乗りつけた!アポ無しの不意打ち。牧場側は男が代理人の弁護士と思ったが、違うという。そう言ったきり名前も名乗らない。岡田さんの協力者達が必死に正体を隠そうとしているのは何故?後ろ暗い経歴の人達じゃないでしょうね?そこを調査する必要がある。いままでの経緯で、岡田側の言動は普通じゃないのである。こそこそとして、新牧場の所在地も隠しているのはまともじゃない。

 希望の牧場は、行政の移動許可書提示なし、行政職員の立会いなし、岡田の新牧場の確認をしないで牛達を引き渡すことはしない。岡田さんの奇襲作戦は失敗。手ぶらでお帰りになりました。次回は手順を踏んでいらっしゃい。
 今日のこの1件を、私は独断で警察に通報した。警察はちゃんと相談記録に残すと言ってくれました。


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「希望の牧場・ふくしま」公式ブログ、リニューアルオープン!

 プロバイダーが無料ブログサービスを廃止したため、突如、消えた「希望の牧場」公式サイト。
 記録が失われたかと思いきや、見事復元されました!

 新しい公式ブログです! 

【緊急災害時動物救援本部に対する不当訴訟】2015/3/25 口頭弁論

 昨日、口頭弁論があった。

 原告側は裁判資料を公開していますが、訴状と答弁書がアップされた後、更新は止まっています。
 「緊急災害時動物救援本部|提訴について
 口頭弁論終了後にまとめてアップすると、山崎ヒロ氏がおっしゃっていたので、近い内、更新されるでしょう。

 原告のお一人と数日前に、少しゆっくりお話しました。私はこの提訴には批判的ですし、Hさんは「現場」で活動してきた誠実な「本音」の部分で原告参加していますから、訴訟に関して対立する立場ですが、気持ちよくお話しする関係です。Hさんは、私が親しく交流していた団体主宰者と同じ地域で活動してきた。問題のない活動家と分かっていたので、私は残念な思いがあった。Hさんは何年も前から「鳥の広場」を読んでらしたので、私が本部批判記事を書かないのが信じられない思いもあったようです。何を優先させるか、何に視点を置くかの相違ですね。

 いろいろお話を伺う中で、私は現場を離れた年代層が、出来る事は何だろうなと考えていました。40代、50代前半は現場で中枢を担う年代層です。犬猫保護に関しては、60代はサブに回り、お手伝いするのが賢明です。現場世代は生き物の世話に忙殺され、時間がない。 
 多くの動物愛護団体主宰者、ボランティアさんは気持ちの良い、誠実な人達で、こじんまりした個人的なネットワークを持っていますが、より機動力のある信頼のおける広域ネットワークがあればいいと思っている。でも、そんなことに割く時間がないんですね。 
 それで、ネットワークのお誘いがあると、ちょっと期待もあって安易に参加するのですが、「何か方向性が違う・・」と感じて、離れていく。その繰り返しです。「全国動物ネットワーク ANIMAL NETWORK JAPAN」なんか烏合の衆で、参加団体リストは不正確です。体裁のためにかたっぱしから声を掛けて、増やしていったのですが、実体がなかった。随分、抜けてしまった団体がありますが、リストはそのままになっている。京都市告発なんかやってる前に、自分とこのサイトを手直ししなはれ。

 実体があり、実効性が明確な組織だったネットワークが存在しない。小回りのきく機動力のある草の根ネットワークが、外からも見える形をとって存在すれば、救援本部も協働しやすいが、ボラさん達は逆に、本部にそういう存在であれと要求していた部分がある。完全にボタンの掛け違いです。
 「無意識かもしれないけど、あなた方、本部に”お父さん!お母さん!先生!”みたく、勝手な関係性を設定してない?それが提訴の形になったとか?」と疑問を投げかけると、そう、そうです!と肯定するんですね、「それ、通らんぜ、そういう関係じゃないもの」。・・・まぁ、しかしそういう強い思いがあったちゅうことは、受け止める必要がありますね。
 どや、OB世代、一肌脱がんかね?

2015年3月:福島第一原発20キロ圏内の助け合い

 「With Cattleのブログ」更新。
 ・『原発20キロ圏内富岡町農家さんへ「牧草持ってくよ!企画!」(3月2日・3日)

 それによると、富岡町の坂本牧場さんの飼育牛は19頭。春から10月くらいまでは、広い放牧場の草を食むで間に合うそうです。長い冬場を自費で養って来られた。困った時や避難先から通えない時は、松村さんが助力していた。今回は、松村さん一人で対応出来ない状況だった。2週間分は松村さんが融通したが、その先の2か月分は無理だった。今冬の「希望の牧場」の窮状を、松村さんはよく知っていたので、「With Cattle」さんに相談する時の口調は重かった。20キロ圏内の牧場はどこも厳しい、商業価値のない牛に飼料を与え続け、命を繋ぐ営みは、むしろ年々厳しくなっていく。

 発信されたSOS。
 With Cattleさんも「希望の牧場」さんも、仲間の”SOS”を正面から受け止めた。坂本さんは”仲間”なのだ。福島第一原発20キロ圏内に置き去りにされ、移動はかなわない牛達のための「一致団結救命」!掲げた標語を、彼等は裏切らない。ボランティアも趣旨も、状況に試される。標語は、彼らの切ない希望に裏打ちされた強い一念から出てきたものだ。その一念が生きている限り、彼等は動く。

 この在りように共感しなくなったら、私、人間辞めるわ! 

福島第一原発20キロ圏内「一致団結救命」:2015年3月のロール支援


『 尋常ではない出来事に、尋常に対処する男の日々、
そこにはほのかな明るさがある。
希望も多分そういうところにひそんでいる 』

ドキュメンタリー「ナオトひとりっきり」に寄せられた。詩人・谷川俊太郎さんのコメント。

「希望の牧場」日々の風景、近景1枚。
WithCattle@WithCattleさん撮影。吉澤姉弟。
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 福島第一原発20キロ圏内の牧場は外の支援者に支えられ、”尋常なコミュニティー機能”を発揮しています。坂本牧場は牛の命を守り続けてきましたが、他所と同様、今冬、飼料不足に直面。坂本さんは松村さんに相談し、松村さんは独自支援を決断する一方で、希望の牧場と情報を共有。
 総出のロール支援大作戦が実施されました。

 ・がんばる福島事務局長のブログ「ときぶーの時間」
   「緊急支援のお願いです!
   「彼流の思いやり
   「ありがとうございます。
   「2015-03-06 みなさんに感謝!
  :『 松ちゃんこと松村代表より、「今回は本当にありがとうございました。支援物資を受け取った畜主さんはとても感謝していたと伝えてほしい。俺からもみなさんに感謝していますと宜しく伝えて下さい」と言われました。
   今回松ちゃんの軽トラックで2台分の支援物資を畜主さんの所へ届けたと言ってました。
   この他に松ちゃんが備蓄していた餌の半分を届けましたので、今月は何とかなる見込みです。
   みなさん、本当に助かりました。
   そして本当にありがとうございました。』

 ・ウィズキャトルさん
  2015/3/1 福島20キロ圏内一致団結救命って感じがする。富岡町・松村さん 、坂本さん、希望の牧場より、吉澤さん・鳥澤さん。そしてウィズキャトル永澤でした!
  2015/3/2 富岡町の坂本さんさんに運ぶロールは全50個。明日の午後にもう一回運びます。これで2ヶ月保つ予定です。このSOSを発信してくれたのは松村さんです。希望の牧場や松村さんの牧草ロールも少なくなって来ています、それでも皆んなで頑張ります。
  「With Cattleのブログ」:原発20キロ圏内富岡町農家さんへ「牧草持ってくよ!企画!」(3月2日・3日)

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 「一致団結救命」見通しの立たない絶望的な状況の中で、出来る事をやっていく。わずかな可能性にチャレンジする強さと、協力し合う人々の尋常さ。決して独善に陥らず、自問自答しながら見失なわない「希望」と平常心。気持ちのよい方達です。
 変な連中は居なくなりました。年月がふるい落としていったのです。

 常磐道全線開通で、ボランティアさんも通い易くなりました。
 鳥澤さんが画像付で道案内
 craftsman @craftsmantori    
 関東圏の方達、よろしくー!

【東京新聞】福島第一地元 離れない 「富岡に1人」映画化

福島第一地元 離れない 「富岡に1人」映画化
2015年1月27日 東京新聞夕刊

 東京電力福島第一原発事故後、住民がいなくなった福島県富岡町に一人で住み続ける松村直登(なおと)さん(55)の日常を追った長編ドキュメンタリー映画が完成した。監督の中村真夕(まゆ)さん(41)は「自分の愛する町に住めないことへの怒りと二度と原発事故が起きないようにと願う気持ちが、居続けるという形の抵抗になっている」と話している。

 映画は「ナオトひとりっきり Alone in Fukushima」。二〇一三年夏から一四年春までの間、松村さんの生活ぶりをカメラに収めた。松村さんの住む地域は夜間の宿泊はできない避難指示解除準備区域に指定されている。四月十八日から五月一日まで、東京の新宿ケイズシネマで上映予定

 松村さんは生まれ育った富岡町への強い愛着からとどまることを決意。映画では、取り残された牛や犬、猫、ダチョウなどに話し掛けながら餌をやる様子や、満開の桜並木の下、一人ぽつんと花見をする姿などが描かれている。

 松村さんは、海外の多数のメディアで大きく取り上げられ、外国では存在が知られていたが、国内ではほとんど報道されず、疑問を持った中村さんが取材し、自費制作で完成させた。

 中村さんはチラシやホームページ制作などのための配給宣伝費を、インターネット経由で小口の出資を募る「クラウドファンディング」で協力を呼び掛けている。クラウドファンディングは三月九日まで「モーションギャラリー」サイト内で行っている。



原発12キロに理想郷を作った男のドキュメンタリー「ナオトひとりっきり Alone in Fukushima」遂に完成!来春劇場公開支援募集!

希望の牧場・吉沢正巳の訴え(後編)+人形峠の白斑牛

 フリーランスライター、畠山理仁(はたけやまみちよし)さんの記事、後編が出ました!
 前編と併せてお読み下さい♪

 「決死救命、団結!」-希望の牧場・吉沢正巳の訴え(後編)-

 「決死救命、団結!」-希望の牧場・吉沢正巳の訴え(前編)-

 「滅多にお願い事をしない」畠山氏が「読んで下さい」とツイートするように、幾つも興味深いテーマが出てきます。
 読んで下さい♪
 「希望の牧場」の情報発信を追っている私も知らなかったエピソードも加筆されています。
 お、ハリさん、体はったのか!知らなかった!

 猫飼いの私はこういうとこにも目が止まります。スタンチョン飼育の牛が器具をはずされても外に出て行かず、牛舎の中で餓死した話。器具で固定して飼育すれば、牛も壊れていくんだろうなぁと思う。自主性や自発性が死んでいく、主体性をとことん破壊する飼育法です。犬猫保護のケージ飼育や動物園の狭い檻は、生き物にとって緩慢で酷い拷問ですね。

 急警戒区域内の白斑牛については、35年前、人形峠付近の肥育農家で重度の白斑化が報告されています。鳥取県中部の家畜保健所の当時の職員さんがウラン精錬工場の排煙との因果関係を疑ったのですが、今も昔も分厚く高い壁に阻まれ、「重度の銅不足」と結論付けて終わってしまったそうです。

 なぜ、人形峠の白斑牛の話が甦ったかと言うと、鳥取県の職員さんが相談をかけた他県の行政獣医さんがいた。その方は今は退職して、開業獣医師をやっておられるのですが、中々博識な方です。その方は在職中、上司の命令で放射線取扱主任者資格(だったかな?)を取得していたことから、人形峠の白斑牛について、ある仮説を立てた。しかし当然ながら、それを調査追求する手段はなかったのです。そして、人形峠の白斑牛はどうもそのまま出荷されたらしい。

 35年前の行政資料はもう残っていません。原発反対の「記録部」、土井淑平さんに問い合わせてみたのですが、ご存じないそうです。土井さんが運動に関わる十年以上も前の話です。人形峠付近の農家さんも代変わりし、廃業も少なくない。当時の状況を調べるのは難しいですね。
 

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 「希望の牧場」の姉妹団体(?)「WITH CATTLE」(通称ウィ=We ?)のご支援も宜しくお願い致します ♪
 ・2014-07-31 ウィズキャトル設立目的
 ・2014-07-31 私達がウィズキャトルです。
 現在「やまゆりファーム」の牛と呼ばれているのは、元々は根本牧場の牛達の事です。ウィの代表、永澤さんは震災後、根本牧場をサポートしお手伝いに通っていました。希望の牧場に移転後も、今に至るまで牛達の命を繋ぐボランティア活動を継続しています。今更、牛達を餓死させるわけにはいかない、牛が生きながらえていることで、救われる農家さんの心もあるのだと、・・・。
 ウィの活動は「希望の牧場」の命綱です。支援対象は「希望の牧場」だけではありません。
 ウィへのご支援も宜しくお願い致します♪

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【希望の牧場】「BECO新聞」 スタート!

 「希望の牧場」ニュースレター発刊がスタート!
 福島在住のサポーター上田さん、柴田さんらが中心となって創刊されたそうです♪
 既に5000部が発送済みとのこと。ご希望の方はお申し込み下さい!

 希望の牧場:創刊「BECO新聞」
* 画像は、「希望の牧場」ボラさん、メープルさんがツイッターで発信したものです。

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めーぷる@maple0121
 「希望の牧場」BECO新聞 創刊号が届きました(^-^)/仲間が増える事を願って私も出来る事でがんばっべ‼
 *事務局にお願いして多めに送って貰いましたm(__)m

鳥の広場 @zaiyaneko
 写真をブログに転載させて貰っていいですか?しかし、「希望の牧場」のボラ力には感心します。ウィさん立ち上げ、ニュースレター発刊機関立ち上げ、地道に着実に組織だってきた!中々ない事です。それが一般ボラさんの人間力によるから凄い! 

めーぷる@maple0121
 新聞自体は見開きで1枚になっています。私もカラーだとは思っていなかったので牧場のPRに今後チカラを発揮してくれると期待しています!サポーターさんの中にクリエイターが沢山いらっしゃるのが強みです!

希望の牧場・ふくしま@kibounobokujyou
 上田さん、柴田さん、福島組の尽力です 感謝!

やまゆりファーム:1月中に新提訴の発表、移転と飼育放棄問題はスルー

 やまゆりファーム更新。
 「支援者の皆様へ / 2015-1-21

 性懲りもなく、1月中に改めて提訴するそうです。
 移転の話はスルー、3ヶ月に及ぶ飼育放棄問題もスルー。請求されないのを良い事に、その間のやまゆり牛の飼料代もスルーです。信じられない!都合の悪い事実はみな無視して、相変わらず頑なに自分の正義を追及すると主張しています。しかも、岡田さんが「問題」にする金額が段々大きくなっているそうです(笑い)。

 「希望の牧場」 は、先に岡田さんが取り下げた調停や訴訟において、答弁書で”お金は一銭も請求しないから、やまゆりの牛を連れて出て行ってくれ”と回答している。移転すると頑なに主張したのは、岡田さんなんですよね。吉澤さんが岡田さんとやまゆりの牛達を案じて説得したのを受け入れず、移転を決めたのは岡田さんです。移転先がみつからなくて、移転の話に一言も触れず飼育放棄を続けているのも、岡田さんです。

  茂木 健一郎さんが、先日起きたイスラム国の日本人人質事件をコメントしています。
 「イデオロギーよりも、生命の方が深い
 その中で、『本来の「敵」は、私たちの生命の豊穣から離れて、一人歩きしがちななにものかにあるのではないか。』という言葉は、誰もが繰り返し自分自身に言って聞かせる価値のある言葉です。
 社会制度を濫用した岡田さんの提訴の仕掛けは、まさに『生命の豊穣から離れて、一人歩きしがちななにものか』に他ならない。

 「希望の牧場」は、養う300からの口を最優先にしてぶれない。岡田さんの”係争ごっこ”に対抗して、じゃ法廷で岡田さんを完膚なきまで叩きのめしてやろうと燃え上がって来ない。「希望の牧場」の人々は「生命の豊穣さ」が奪われた土地で、「生命の豊穣さ」に根ざした営みに奮闘している。
 「希望の牧場」と岡田さんの差はそこにある。岡田さんは自分の「正義」に熱中して、飼育放棄した。岡田さんが養うべき60頭からのやまゆりの牛達の命を繋いでいるのは、「希望の牧場」だ。どちらが「生命の豊穣」に立っているか、余計な説明はいらない。勝負は既についているのである。


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やまゆりファーム:調停・提訴共に「取り下げ」、連絡不通と飼育放棄継続

 「希望の牧場」公式サイト更新。
 「やまゆり身勝手裁判のその後

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 やまゆりファームの岡田さんは、「希望の牧場」相手に仕掛けた調停、訴訟を取り下げました。
 希望の牧場さんが答弁書を提出した途端、社会制度を乱用した”仕掛け”は崩壊。岡田さんは主張を取り下げ、敗退しました。無断の飼育放棄はもう3ヶ月にもなる。立場のない岡田さんは電話に出ず、連絡がとれません。
 やまゆりファームのサイトはいずれも更新が止まったまま。調停も訴訟も取り下げて終了したとの報告すらありません。牛で集めたお金は握ったまま、音信不通で雲隠れしています。そんなにお金が欲しい?今まで最初から給料を貰っていたでしょう?それだけじゃ不満?でも、その他のお金は牛を生かす為に寄付されたんよ。

 もう暫く様子を見ますが、こういう状況がこのまま続くと、詐欺疑惑で第三者告発が可能になってくるんじゃないかな。私がやりますよ。当局が間に立てば、岡田さんも軌道修正するでしょう。状況が長引けば長引くほど、岡田さんの立場は危なくなってくる。

 移転先は見つかりません。限定区域内でしか牛は移動出来ない。岡田さんが「希望の牧場」さんに何をしたか、約60頭の牛を黙って飼育させて、知らん顔をしている。そんな人間を誰が相手にします?希望の牧場に頼むしかない。「希望の牧場」は黙々と、分け隔てなく飼養し続けている。

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パンドラの箱が開いた時:「希望の牧場」の問いかけるもの

 「決死救命、団結!」――希望の牧場・吉沢正巳の訴え(前編)-1
 フリーランスライター、畠山理仁(はたけやまみちよし)さんの記事です。ツイッターはこちら

 福島第一原発事故で、吉沢さんの住む、浪江町の生態環境は一瞬の内に崩壊した。
 吉沢さんは無人となった其処に留まった。彼は牛飼いだった。牛と共に留まった。
 原発事故後も、彼は同じ場所で牛飼いを続けている。
 国の全頭殺処分政策に抗い、吉澤さんとボランティアさん達は苦闘しながら300頭以上の牛の命をつないでいる。岡田さんが無断で飼育放棄し、置き去りにした「やまゆりファーム」の約60頭も含まれる。ただ牛を生かし続ける事に何の意味があるのか?自問自答しながら日々餌をやる。大型草食動物の牛は食べる、食べる、食べる!吉澤さんは備蓄ロール(飼料を梱包したもの)の不足を夢にまで見るらしい。出張中、仮眠している吉澤さんが寝言を言うので、スタッフが「ロールはどこに置いてあるの?」と話しかけると、ちゃんと答えたというから泣ける!

 『「希望」という名は、そんな深い絶望の中でつけたんだ』
 絶望の中で希望を見失うまい、見出そうとする日々の営み。多かれ少なかれ、私たちは皆、そうして生きてきた。「希望の牧場」の問いかけや、自問自答は共感を呼び、胸を打つ。そこには人がいる。

 福島第一原発事故は「パンドラの箱」だった。
 科学者の好奇心は赤ちゃんの好奇心同様、大切にしなくてはいけない。
 とやこう規制すべきではない。
 同時に、科学者は科学にだけは嘘をついてはいけない。社会に嘘をついてはいけない。
 赤ちゃんを見守りながら、赤ん坊が刃物をつかむのを黙って見ている母親はいない。
 福島第一原発事故収束の見通しが立たない中、社会は黙って原発再稼動を容認しない。
 下手な実験をしてくれるな。危険な遊びは止めさせよう。

 再稼動反対!
 「大間原発が審査入り=柏崎、高浜の対テロ施設も—規制委
 「電事連会長「2015年は原発再稼働に全力  高浜再稼働の際はMOX燃料を装荷へ

やまゆりファーム・岡田久子氏の調停申立の結末

 希望の牧場公式サイト更新。
 「やまゆり身勝手調停事件 希望の答弁書を公開

 やまゆりファーム・岡田久子氏の提訴も調停申し立ても、これで終了。
 で、岡田さん、年内に引っ越せるの?

やまゆりファーム・岡田久子氏、提訴取り下げ

 岡田さんが訴えを取り下げました。
 「希望の牧場」側の答弁書で、岡田さんの訴えは粉砕され「裁判」の体をなさず。
 完全敗訴なんてものじゃない、完璧な恥晒しで終了。

やまゆり“身勝手”裁判のその後・・
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<施設利用妨害禁止仮処分命令申立事件>

趣旨:
「債務者(希望の牧場)は、
債権者(やまゆりファーム)の別紙物件目録記載牧場及び施設についての
占有、使用を妨害してはならない、との裁判を求める」

補足:
物件とは、希望の湯やボラハウス、岡田部屋のこと

『 やまゆり牛の元の畜主、N農家さんとつい先日、お会いしてきた
「岡田さんから1ヶ月前、
“希望を出たいのでどこかよい場所を知らないか”旨、電話がありました
いろいろあたってはみたけれど、結局みつかりませんでした」(N農家さん)

空いた口が塞がらなかった

被災地に勝手に乗り込んできて、被災農家に散々な迷惑をかけ、
またまた身勝手な理由から元の畜主を巻き込む、、
そのやりかたにひととしての心はあるのか

高齢で心臓病を患っているN農家さんは、
泣く泣く、それこそどうしようもなく、自ら、牛飼い人生を終わりにして、
その余生を避難先で奥さんと二人きりで過ごしていたのにだ

N農家さんは、わたしたちの前で泣いた
「どんな理由があるにせよ
岡田さんのやってることはひととして許されない」(N農家さん)

牛の世話もしない、餌も集めない、
そんなやまゆり岡田のここまでする動物愛護って何?
終生飼育って何?
岡田って何なの? 』


 18日の別件調停も、「希望の牧場」側の答弁書で、調停そのものが無意味になり消えてしまう。
 これで岡田さんには、もう逃げ場が無い。
 自分で公言したことの始末をつけなければならない。
 体面の取り繕いようがない。ここまで自分を追い込んだのは、他ならぬ岡田さん自身だ。
 最後の忠告。
 やまゆりファームの牛達を、「希望の牧場」さんに正式にお願いして身を引くこと。
 やまゆりファームの口座残高は、領収書添付の会計報告を添えて「希望の牧場」に引継ぐ事。
 詐欺で訴えられるような真似はしないこと。
 サラ・ネットワークの谷田が無事にすんでいるから、私も・・・なんて考えないほうがいい。あんた、告訴されるよ!
 愛護の世界では、岡田さんはもう終わっています。

やまゆりファーム崩壊:調停と提訴

 希望の牧場とウイズキャトルが松村直登さんの協力を得て、今年の冬場の資料確保に全力を挙げているこの時期、岡田さんが希望の牧場相手に意味不明の調停申し立てと提訴を強行。その続報です。

 ・やまゆりが希望を訴える 希望の答弁書を公開
 ・答弁書
  * 岡田さんも訴状と証書を公開すべきでしょうね。
 ・12.1 代表声明



 OCNのブログサービス廃止につき、先日急に「希望の牧場公式サイト」が消失!
 取敢えずアメーバブログに身を寄せ、半月間ほどはこちらで情報発信をする事になりそうですね。
 

やまゆりファーム、解決済み案件の調停申立て

「希望の牧場」に裁判所から通知が届いたそうです。
調停申立ての通知。案件は2件。
「希望の牧場」の公式声明は無視。
相手を無視して調停申立てしたって、仕方ないだろ?
希望の牧場は、金は請求しない、やまゆりの牛の世話をして下さいと、既に回答は出てる。
調停入る前にもう、終わっちゃったよ。

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岡田さんって変にややっこしい人だよな、
受任した弁護士も変だよな。こんなの引き受けるのいるんだね。
寝る前に変な話、聞いちゃって・・・ もう、寝る。
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同じ事の繰返しに終始する岡田さん:「支援者の皆様へ / 2014-11-10 」

 「やまゆりファーム」更新。
 支援者の皆様へ / 2014-11-10
 「希望の牧場」が「やまゆりファーム」へ出した請求書改訂版、事務局と岡田さんのメールのやりとりの一部抜粋が公開されています。

 岡田さんは、何故やまゆりファームの牛達の飼育放棄を続けているかについて、支援者達に納得の行く説明をしていません。単に顔出ししにくい自分の気持ちを労わって、希望の牧場に甘えているだけじゃないんですか?
 希望の牧場は調停は拒否、払わなくて良いから年内に牛を連れて退去して欲しいと、既に回答しています。吉澤さんの電話にも、岡田さんは他所に移ると言明。にも拘わらず、移転問題については故意にスルーして、支援者に何も報告しようとしない。

 事務局のお二人は現在、冬のロール備蓄に那須と希望の牧場をピストン運動しておいでです。
 岡田問題にツイートしている時間も中々とれないでしょうから、少し待ちましょう。

 早っ!もう発信した!

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 これ以上は時間が無いので終了。直接、希望のツイッターを見て下さい・・疲れた・・ 

【希望の牧場】2014年冬の飼料確保へ向けて、希望をつなぐ総力戦

 「うちのとらまる」さん更新。
 2014-11-09 希望の牧場

 「希望の牧場」 は今冬の飼料備蓄に総力を挙げて取組んでいます!
 WithCattle @WithCattle 発信:10日~21日までの間を予定して希望の牧場木野村・針谷組が松村さんトラックをお借りしてこの冬を越すための牧草搬送に入ります。
 木野村さん発信: 今日からの数日間は体力の続く限り牧草ロールを大型トラックに満載して那須〜福島間をピストン輸送。


 やまゆりファーム・岡田さんの飼育放棄は続いていますが、希望の牧場はもう岡田問題に捉われていません。現場は牛に飼料を確保する事に集中している。
 
 岡田さんみたいな愛護は結局、金や対人関係トラブルが優先し、動物は二の次です。
 私、昨夜、夢を見たんですよね・・・・「希望の牧場」にやまゆりファーム支援者2名が、やまゆりの牛の世話に入った夢。
 そんな奇跡は金輪際、起こりそうにないですね(笑い)

 牛の世話は安易な気持ちで出来るものではない。人身事故は不可避的に起きる。
 吉澤さんのお姉様がガガちゃんに突き飛ばされ、念のために入院なさっているそうです(orz・・・)。
 2014/03/17【お知らせ】当牧場へ入場されるすべての皆さまを対象とする注意及び同意事項を作成いたしました

牛70頭、犬70頭、猫70頭・・・甘い試算は過ちの元

 1千万出すから猫70頭引受けてというお申出があっても、私は引受けません。
 割に合わないから。1千万円では実費が出ない。
 猫の食費の平均的年間費用は44,460円だそうです。
 私の実感ではもう少しかかると思いますが、45000で計算して、×70頭=315万です。
 猫でさえ、食べるだけでそれだけかかる。

 70頭を甘くみるんじゃない!
 見栄やはったりで生き物を抱えるのはヤメレ!

やまゆりファーム・岡田氏の去就

【関係者達の証言】
 岡田さんの言動に納得している現場関係者は一人もいない。
 岡田さんは今まで何回か金銭(支援金=公金)トラブルを起こしてきた。
 「言えば悪口になるから」と、やまゆりファームを離脱した元会計達は発言を控えたままだ。
 腹に据えかねる思いはあっても、希望の牧場の趣旨や目的の差障りになる事はしたくないと黙っている。
 現場に集まった支援金も人も、岡田さんは自分個人に集まったかのように錯覚したらしい。
 牛は置いてく、牛で集めた金は握って離さない、岡田さんは恥ずかしくないのか?

 希望の牧場に岡田さんのシンパから電話があったらしい。
 『「岡田さんの立場で考えてください」と言われました 自分なりには頑張ってるのに、希望が楽しくなかった、辛かった、幸せではなかった、、 そうだったとしたら、彼女が希望との決別を考えたのも不思議ではありません』
 
 それならそれで構わないのである。率直にそう告げ、もうここに居たくないから出て行くと言えば良かった。
 牛を連れて出て行くと見栄をはる必要はない。牛を道連れにしなんすな!
 『希望の牧場・ふくしま
 ‏@kibounobokujyou @toramarushiro 吉沢父さんが岡田さんを心配して電話してますが、彼女は「余所に移る」と言い放ったそうです そんなことは不可能です そんなことを吉沢父さんに言う、それが可能だと思ってる、、それは、やはり彼女にとって希望は大した存在ではなかったということです』
 
 牛をやめたいと言っても構わなかった。今更、致死処分するとは、面子の手前言えないだろう。ならば、希望の牧場に助けて下さいと頼めば良かった。牛で集めた金は置いて、一人で抜けていけば良かったのである。

 誰が非難するだろう?もう「現場」が嫌なのだ。ならば止めたほうがいい。誰が岡田さんを縛りつけたりするだろう?今までご苦労さんでした、また気が向いたらお出で~と気持ちよく別れる事が出来たはずだった。率直さは時に力強い美徳である。 
 自分の気持ちばかりにかまけていると、道を踏み外す。 少し勇気をだして、正面から自分の気持ちを素直に伝えていれば、現場の人達を傷つけなくてすんだ。

 おい、遅いという事はないんだぞ、軌道修正しろ!バカ女!
 「やまゆりファームは解散します。牛は希望の牧場に置いていかせて下さい」
 その一言が言えんのか!
 


太田康介 @toramarushiro · 11月5日
 ことは1年前から始まっていた。岡田女史のお金の使い方に「物言い」つけた当時の会計担当者や副代表。いろいろあって岡田女史を諌める事が出来ず、離脱したのです。私は自分のお金に関してはルーズですが、人さまから頂くお金に関してはわりと潔癖なほうで、こりゃいかんわと思った次第。

 1年前、それでも希望の牧場は岡田女史を外さなかった。 内部のトラブルを表に出してもマイナスにはなってもプラスにはなりようがない。外野の私なんかはイライラしたものですが、一番の当事者の希望の牧場が黙っている、離脱した副代表、会計が黙っていることで辛抱するしかなかった。

 希望の牧場は岡田問題に囚われている暇がないのはそのとおりで、やまゆりの牛を含めてこれからも必死で牛たちを生かしていかなければいけない。お金もいらないと言っているから弁護士通しての調停もなりようがない。今までと同じで、何も変わらずこれからも活動していくでしょう。

 問題はこれからの岡田女史の態度。牛の世話もしないでカネだけを抱えて今後どうしていくのか、注意深く見守っていく必要があるでしょうね。 で、やまゆりのメンバーってだれ?確かいたのだけど。私と直接話した人もいるんだけどなあ。

鳥の広場 @zaiyaneko 11月5日
@toramarushiro 岡田さんは、公金(支援金)の取扱いに関わる金銭トラブルを起こしては、自分の非を認めず、お金はしっかりと握ったまま、批判者の非を言い募り離反していく事を繰り返しているようですね。



craftsman ‏@craftsmantori · 11月1日
 あと、ボラさんへの配慮は何処にも負けないと思っています。更衣室兼休憩所(男女別)の設置。水周り部屋(トイレ、シャワー、洗濯機、洗面所)の設置。ボラさん用移動車の設置。細かい事をあげればまだまだありますが、代表的なことをあげてみました。
 費用に関しても基本は自己負担ですが、牧場から応援依頼があった時などは交通費などの支払いを申し出ています。
 また、あるスタッフはボラさんが同じ日に入る時は片道800キロにも関わらず、一緒に入ればボラさんの負担軽減になるからと送り迎えをしています。

 私も時々一日おきの日帰り作業に入りますが、疲れたからと文句?をいうのはおかしいです。
 皆さん、自主的に疲れるのがわかっていて牧場に来て頂けるにですから。それが嫌なら前泊するなり取りやめて頂くなり自己防衛して頂くしかありません。牧場への支援も来場も自己責任だと私は思います。

 言い訳を一切しないし少々乱暴な言葉遣いもあるかもしれないですが、約束は守る事務局です。牛を第一に考え行動している人達なので寛大に見守っていただけたらとおもいます。長文失礼しました。


craftsman ‏@craftsmantori · 11月2日
  @kibounobokujyou のボラとして意見を述べます。吉澤さんがいない日に岡田さんが作業されていた事は勿論知っています。ですが、岡田さんがいない日に希望のみで作業している日も多々あります。私一人という日もありました。それが同じ場所で保護していく事のメリットではありませんか。足りないことを補うという事です。

 最後に書かないと言いましたが、今回の支払いについてですが、やまゆりさんのブログによれば10月初旬に受け取ったとありますが、希望の会計担当も兼ねている事務局長は9月末から10月中旬まで国内にいませんでした。岡田さんもご存知です。帰国後に打ち合わせをすればよかった筈です。それを待たずして水面下で行動して、サプライズのように書面が届いています。なぜそんなに急ぐ必要があったのでしょうね。不思議です。

 あと、信頼できない人が同じ場所にいては行けないと思います。私は何度も自己責任と書いていますが、それでも希望の牧場という場所で事故やトラブルが起きれば、監督者的立場の希望の牧場の責任も追求されます。そうなれば事務局は解散も視野に入れ牛は救えない。

 共同生活にはルールが必要ですよね。会社でも学校でもルールはあります。それに従うからこそ成り立つのです。「郷に入っては郷に従え」です。それを岡田さんにわかって欲しかったです。因みに希望のルールに束縛や差別はないですよ。あるのは安全と一般常識的なルールだけです。

 以上が2年近く吉澤さんがいない日を中心に牧場に通い続けたボランティアの見解です。いつも長文すみません。



希望の牧場・ふくしま ‏@kibounobokujyou · 23 時間前
@craftsmantori お人好しではなく、幸せものと呼んでくださいw 我々、好きなことが出来てて幸せです ですからこれまでよく頑張った岡田さんにもこの先は好きなことして幸せになってほしい

きょうあるかたに電話で「岡田さんの立場で考えてください」と言われました 自分なりには頑張ってるのに、希望が楽しくなかった、辛かった、幸せではなかった、、 そうだったとしたら、彼女が希望との決別を考えたのも不思議ではありません
 たった一度の短い人生ですから自分の思うように望むように生きてこそ吉 誰にも縛ることはできませんし、そのようなことはしてはいけないと思いました 電話でそれを気づかせてくださったNさん、ありがとうございました

craftsman ‏@craftsmantori · 23 時間前
@kibounobokujyou 難しいですね。楽しいか辛いかは自分次第。幸せは与えられるものではなくて自分で掴むもの。希望の立場で岡田さんの立場には立てないですよ。全ては憶測で自己満足にしかなりませんから・・・


やまゆりファーム・岡田さんの飼育放棄

  岡田さんは私に次のように書いてきた。
 「チッチさん?わたくし共の団体は身の丈にあった活動を!と思っておりましたので『自分たちの牛』しか助けられません。それ以外それ以上は無理です。それでも『自分たちの牛』以外も助けろ。どうにかしなさい。とおっしゃるのですか?自分たちの牛ですらままならない。危ういのにそのような団体に対しそれ以上を求めるのでしょうか?とゆうご質問です」

 10月27日のやりとりである。
 やまゆりファームの70頭の牛達を置き去りにして出て行った後に、そんな事を、もっともらしく部外者の私に書いてきていたのである!あんた!気は確かなの!?
 断りもなく、希望の牧場に”70頭の捨て牛”したのは、あんたでしょ!
 ”自分たちの牛”くらい助けなさいよ!世話しなさいよ!
 現場が、今年の冬の餌確保を至上命令に骨身を削っている時に、70頭も遺棄すんじゃないよ!
 
 こういう人が犬の保護活動をちゃんとやれるとは思えない。
 預かりさんに犬をばらまいて、そのまま1年も音沙汰なしで預けっぱなしの話と、この話はダブルよ。

 なんで、こそこそするんかな?率直に移転準備を始めると言えばよかっただけだのに。
 まとまった金額が必要なので、お世話になった期間の経費全額の精算は出来ないと伝えれば、それで済んでいた話だのに。なぜ、故意にややこしくしてしまうのでありましょう?



 1030 代表声明(2014/10/30)コメント欄にツイッターで発信してきたものを纏め、支援者の質問への回答としています。
*******************

投稿 事務局 | 2014/11/05 22:03 :

 Mちゃくそんさん
 >;現在、やまゆりファームの代表はもとより関係者の皆さまは牧場への出入り禁止なんでしょうか?

 出禁とは書いたけど、それは岡田さん自身がそうさせたのです
 「今後は代理人を通じて~」の弁護士書面をわたしたちが確認したのは25日
 つまり、希望の方が、<直接接触はするな>とやまゆりから書面で通達を受けたことになります
 また、わたしたちが当該書面を目にした前日の24日、岡田さんはすでに自分の部屋を片付けて出て行っています 

 それでも、弁護士になんと言われようと(本来、弁護士に頼むような事案でもないわけですが)、牛が心配なら、本人は来るでしょう、それが来ないわけですから

 「今年中に自立して、他の場所を見つけて、やまゆりの牛たちと共に、希望の牧場から退去して下さい」、吉沢父さんがどんな思いでこの声明を出したか、、

 ところが、後にわかったことですが、岡田さんは、少なくともわたしたちが弁護士書面を目にする以前から、希望を離れることを周辺に相談していて、新たな移転先を探していました
 あとは岡田さんの好きにしたらよいのです。誰も引き止めませんし、助けてほしいと言われれば助けてしまうでしょう。どうなっても希望は、牛を見捨てません
  「岡田さん問題に囚われたらなんないよ、いま餌がないんだから、力を合わせてこの冬を乗り切ろう!」吉沢父さん

投稿 事務局 | 2014/11/05 21:50:

 行くさきは、「希望の牧場」 
 「62頭の牛たちの面倒は自分たちで見ます」
 「資金面や人員面でも、自分たちで集められるようにします」
 「折を見て、別な牧場へ移し自分たちだけで運営していけるようにします」

 合流して2年半、やまゆりは、これのどの約束も達成できていないばかりか、それを<よし>としてきたのは明白
 希望はそもそも、このような話を信用して、牛たちを受け入れたわけではない 
 希望は、やまゆりほかのみんなと協力することでしか、 生かせない命が被曝牛なんだという認識がある 
 だから希望の牛とほかの牛を区別せず、できることをしてきた
 牛は、牛飼いの仕事 牛飼いにしかできないのだ 
 岡田さんの実力では、牛を余所へ移す(家畜車に乗せる)ことすら困難だろう 

 牛は、「かわいそう」とか、「かわいい」とかでは、できない
 事故後、経済牧場ですらどんどん潰れている。
 60頭超の被曝牛を素人が生かし続けることなどできないのだ

 こんなことは言いたくはなかったし、言ってはこなかったれど、すべてにおいて吉沢父さん(=希望)におんぶにだっこ状態だった岡田さん
 彼女の今回の行動が、正しいかどうかは、とことん問わなければならなない
 「おれは問うよ、牛はどうするの?
 岡田さんって何なの?ってね」吉沢父さん

 「調停には応じない(=飼養費用は受け取らない」と吉沢父さんが断言している 
 それなのに、牧場には来ない、向こうからは連絡も寄越さない

 「余所に移る」などとできもしないことを言って、牛をこのまま放置するようなら、それは<飼育放棄>と見做します

 誰も覚えていないのか?それとも知らないのか?
 日獣の研究プランに参加するかどうかで希望が大きく揺れたとき、日獣側から「動物愛護を掲げるやまゆりには希望から出て行ってもらったらどうか」という話があった 
 そのときも吉沢父さんはやまゆり牛を見捨てなかった
 「希望は二度もやまゆりを助けたかもしれないが、それだけの影響をやまゆりから希望が受けたともいえる」吉沢

 ひとはひとりでは何もできないのです 
 助け合ってこそ希望が見えてくる 
 決死救命!団結!そして希望へ

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ときぶーの時間「大きな目で 2014-11-04 」から抜粋。
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【希望の牧場】やまゆりファーム・岡田さんとの訣別

 「やまゆりファーム」岡田さんの記事公開を受け、「希望の牧場」が結論を出しました。
 岡田さんとの訣別です。

 『岡田さんには希望の牧場に助けられたという当初の気持ちがなくなっているし、請求について重大な誤認のまま弁護士に調停を頼む等、信頼関係はもう終わってしまいました。岡田さん、今年中に自立して、他の場所を見つけて、やまゆりの牛たちと共に、希望の牧場から退去して下さい。信頼できない人にもう請求はしません。

 収束しない旧警戒区域の被災動物救護活動を、私は遠隔地に居てネット情報発信を手掛かりに見守って来ました。同じ目的を見て、肩を並べて支え合いながら、絶望的な状況の中で最後まで希望を捨てず奔走し、、打開策を切り開いてきた現場スタッフ達。そういう人の輪の中で、岡田さん一人が浮いている感じはありました。 他の人達は最後まで岡田さんを仲間扱いしてきたけれど、岡田さんは仲間意識を持てなかったんじゃないか?
 希望の牧場と岡田さんはスタンスが根本的に異なっていた。岡田さん以外の人達は、複数の現場に囲われている被ばく牛を区別して見てはいなかった。お互いが都合をつけあって助け合っていた。

 「10月19日 富岡町の松村さんの所へ145㎝500キロの牧草が来ました

『 希望の牧場の吉澤お姉さん
「北海道のロールを見てみたい」と一緒にお手伝いに来てくれました

同じ被災牛を保護している者同志です
いつも餌の心配をしなくてはならない同志として
どこの牛にでも餌が届けられるという事は嬉しい事です
どこの被災牛でも飢える事無く過ごせる
それが一番安心出来る事です
だから、お姉さんの顔にも笑みがこぼれます』

 そのスタンスの恩恵を一番蒙ってきたのは「やまゆりファーム」さんだった。
 その事は棚上げし、岡田さんは今回の請求額に話を限定し、独立した別会計を主張する。

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 そういう岡田さんに対し、希望の牧場側が支払いを強要した事実はない。同意した項目の額だけ約束した期日までに振り込むように言っただけ。振込みは未だない。送られてきたのは代理人からの調停申入れだった。
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 そもそも今回の請求書の件は、岡田さんが言い出した事。求めに応じて提示された請求額は、岡田さんの甘い試算額をはるかに超え、約4倍。それだけの請求には応じたくなかったので、岡田さんはこの項目もその項目も払わないと言い出した。希望の牧場はその点で争っていない。同意した金額を約束期日までにと督促しているだけ。
 およそ調停を必要としない話なのである。

 岡田さんは牛が終わったら犬をやりたいそうですが、牛はそう簡単には終わらない。
 いつまで続くのか分からない不満が、その不満を自分自身で認めたくなくて、金銭トラブルに話をすりかえ、調停にもならない話に代理人を立てる事で偽装し、自身の正当化を演出しようとしたとしか思えない。
 この話の裏には人がいます。その人は支援もしている、弁護士費用を出したのはその御仁です。名前を出さず裏に隠れてますよ。

 岡田さん、木野村さんとのメールのやりとりを公開出来るなら公開してみなさいよ。相手方に異存はなかろう。



【希望の牧場】
2014/10/30
1030 代表声明

 希望の牧場は、原発事故後の警戒区域内での被曝牛の保護・飼養継続を国や県等の行政側の殺処分の強い圧力の中でも4年近くやってきました。現在の生き残った総被曝牛の半数以上は希望の牧場内の牛です。

 双葉町のUさんの牛を助け、ふるさとと心を守る友の会の牛を助け、小高町のイチゴを助け、牧場に迷い込んだガガやロープが顔に食い込んだタテゴを助け、楢葉町のファームアルカディア(現在のやまゆりファーム)の牛67頭を助け、総計100頭に及ぶ牛たちの救命を殺処分の嵐の中でやってきました。

 現在まで希望の牧場は、やまゆりファームと共同で、330頭もの牛たちの飼養管理を続けてきましたが、今回のトラブルのなかで相互の信頼関係はもう終わったものと判断しました。

 岡田さんには希望の牧場に助けられたという当初の気持ちがなくなっているし、請求について重大な誤認のまま弁護士に調停を頼む等、信頼関係はもう終わってしまいました。

 岡田さん、
 今年中に自立して、他の場所を見つけて、やまゆりの牛たちと共に、希望の牧場から退去して下さい。
 信頼できない人にもう請求はしません。

                                 2014年10月30日
                                 希望の牧場・ふくしま
                                 代表 吉沢正己


経過説明(希望の牧場事務局長木野村氏)

やまゆりファームの牛の飼養にかかった費用の請求について

 まず、今回の飼養費用の明細作成および負担割合については、希望からの一方的な主張によるものではありません。昨年秋ごろ、「1000万円の寄付があったので、やまゆり合流後にかかった費用とこれからの分を支払いたい」「希望から借りている67万円もすぐにお返しできる」と申し出たのは、やまゆり側からです。希望としてはそのときは、「そうなんだ、よかったね」程度の受け止めで、やまゆりの申し出どおり、本当に請求してよいものかどうか(その理由は次に書きます)判断に迷っていました。

 その直後、やまゆりの内部分裂が起きます。やまゆりと希望との合同会議の席上、岡田さんが「N さんがいるなら、わたしはやまゆりを出る」旨を言い、希望が、N さんと W さんを説得するかたちで、N さんと W さんにはやまゆりから退いてもらい、餌集めのための新しい団体「ウィズキャトル」を立ち上げていただくことにしました。その後、残ったメンバーの岡田さん、S さん、U さんと今後について協議をした際(残念ですが、S さんと U さんもその後、やまゆりを離れました)、やまゆり側から再度、「飼養かかる費用について折半したい」「希望から借りている67万円を返したい」旨の申し出がありました。やまゆり側から二度も申し出があったことから、私は「請求しても大丈夫な蓄えがあるのなら、まず計算だけでもしてみよう」と思いましたが、急ぎの案件(餌不足問題)がたくさんあり、なかなか計算作業が進みませんでした。

 私が、やまゆり牛の飼養にかかる費用をやまゆりに請求するかどうか判断に迷った理由はひとつです。
 それは、希望に集まった募金は「牛を生かすため」に集まったお金だからです。希望はこれまで、希望メンバーの総意として、希望だけでなく旧警戒区域内で牛のために頑張っている人や団体に対し、できる限りの協力をしてきました。
 希望にはそれだけの実力(蓄え)があります。やまゆりに限らず、エム牧場、ふるここ会、他の畜主さんに対し、牛の飼養にかかる費用について、こちらから『払え』と言ったことは一度もありません。一部畜主さんから過去に餌の提供を受けたり、寄付をいただいたことはありますが、牛の飼養代金をいただいたことは一度もありません。つまり、希望が、やまゆりにだけ請求を急かしたり、強いたりする理由はどこにもないですし、そのような事実はありません。

 次に、今年9月末ごろからのおおよその経緯を話します。
 まず、最初に「やまゆり牛の飼養にかかった費用(やまゆり合流後からこれまでの分)の明細書(項目別に仕分けしたもの)」(以下、「明細書」とする)を岡田さんに示したのは9月21日でした。この日は、私と岡田さんとで宮城から牧草ロールを牧場に運んだ日でした。明細書は牧場に着いた直後、直接手渡しました。すでに日が落ち始めていましたが、岡田さんは真っ暗ななかで、懐中電灯を使い、ロール降ろしそっちのけで夢中で明細書を見ていたので、私は「時間のある時に見たらいいよ。ゆっくりで構わないから」と言いました。すると岡田さんは私と針谷の前で「いえ、月末迄には払います」と自分からはっきりと言いました。

 それ以降、私は岡田さんから数回、電話をもらいました。岡田さんは「私には牛が終わったら、やりたいことがある(それは「犬だよね」と確認)」「牧場が終わった段階で重機などは売却して、半分返してくれますか?」「吉澤さんが買ってきた壊れた発電機(これについては彼女のいつもの思い込みですでに返品済みであり未計上)のお金なんて払えません」「希望がウィズキャトルに支払った餌の搬送費については、負担したくありません」などと言い出しました。お金やお金になりそうなものを残して、「牛」を終わることなどあり得ないし、私自身は借金を抱える結末さえ覚悟しているのに、この岡田さんの言葉には正直驚きました。
 さらに彼女の言い分として、・希望の活動には賛同していない、・吉澤さんと東京に行くのは運転が心配だからついて行くだけ、・希望には助けてもらったことがない、旨の発言もありました。

 私は、動物愛護団体「やまゆり」の代表である岡田さんのそうした意向をくみ取り、明細書から省く項目は省き(死亡牛の臓器の放射能測定費用ほか)、さらに、「納得のいかない項目があれば、教えてね」「やまゆりから希望宛てに請求するものがあったら教えてね」と岡田さんに再三確認を行いました。この時点では岡田さんは「(納得のいかない項目は)もうない」「やまゆりから希望に請求するものはない」と言いましたので、私は、「払いたくないない」と申し出のあった分の項目については明細書から省き、新しく作成した明細書を岡田さんが宮城でまくビラ(助けてもらったことはないと言われたのに作る必要あるのかな?と思いつつも牛の牧草ロールの為だから仕方ない・・・と思いつつ作成)と共に発送しました。先方には26日に届いています。

 その後になって27日までに岡田さんから「さらなる明細(おそらく領収書のこと)が見たい」旨の申し出があり、私はそれを了承し、「説明付きでないと判断できないだろうから、私と直接会えるタイミングで話をしたほうがいいよね。でも私自身が海外出張で時間がないので、それ以外の精査の必要のない薬品代や電気代は個別に支払ってね。(私だけではなく)針谷の前でも月末迄に払うって言ったんだから、1項目でも2項目でも月末までに払わないと良くないと思うよ。俺もある程度、みんなには説明しておかないといけないから、大丈夫だよね?」と確認すると、岡田さんは「わかりました。払います。」と返答しました。
 それを踏まえ、29日夜、私と明細書作成者の奥村(私が事務局長になって以降の仕分け担当)は、岡山から牧場に戻る途中だった吉澤、小峰、伊東、針谷と東海北陸自動車道の川島 PA で合流し、私の手元にあるバンダナや手ぬぐいの在庫を渡すついでに、岡田さんとのやりとりや岡田さんの主張、発言について、これまでの顛末を説明しました。

 私は、仕事で海外へ出国する当日の30日午前に、ゆうちょ銀行へ行って、記帳確認をしましたが、岡田さんから送金がなかったので、「約束したことは守らないとダメだよ。やまゆりが分裂した時と同じことになるよ」と伝えました。
 この時点で私は「きっと払いたくないんだろうな」「牛が終わったらお金を犬に移行しようと考えているのかな」「牛の飼育にかかる金額を完全に読み違えていたんだろうな」と残念に思いました。実は、9月中旬、明細書を作成中に岡田さんから「全部で200万位ですか?」と聞かれ、「計算してみないと判らない」と返答しましたが、正直、約70頭の牛を年間100万円で飼育できると安易に考えていること自体に驚きを感じました。

 岡田さんが牧場や被曝牛を取り巻く厳しい環境について理解できていないと思ったことは一度や二度ではありません。先に書いた「牛の最期」のときのお金の折半の話もそうですし、ほかにもあります。牧場で飼われていた被災犬「ロク」が里親さんの元に連れて行かれた後、岡田さんは里親さんの留守中に何度もロクを見に行き、おやつを与え、「繋がれている事がかわいそう。飼い主に他の犬を薦めている」と言いだしました。「繋ぐのは里親が決めることだし、留守だったら当たり前。牧場で面倒をみないといけない命がひとつ減ったんだから、里親さんの家にはもう行かないようにね」とこれについても私は再三、忠告をしました。しかし岡田さんは聞く耳を持たず、旦那さんやボランティアさんとロクの訪問を続け、「牛だけで手一杯の状況がまったく理解できてない」とも感じました。
 また吉沢さんの忠告を無視して、肉牛でなくなった被曝牛にはほとんど必要のない高価な配合飼料を大量に買い込んだり(結局、配合飼料は余ってしまい、夏も終わって傷んでしまいました)、宮城での餌集めに集中してほしいとお願いしても、その場では「わかりました」と言いながら、実際には積極的に行動しないなどということもありました。

 現時点で弁護士事務所から届いた書面にある「負担の取り決めをしていない」ということ、やまゆりブログ内の説明にある「10月はじめに請求を受けた」ということ、「話し合いに応じてもらえない」ということについては、明らかな「嘘」で、事実とまったく異なります。
 さらに言えば、今回の岡田さんとのやりとりのなかで、私は「そのうち、言った、言わないになるだろう」と思い、トラブル回避のため証拠を残そうと考え、今回の請求にかかわる岡田さんとのやりとりのほとんどをメールでするようにしました。つまり、先に指摘した「嘘」は、私と岡田さんとのメールを見れば明らかで、岡田さん本人も、代理人弁護士も、いつでも事実確認ができるのです。

 今回の件は、私にとっても希望にとってもまるで『おんぶしていた子に突然、背中から切りつけられ、さらには刺された』ようなものです。岡田さん自身が「調停に持ち込む」と公言している以上、今まで牧場で起きた数多くの彼女の思い違いのように、失笑では済まされないことですので、「返答を待ちたい」という希望の公式ツイートに反しますが、私自身の見解としてあえてここに反論しました。

 まとめとして、私は、やまゆりの活動と彼女を応援してきましたし、水面下で弁護士と接触していた彼女に対しても「頭を冷やしてもう一度みんなでやろう」と言葉をかけておりましたが、彼女の今回の行動で、彼女が平気で嘘のつける人だと知り、彼女ともう一度共に活動を続けるということは、残る350頭弱の牛を危険に晒す行為であると考え、ここでの「線引き」を望みます。
 また、それに伴い、これまでの彼女の言動等から将来的に意味のわからない主張をされる可能性も考え、希望の牧場事務局長として「やまゆり牛の飼養にかかる費用」の立て替金については、結果として「牛」に使ったものですので、『返済』としては一切受け取らないことが安全であると考えます。
 但し、岡田さんのこれまでの数々の思い違いと身勝手で奔放な行動から推測するに、この先、やまゆり単独で牛の飼養を続けることは不可能でしょう。そのとき、希望の牧場に牛を置いて出て行くつもりならば、合流後の2年間飼養のほとんどの面で世話になった吉沢さんに対し、礼を尽くした上で、やまゆり牛の飼養にかかる費用として、「牛のために集まった募金」の中から岡田さんが納得する金額を寄付するべきだと思います。今後、もともとの犬に活動に戻るにしても「牛=犬」にはならないのですから・・・。

 最後に、こうなってまでも岡田さんの今後を心配し続ける吉澤さんの姿を見ると、身勝手な彼女の行動に対しては強い怒りを感じますが、彼女もまた2年間いっしょにやってきた仲間ですので、彼女にはこの機会に、自らを律し、人は一人では生きていけないことを自覚し、幸せな将来を歩んでもらいたいと心から願います。これは私だけではなく、みんな同じ意見だと思います。
 私自身はいま、今回の責任をどうとるかを考えているところです。

 以上です。

                                   2014年10月30日
                                   希望の牧場・ふくしま
                                   事務局長 木野村匡謙



【やまゆりファーム】

2014/10/29
やまゆりファーム支援者の皆様

やまゆりファーム支援者の皆様
 この度は大変ご心配をかけています。
 牛の飼育費用に関して「希望の牧場」との 話し合いの場を調停に求めるという事態となり申し訳なく思っています。
 やまゆりファームは、この先も牛を生かしていくための大事な資金としての支援金を皆様からお預かりしています。

 今回の希望の牧場よりの多額の経費請求にあたり、気持ち良くお支払いさせていただくためにも、応分の負担割合も含めた協議を行いたいと思っています。
 なおこの件について、今後は代理人を通してご説明させていただきますのでよろしくお願いいたします。
 つきましては、皆様への代理人よりのご通知をブログに掲載いたします。

 尚、現在、牛の世話をしにいけない状態となっていることも心よりお詫び申し上げます。

                                 やまゆりファーム代表 岡田久子
                                 平成26年10月29日
******
やまゆりファーム支援者 各位

     
新青山法律税務事務所
東京都千代田区九段北四丁目3番14号 九段堀江ビル2階
TEL 03-3262-8772 FAX 03-3515-6511
 「やまゆりファーム」岡田久子氏代理人 
弁護士 大久保 誠太郎 
弁護士  播磨 源二              
ご 通 知
 
前略 当事務所は、「やまゆりファーム」岡田氏から「希望の牧場・ふくしま」との下記諸経費請求についての話し合いを依頼されています。
 「希望の牧場・ふくしま」は本年10月初め、「やまゆりファーム」に対し、牧場の諸経費約878万円の請求をしました。
  しかしながら「希望の牧場・ふくしま」は、請求金額の領収証や詳しい説明をせず、「やまゆりファーム」からの話し合いの要請にも応じていません。
 この諸経費請求の中には、「やまゆりファーム」に相談なく購入された重機や「希望の牧場・ふくしま」代表者名義の車両などの費用が大きな割合を占めており、納得できるものではありません。
また、「希望の牧場・ふくしま」に飼育されている牛は全部で335頭(2014年9月現在)ですが、「やまゆりファーム」管理の牛はそのうちの60頭ほどで全体の17%です。ところが「希望の牧場・ふくしま」は「やまゆりファーム」に対し経費の50%の負担を求めています。これも問題です。
 昨年12月、「希望の牧場・ふくしま」から「やまゆりファーム」に対しボランティアセンターを含むいくつかの設備費用として、200万円の請求がありました。この時は話し合いをして、納得してお支払をしています。
 「やまゆりファーム」としては支援者の皆様からのお金をきちんとした根拠もなく使うべきではないと考えています。話し合いにより経費の金額、負担割合について納得できれば支払うつもりです。話し合いは東京簡易裁判所の調停を予定しています。
 上記をご理解のうえ、今後ともよろしくご支援お願い致します。
 とり急ぎ要用のみ
                                           草 々




【拡散希望】東日本大震災被災動物サーチプロジェクト調査開始

 どうぶつ救援本部(=緊急災害時動物救援本部)からのお知らせです。
 以下、転記


被災動物サーチプロジェクト調査の全国展開に着手しました

 東日本大震災においては、避難の過程でペットとはぐれてしまい、今でも再会できないままペットを探し続けている飼い主の方々が多数いらっしゃいます。その一方で、被災地でペットを保護・収容し、その飼い主を探し続けている動物愛護団体も多数にのぼります。

 このため動物救援本部では、ペットを探している飼い主と、ペットを保護収容している動物愛護団体が情報を提供し合い、一頭でも多くのペットが飼い主の元に戻るための支援策として、平成26年6月より「被災動物サーチプロジェクト」を立ち上げ、ホームページでの公開を始めているところです。

 本プロジェクトは、
 ①迷子になってしまった動物たちを探している飼い主様を支援すること、
 ②全国各地引き取られた動物たちを元の飼い主様に戻すこと、または新しい飼い主様を探すこと、
を目的としたプロジェクトですが、今回、本プロジェクトを全国的に展開するため、岩手・宮城・岩手県の飼い主の方々、全国各地の動物愛護団体やペット病院、関係行政機関等に対して、情報提供の呼びかけを一斉に行うこととしました。また、情報提供が促進されるように、併せて、ポスターとパンフレットの作成・配布も始めたところです。

 はぐれてしまったペットを探している飼い主の皆さま、また、保護収容して元の飼い主を探しているペットがいましたら、本プロジェクトに情報提供をいただけますよう、ご協力をお願いします。

<<被災動物サーチプロジェクトのHP>>

 なお、本救援本部では、保護収容の実態と保護収容をされた方々のご負担の程度を定量的に把握するために、東日本大震災にかかる被災ペットの保護収容数の調査を行うこととしました。恐れ入りますが、こちらの調査にもご協力をよろしくお願いします。

 ★ペットを探している飼い主の方々へ 
   飼い主
   調査票

 ★ペットを保護収容しているペット病院や動物愛護団体の方々へ
   愛護団体
   アンケート

 ★被災動物サーチプロジェクトに対する情報提供呼びかけのリーフレット


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【Solidarité Unité Fraternité】KIBO NO BOKUJYO、Naoto Matumura & WithCattle

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ガガ@希望の牧場
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緊急災害時動物救援本部(どうぶつ救援本部)提訴に正義はあるか?

 「【どうぶつ救援本部不当訴訟】原告側が訴状を公開しました。」の続報です。

 答弁書が公開されました。
 原告側のサイトが裁判資料を公開しています。
 訴状を本部が受け取ったのは8月12日。9月9日付けで請求棄却の答弁書を提出。
 8月20日には広島で集中豪雨による土砂災害が発生しました。こんな裁判がなくても本部は十分、忙しい!

 この訴えは元々無理筋ですから、原告に勝訴の見込みはありません。
 訴状や、それに先立つ提訴へ向けてのキャンペーンの内容がお粗末過ぎる。
 本部の情報公開は透明度の高いものです。
 原告側は、本部が公開している資料を読んだのでしょうか?読んでいないでしょ! 
 答弁書が指摘しているように、明らかな事実誤認が幾つもあります。
 私程度にも、本部の歴史や活動趣旨、実態を知ろうともせず、感情的な自己主張だけで提訴してるんですよね。原告の一人、日向さんはこんな事をする人ではなかったと、彼女を知る複数の方達は残念がっていました・・・・、私も残念ですよ。裁判の過程で、原告達が自分の過誤に気づけばよいと願う。過ちに拘らないで裁判が終わったら、また戻って来て下さい。
 
 アニマルレスキューシステム基金(フクシマスペイクリニック)主宰者の山崎氏は、パーフォーマンスのつもりで提訴を仕掛けた。本部に義捐金配分を求めて断られたのが直接の動機ですか?本件裁判費用はアニマルレスキューシステム基金が出しています。私が寄付者なら、それこそ訴えてやりたいくらいのものですが・・
 ・2013年度 収支計算書【4/1~3/31】
  『 新たに支出項目に追加された「メディア対応・弁護士費用」は、会報の11月号、2月号で連続掲載した「緊急災害時動物救援本部(東京)」とその関連団体、行政機関などへの監視を強化するため、メディアへ積極的な記事化、番組化の働きかけを行った際に発生した経費、調査費用・関連諸経費です。

  更に同項目は、9月期にお知らせした調査事業「Animal Stats.」として進められ、弁護士の法的な助言・対応等の費用 357,210円を含んでいます。 尚、この項目の新設はアニマルレスキューシステム基金が会報及びHP(常時)でお伝えしている 福島でプロジェクトを推進する5つの理由の③④に基づくものです。 』
 
 まぁ、いい、色々言いたい事はあった。しかし、今は黙って裁判を見守る事にします。
 一つだけ、 【アニマルレスキューシステム基金公式サイト】緊急災害時動物救援本部|提訴について に公開されていない資料について少し触れておきます。収録されなかったのは、最初に頒布されたパンフレットで、原告の一人が今年5月にFB上で公開している。
 下の画像が表紙です。
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 煽情的なパンフレットで、見る人に救援本部に対しダークイメージを植え付けることを意図して作成されたもののようです。主観的で感情的な表現に終始していますが、それを納得させる事実は最初から最後まで出てきません。

 「とんでもない元官僚がチャリティー界に降りてきました」は、社会問題となった「官僚の天下り」のパクリです。読む人がダークな天下りをイメージするのを狙っています。

 東海林克彦氏は元環境相官僚には違いないが、2007年に退職しています。東洋大学教授を経て、平成24年(2012年)12月21日から公益社団法人日本愛玩動物協会会長に就任。旧救援本部の事務局が、公益財団法人日本動物愛護協会から公益社団法人日本愛玩動物協会にバトンタッチされ、愛玩協会会長の東海林氏が自動的に本部長に就任しただけの事です。

 この間、東海林氏は「とんでもない元官僚」と評されるような問題を起こしているのでしょうか?少なくとも私個人の記憶にはありませんし、ネットを検索した限り不正等の問題は見当たりません。

 犬の画像の吹き出しに「うまい仕事なんかやらないワン!」と言わせていますが、”うまい仕事”が報酬を指しているとすれば、本部長は非常勤で無報酬です。愛玩動物協会からは給与が出ているでしょうが、救援本部から報酬は得ていない。

 一般財団法人全国緊急災害時動物救援本部の役員役員及び評議員の報酬等並びに費用に関する規程 を見る限り、報酬を得ているのは事務局長1名のみで、それも年間800万円以内に規定されている。
 「一般財団法人全国緊急災害時動物救援本部が発足 しまた」によれば、勤務は水曜を除く平日の 9::30 ~17:00 。「うまい仕事」と謗られる筋合いはないと思いますけどね。

 財団法人化に伴い、本部の独立移転が予定されていますが、これまでは事務局を引き受けた団体が場所を無償提供してきたし、財団法人化した現在も愛玩協会は本部設置で収益は得ていない。財団法人設立基金300万円は本部構成団体が拠出しています。公益社団法人日本動物福祉協会が参加出来なかったのは、割り当て金額が拠出出来なかったからだと聞いています。(あそこは清貧だ!涙)

 本部を対象に天下り批判は出来ないでしょう。本部に天下り人事の事実はありません。
 原告側のキャンペーンは、一事が万事、この調子です。

広島市災害ボランティア本部公式サイト開設

 広島市社会福祉協議会が運営する災害ボランティア本部の公式サイトfacebookはこちらです)。

 ボランティア希望者はこちらのページをお読み下さい。
 ・ ボランティアする!
 ・ よくある質問

 地球全体が気候変動期。今後も豪雨災害は増加すると考えられ、鳥取県でも県、市町村が防災対策合同検討会議を開催。都市計画も長期計画で見直して下さいな!地形的に鳥取旧市内は大津波や集中豪雨で壊滅的な被害を受けやすい。国府町の方に引越しませんか?

 広島土砂災害受け合同会議 鳥取県と市町村

 鳥取県被災ペット救援対策検討会もその内、始まります。

広島土石流災害の被災ペット救援:県外支援体制と連携し、県内対応が可能

 被災ペット救援は広島県内で対応出来ます。県外団体にペットを預ける必要はありません。
 被災地に入った県外ボラさんは原則、ペットを県外に持ち出さないようにして下さい。

 広島県獣医師会が救援体制を既にとっています。
 無料一時預かりのお問い合わせは082-251-6401
 
 緊急災害時動物救援本部も支援体制をとり、広島市動物管理センター(082-243-6058)に支援物資が届いています。本部職員が先日現地入りし、関係諸機関と連携の調節等を図り、被災地でのペット受け入れ先は確保されています。長期化する見通しに対しても、随時対応していくでしょう。

 県外支援を得た広島県内での対応が十分可能です。

 ・2014年08月22日 広島市豪雨災害で被災された飼い主の皆さまへ

ダウンロードしてお使い下さい。
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【どうぶつ救援本部不当訴訟】原告側が訴状を公開しました。

 「 一般財団法人緊急災害時動物救援本部を提訴の報道について」 続報。

 緊急災害時動物救援本部(=どうぶつ救援本部)提訴の訴状が公開されました。提訴の仕掛け人、「アニマルレスキューシステム基金」公式サイトに動画等の資料と併せ公開されています。
 「アニマルレスキューシステム基金」作成の2つのパンフレットの内、「提訴へ」が「報告書」として掲載されていますが、それ以前に作成頒布された「問題提起広告」は原告のお一人がFBで公開しています。
 5/2にオンライン署名の呼び掛けを開始していますが、現在のところ、1,500筆ほどで伸びていません。

 原告側が公開した資料に基づき、原告サイドの事実誤認や私個人の見解を暫くの間、述べていきたいと思います。訴状を拝見した限り、本部の不法行為が司法認定されるのはあり得ない内容です。言い掛かり提訴と言われても仕方ないですね。不当訴訟は不法行為です。本部が厳しい態度に出れば、逆に原告側の不法行為が認定されかねない内容です。

 最初ここの話を聞いた時、私だけでなく複数の人々が提訴の裏に反社勢力の存在を疑いました。
 煽情的なプロパガンダと無理筋訴訟は反社の定番。
 しかしどうやら、そうではないようです。
 (後程、書き足します。今、雨が上がっています。今の内に買い物に。
  鳥取市旧市内は台風11号の影響はそれほどでもありませんでした。)

 フクシマスペイクリニックが開設されたのは、2012年9月16日。それ以前の6年半、クリニックの拠点は神戸市灘区でした。山崎氏にどうぶつ基金・佐上との関係を伺ったところ、二回会った事があるが、協働関係にはないそうです。1度は佐上が山崎氏の病院に猫を連れてきた。小室事件の公判1週間位前に佐上の自宅に招かれて話をした事がある。しかし交流関係には発展しなかった。

 小室事件の初公判は2009年1月21日。佐上が山崎氏にアクセスした時期、佐上はシンパの坂本恵美氏と山崎氏の病院を潰す相談をしていました。2009年5月に私が別件で坂本氏と連絡をとった時、その話が出た。録音テープの会話を確認したところ、はっきり「潰す」という表現をしています。松田早苗氏に話が飛び、松田、松田と呼捨てで能無し呼ばわりし、「佐上さんは頭いいですわー」と、大変ご心酔の様子も録音されています。「潰す」ことにかけちゃ、そりゃ佐上は上をいくでしょう。非生産的なことがお得意よー。

 その同時期ですね、時系列の前後関係を明確にする資料は無いのですが、山崎氏の病院で手術した猫の予後が悪いという話が出回った事があります。佐上サイドが山崎潰しに流したデマとは、一概に断定出来ないので真相は不明です。
 佐上と山口武雄獣医師が過去に移動車で不妊去勢をして回った時の杜撰な手術については、日本獣医師会がデーターベースを保管しています。彼等が通り過ぎた後、予後の悪い野良猫が続出し、地元の動物病院に運び込まれる。動物病院の報告に基づく資料ですから信憑性は高い。山崎氏の病院に関する確かな資料の存在は聞いた事がないので判断出来ませんが、ただあり得ない話ではないです。

 山崎氏は佐上のそういう計画については何もご存じないようでした。
 「アニマルレスキューシステム基金」と「どうぶつ基金」は同じ活動をしているので、相互間の交流があっても不思議はないのですが、山崎氏の否定を疑う根拠も無いので、取敢えず今回の提訴の裏に佐上の存在はないものとして、次回から書き次いでていきます。
プロフィール

チッチ

Author:チッチ
連絡先:℡:090-8609-3689(仲市) mail:anti_nuclear2011311@yahoo.co.jp
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